「歴史」は面白い③

「歴史」は面白い①
 週刊文春17年11月2日号
「歴史」は面白い①
 同
 武士は、当初は武士の権利さえ保護できればそれでよかった。元寇で、朝廷があてにならず、挙国一致体制をつくらねばならなくなって、幕府が全国統治を意識するようになった、との指摘は面白い。
「歴史」は面白い③
 今日はマイカーの車検日。代車はホンダの新N-BOX。エンジン音は少しうるさいが良く出来ている。「ホンダセンシング」「ナビ」などほとんどあらゆる装備が付いていて180万円ほどだという。装備はレクサスなどとあまり変わらない。
「歴史」は面白い③
 トヨタのセンチュリーに乗ったことがあるが、横幅はともかく足元はセンチュリーよりゆったりしている。車は、軽の横幅をもう10㌢拡大し(1.58㍍)、エンジンを800ccほどにすれば必要十分。輸出も可能になる。いまの軽はガラパゴス状態。
 デジタルな代車からアナログのマイカーに戻ってホッとした。楽しい旅行からボロ家に戻って、「あーぁ、わが家がいちばん」と言うようなものか。
「歴史」は面白い③
 高松中央図書館の前のケヤキ。今頃が一番美しい。





 「歴史」は面白い③

 先日の続きです。

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 「建武の新政」が成功してたら


出口 室町幕府はそこの整理をどうつけたんでしょうか。

呉座 室町幕府は鎌倉幕府に比べると、最初から全国統治の志向が強い。それには京都に拠点を置いたことが大きく作用した面もあります。ただ、足利尊氏はたぶん、後醍醐天皇が政治をやって、自分は軍事・警察の責任者でいいと考えていたんじゃないかと。

出口 そのように見えますよね。

呉座 だけど結局それじゃうまくいかなくて、やはり武家政権をつくって、全国を統治する方向しかないということになった。結果を知っている現代の私たちからすると、武家政治こそが歴史の必然で、「建武の新政」という天皇中心の政治なんてうまくいくはずがないと思うでしょう。

出口 歴史の流れに対する反動に見えますよね。

呉座 そう。でも、それは結果論で、建武の新政がうまくいった可能性は十分あると私は思っています。日本においても中国や朝鮮のように文官優位の政治体制が確立されても、全然おかしくなかったんです。当時、尊氏が勝つと確信していた人は誰もいないわけで、尊氏自身も後醍醐天皇と何度も和解しようとしていますから。

出口 尊氏はずっと後醍醐天皇を尊敬していましたしね。後醍醐天皇がもう少ししっかりしてくれていたら、足利尊氏は「私たちは鎌倉に引っ越します」と言った可能性もあったわけですね。

呉座 あったと思います。尊氏は京都にいましたが、弟の直義(ただよし)は鎌倉を拠点に関東を支配していましたし。

出口 さて、中世の後は江戸幕府になったわけですが、他の可能性としてはどういう展開がありえたでしょうか。


 海外展開の可能性

呉座 鎖国しないで、海外に展開していく可能性もありました。豊臣政権下の日本は、世界でも有数の鉄砲保有国だったといわれていますから。

出口 銀も世界の三分の一の産出量があったと言われていますね。

呉座 実際、日本は海外進出をやりかけていました。秀吉がやった文禄・慶長の役(1592~98年)は、本来朝鮮を攻めることではなくて、その先の明を征服するのが目的でした。誇大妄想と評されますが、日本軍を撃退した明は1644年に満州族という北方民族によって滅ぼされています。それを考えると、秀吉の発想はそれほど突飛なものではなかった。


 「応仁の乱」で生まれた原風景

出口 確かに清を打ちたてた当時の満州族の人口と富と、石見(いわみ)銀山を持っていた日本の人口と富を比べたら、どうなっていたかは判りませんね。

呉座 やり方が下手で秀吉の試みは失敗しましたが、成功していたら、まったく違った日本になっていたかもしれません。

呉座 時代は少し下って、朱印船でタイへ渡った山田長政は、日本では別に有名な家の出でもないけれど、タイに行って陸軍の次官ぐらいの地位を得ましたね。普通の人でもそれだけの活力があったのだから、この時代にどんどん海外に進出していれば、今の東南アジアの華僑のように、和僑の世界ができていたという可能性も考えられますね。

呉座 実際、倭寇の活動もあったし、江戸時代が終わると日本人はどんどん移民で世界に出ていくわけですから、「日本人は閉鎖的で島国根性だ」とは言えないと思います。日本は村社会と言いますけれども、中世初期は散村といって、山間部にバラバラに離れて住んでいました。粗放的で、おのおのが適当にやっていたのです。それが、一つの地域に密集して、みんなで低湿地開発や用水管理をやる、農作業も共同でやる、侵略に備えて自治自衛するという、われわれが普通にイメージする村へと変わるのは、室町時代、とくに応仁の乱以降なんです。そうしないと生き残れないからそうなった。現在の村で、応仁の乱までさかのぼれる村が結構ありますが、実は鎌倉時代までさかのぼれるところはあんまりないのです。

出口 応仁の乱は一つの大きな転換期で、現在の日本の地方の原風景が出来上がってくる時期と考えたらいいんですね。それにしても、中世の日本にはたくさんの可能性があったと想像すると、すごく楽しい。これからの日本も、もう一度中世のような分権的な世界をつくって、可能性がいっぱいある社会を目指そうよ、と言いたくなりますね。
(構成・神長倉伸義さん)

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(感想・意見など)

 それにしても「歴史」は面白い。それもこれも中学・高校の歴史の授業がベースになっている。


以上


「歴史」は面白い②

「歴史」は面白い①
 週刊文春17年11月2日号
「歴史」は面白い①
 同
「歴史」は面白い②
 近くの神社。朝、今日こそは子猫を撮ろうとして本殿まで入っていったが、子猫は見当たらなかった。参拝し、帰りに先日小学生が遊んでいたところに親猫が2匹いたので写した。夕暮れ時にも通ったら、子猫が何匹もいたので写した。しかし、しかし、カメラに肝心のSDカードを入れ忘れていた!カメラ本体にデータはある筈だが、データの移し方を知らない。取説をみて勉強しなければ。
「歴史」は面白い②
 これは今年7月10日夏越祭(なごしまつり)の時に撮った写真。地域猫で、だれもいたずらしないので近づいても逃げない。
「歴史」は面白い②
 スズメたち。神社の鎮守の森ではヒヨドリたちが「ピーヨピーヨ」と元気に鳴いていた。清々(すがすが)しくて、なんか、いーいねぇ。





 「歴史」は面白い②

 先日の続きです。


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 「中世」を学べば現代がわかる

 「院政」が男系社会の出発点

出口 国際情勢の変化で唐が怖くなくなったので、もう好きにやろうやと、政治も身の丈に合ったかたちにしたわけですね。
 もうひとつ、奈良時代までは天皇は男性でも女性でも構わない、どちらかと言えば双系に近い社会でしたね。その後、摂関政治の下で幼帝が続き、外祖父の摂政関白が政治を仕切りますが、これは女系の社会です。ところが藤原頼道(よりみち)に孫が生まれなかったことから、父である上皇の男系へと権力が移っていく。

呉座 中世はまさに男系の社会になっていきますが、その出発点が院政なのです。後に武家の北条政子や、応仁の乱の時期に将軍であった足利義政の妻・日野富子も権力を握りましたが、それは、権力者の後家としてなんですね。古代の女帝とはちょっと違います。

出口 権力が男系に移ったのは、中国の儒教の影響もあるのでしょうか。

呉座 男系で継承する、いわゆる「家」というものができるのが、中世なんです。それまでは共通の祖先を奉じる「氏」が中心で、氏族集団なのですけど、中世になると近衛家や九条家、さらにもっと下位の貴族に至るまでそれぞれ家をつくっていきます。武士もそうです。中国と違うのは、日本ではほとんど血縁がないような養子にも簡単に家を継がせていることです。

出口 中国では血のつながりをすごく重視しますね。一方で日本は大名家でも結構養子を取っている。

呉座 家がなくなると家臣たちが路頭に迷うので、従業員のために創業家を切って会社を存続させるのに似たところがあります。日本の家は、とくに上級の公家や武家の場合、ただの私的な集団ではなくて、国家的な業務を請け負う存在ですから。例えば鎌倉幕府の将軍家は、軍事警察部門を担当する家であるわけです。

出口 安倍家が陰陽師をやり、飛鳥井家が蹴鞠(けまり)をやり、藤原定家の家が和歌をやるのと一緒で、中世になると家が職能ギルドになっていくんですね。

呉座 朝廷から官職をもらった官僚が仕事をするのが古代律令制のやり方なんですけど、中世では家が国家的な業務を担当する。だから、その知識も家の中で継承されていって、政府にはノウハウが蓄積されません。

出口 それで貴族の日記があんなに大事にされるわけですね。政府にアーカイブをつくる能力がないので、各々の家が職能のアーカイブをつくる。その家が潰れたらアーカイブもなくなるので、血を繋ぐよりも家を残しておかなあかん、ということになった。

呉座 鎌倉将軍家も、源頼朝の血が絶えた後も、将軍家は続かないと困るので、皇族の宮様を連れてきて将軍の座に据えていますね。
 「権門体制」というと大層な国家統治システムのようですけど、無数の家がそれぞれの職能を果たして、それを天皇が緩やかに束ねている、非常に分権的な社会と理解したらわかりやすいと思います。


 鎌倉幕府の謎

出口 元寇(文永の役1274年、弘安の役81年)についてお聞きしたいことがあります。最初にモンゴルが日本に持ってきた国書は「仲良くして商売をやろうや」という話で、そう無茶なことは書いていなかったと思うのですが、鎌倉幕府はモンゴルの使者を斬ったりして、かなり乱暴ですね。なんでこんな対応をしたのでしょうか。

呉座 一つは、外交は朝廷にあるというのが当時の日本の建前だったことが原因です。ところが朝廷は結論を出せない。幕府は軍事権門、要するに軍部なので、朝廷がモンゴルと国交を結ぶという明確な意思を示してくれない以上、彼らとしては戦う準備をする以外の選択肢はなかったわけです。

出口 本来、外務省が決めるべきことを軍部に丸投げしたら、軍部としては斬るしかないわな、という理解でいいんですね。ただ、鎌倉幕府は北条義時が後鳥羽上皇を破った承久の乱(1221年)以降、朝廷に対して実力では圧倒していたと思うのですが、それでいてなお外交は朝廷の管轄だと割り切れたのですか?


 「建武の新政」が成功してたら

呉座 これが中世のわかりにくさなんですね。われわれは、軍事力があればどんどん権力を拡大させるはずだと思うじゃないですか。でも幕府を見ていると、そういうスタンスじゃないんです。むしろ外交に限らず内政でも、公家から話を持ち込まれると、「いや、それはうちでは扱いません。朝廷でお決めになることです」と、なるべく朝廷がやるべきことに口を出したくないという印象を受けます。

出口 幕府は御家人の管理ができていればそれでいいということですか。

呉座 そう、幕府に仕える武士の権利が保護できればいいので、そこからさらに公家や寺社や民衆を管理するなんて面倒くさいことはやりたくなかった。

出口 全国統治には興味がなかったんですね。

呉座 はい。そしてこれが、まさにモンゴルとの戦争を通じて転換していくわけです。モンゴルと戦うために、幕府は御家人ではない武士も動員して、挙国一致体制をつくっていかねばならなくなる。その過程で、幕府は全国を統治する存在であるという意識を強く持つようになるのです。

出口 しかし、その後また鎌倉幕府後期になると、得宗(とくそう:執権嫡流)一族は全国統治のことを忘れてしまっている感じがありますね。

呉座 幕府の中でも、路線対立がありました。結局、そこを整理してきちんと結論を出すことができないまま鎌倉幕府は滅んでしまいました。


つづく


「歴史」は面白い①

「歴史」は面白い①
 日経新聞17年11月19日
 確かに「世界史」「日本史」は覚えることが多く大変であるが、そのお陰で、いまになって「歴史」を学ぶことが楽しい。教えることは教えて、テストに出さなければいいだけではないか。例えば、ガリレオに触れないなど考えられない。「ガリレオ」と聞いて、「えーっ、それ誰ぇ?聞いてないよー」とならないように望む。
「歴史」は面白い①
 週刊文春17年11月2日号
「歴史」は面白い①
 同
「歴史」は面白い①
 子猫たちが撮りたくてカメラを用意して神社へ行く道を通った。子猫たちはいなくて、親猫が2匹日向ぼっこしていた。





 「歴史」は面白い①

 「歴史」は面白い。週刊文春11月2日号の出口治明(はるあき)さんと呉座(ござ)勇一さんの対談を読んであらためてそう思った。抜粋してご紹介します。


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 「中世」を学べば現代がわかる


出口 呉座先生の『応仁の乱』(中公新書)はなんと累計42万部ですが、読んでまず連想したのが、『夢遊病者たち』(クリストファー・クラーク著・みすず書房)という本でした。これは第一次世界大戦を書いた本ですが、関係諸国が誤算を重ねることによって、ズルズルと悲惨な大戦へと引き込まれていく過程を見事に描いています。指導者が確固とした見通しもなく、夢遊病者のように逡巡しているうちにあれだけの大惨事になってしまった。そこに応仁の乱と似たところがある気がしました。

呉座 実は『応仁の乱』を書いているとき、私の念頭にも同じく第一次世界大戦を描いた『八月の砲声』(バーバラ・W・タックマン著・ちくま学芸文庫)があったんです。第一次世界大戦は「まさか」の連続なんですよ。誤算の連鎖によって、結局、欧州の列強を全部巻き込んでしまったわけです。
 応仁の乱も同様に、西軍の山名宗全、東軍の細川勝元いずれも互いに全面戦争を企んだわけではなく、畠山家の家督争いに介入して短期決戦をやるつもりだったのが、読み違いが重なっていくうちに、すべての有力大名が参戦することになってしまった。

出口 そこが歴史の面白さのような気がします。先生から見て、中世の魅力というのは一言で言うとどういうものでしょうか。

呉座 中世は、軸となるものがなく、非常に多極的な世界です。例えば古代でしたら、律令国家で、朝廷中心の政治の仕組みがある。江戸時代でしたら、幕府中心の秩序がある。近代以降はもちろん政府がある。ところが中世の場合は、そういう主軸になるものがありません。朝廷、公家も影響力を残していますし、寺院や神社といった宗教勢力も武力・経済力を持っている。

出口 いわゆる「権門体制」ですね。それと、宋銭の流入によって貨幣経済が活発になり、安土桃山時代へ向かって権力の上の方だけではなく庶民たちが成長していく社会ですよね。だから実は夢があった。

呉座 そうです。民衆も力をつけてきているし、どの勢力がメインだと一概には言えない。地理的にも京都が中心とは言い切れなくて、鎌倉にも求心力がある。後世の人間からすると、武家政治になってやがて江戸幕府が成立していくのが歴史の必然であったように見えますが、当時の人たちはたぶんそこまでわかっていませんでした。どっちにも転ぶ可能性があったという躍動感が、中世の一番の魅力じゃないかと私は考えています。

出口 ダイバーシティ(多様性)があって、それぞれの主体が好き勝手なことができて、しかも先がどうなるかわからない社会というのは、すごく面白いですね。

呉座 2001年、あの9.11テロが起きました。これから世界はどうなってしまうのだろうと不安を覚えざるを得なかった。先の見えないこの時代に雰囲気が似ているのはどこだろうと考えたとき、それは中世じゃないかと思ったんです。

出口 なるほど。僕が中世は面白いと思ったのは、まずバサラ大名の存在ですね。僕は戦後のベビーブーマー世代で、日本人は個性のないおとなしい人々だという思い込みがありました。ところが、佐々木道誉(どうよ)などのバサラ大名はキンキラキンのイメージで、かつてこんな日本人がいたんだ、とびっくりしました。信長もかっこいいですよね。
 世界史を参照すると、ギリシャ・ローマの輝ける太陽のような文明と、暗黒の中世という対比があります。日本でも輝く天平文化と薄暗い中世という対照的なイメージがあります。天平文化というと輝かしいイメージですが、実は疫病で人がバタバタ死んだりして、結構暗い時代ですよね。


 背伸びをしていた奈良時代

呉座 奈良時代というのは、基本的に無理している時代なわけです。隣に唐という超大国があって、もしかしたら攻めてくるかもしれないという緊張感のなかで、中央集権国家をつくらねばと、律令という法律を導入し、例えば道路にしても真っ直ぐで軍用になる道をつくっています。当時の日本の国力からしたらかなり背伸びしているんです。

 日本的分権体制

出口 中国では律令を原則、皇帝の代替わりごとに作り直しますが、日本は本格的な律令は大宝律令の一回しかつくれなかった。でも、律令をちゃんとつくる能力がなかったからこそ、院政があんなに力を持てたとも言えますよね。

呉座 院政は、とくに戦前においては非常にネガティブに評価されてきました。律令体制から外れた、法律違反行為みたいな感じです。しかし最近は、律令で法治国家をつくろうとした奈良、それを維持しようとした平安時代にそもそも無理があり、日本の実情に合う政治体制を模索していたのが中世、その象徴が院政である、と肯定的な評価に変わってきています。


つづく


未来の働き方

未来の働き方
 毎日新聞17年8月4日
未来の働き方
 日経新聞17年11月16日
 京都四条烏丸(しじょうからすま)にある北海道グローバルリンクス(札幌市)の国際ビジネス拠点「CO&CO」で働いている人たち。ここに写っている人は一部。勤務地の制約から自由になり世界を旅しながら働いている。
未来の働き方
 日経新聞17年11月19日
 民間企業では副業OKの企業が増えてきた。自治体では生駒市、神戸市などが副業を認め始めた。
 政府も、副業やフリーランスの増加などで、税制改正(基礎控除額の拡大など)を検討しだした。
未来の働き方
 日経新聞17年11月14日・16日
 GEやIBMのようなエクセレントカンパニーでさえ10年先どうなるか分からない。
未来の働き方
 秋景色の香東川
未来の働き方
 神社で子猫が生まれたらしく(地域猫)5・6匹見かけて写そうとしたが、カメラを出している間にどこかへ行ってしまった。そこで、神社の前で遊んでいる小学生を写した。





  
  未来の働き方

 IOT、AIが本格化する10年、20年先にどのような働き方をしているのか想像もつかない。しかし、一端ではあるが、ヒントはある。毎日新聞8月4日の「金言」欄、客員編集委員の西川 恵さんのコラムをご紹介します。

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 テレワークの効用


 政府がテレワーク(ITを活用した、場所や時間にとらわれない働き方)の普及促進に旗を振っている。ただ日本の場合、会社に出勤せず家で仕事ができるとのイメージにとどまっている。実は夫婦共働き世帯にこそテレワークは強い味方になる。その一例を紹介しよう。


 カナダ・ケベック州政府の在日代表は女性のクレール・ドゥロンジエさん。国際関係省から派遣されて4年。夫のクロード・フラデット氏と東京都港区内の公邸で暮らす。フラデット氏は同じ州公務員だが移民・多様性・統合省の所属で、本省とはテレワークでやり取りをしている。

 「妻の日本への異動の話があった時、ぜひ受けるべきだと勧めました。彼女の能力を生かす最適のポストだと思ったからです。私はテレワークでやれないか、省の幹部に相談して了承を得ました」

 カナダでは共働きの夫婦が、伴侶の遠隔地転勤で別居を強いられたり、別居が嫌で異動を断ったりする事例をなくすため、十数年前からテレワークを活用している。

 日本とケベック州の時差はマイナス13時間(夏時間)。日本で朝6時は向こうで前日の午後5時。「朝起きるとメールで指示がきていて、日中、それをこなして返信しておけば、向こうは朝、事務所に出た時に受け取れます。この時差は都合がいいです」

 フラデット氏はケベック州で長く省のスポークスマンを務めた。このため発表文の作成、メディア対応でよく助言を求められる。省内の内部資料作りも任され、インターネットテレビで会議にも参加する。朝6時に起き、午後4時ごろまで仕事をし、その後は買い物など、忙しい妻に代わって家事をこなす。夜は「在日代表の夫」としてパーティに出ることも。こうした場では妻が主で、自分は従だ。

 一緒にいるメリットで「夫婦の絆が深まる」は想定内だが、「日本の人たちに『腰を落ち着けて仕事に取り組む』とのサインになる」との答えになるほどと思った。単身赴任だと半分腰掛けで、本国に戻るのを指折り数えているとの印象を与えかねない。

 フラデット氏自身にとっても良かったという。本国での忙しさから解放され、仕事を見つめなおす機会になった。最近、妻に「9月パリ転任」の辞令が出た。もちろんフラデット氏も一緒に行く。

 テレワークで日本はカナダから周回遅れだが、政府は率先垂範、まず公務員カップルの遠隔地赴任による別居の削減に、テレワークを活用してはどうか。


以上




天才も若い時は就活に苦労した

天才も若い時は就活に苦労した
 産経新聞17年11月17日 508億円!!
天才も若い時は就活に苦労した
 毎日新聞17年9月13日
天才も若い時は就活に苦労した
 (実業の日本社文庫) 750円
 気弱なマル暴刑事(デカ)・甘糟(あまかす)達夫が主人公の新シリーズ。今野 敏さんの作品には良質なエンターテインメントが多く、はずれが少ない。
 この種の警察ものはエンタメだけで読むのではない。警察の仕事の実態もある程度知ることができる(特に濱嘉之さん)。
 例えば、文科省幹部が、「恋活バー・ラブオンザビーチ」なる店に週に3・4回も通っていたという話を読んで、この人は真正の馬鹿ではないかと思った。女性は無料で、客の半数はプロの売春婦でセミプロ(アルバイト)も多いという。店は暴力団のフロント企業かそれに近いに違いない。当然、所轄の生活安全課か捜査4課もしくは組織犯罪対策部、あるいは公安部の監視下に置かれている。そこの常連客は当然マークされている。そんなことも知らず長年呑気に遊んでいるとはお粗末極まる。
天才も若い時は就活に苦労した
 高松中央図書館前のケヤキ。
天才も若い時は就活に苦労した
 青色が薄くなり花の大きさも半分くらいになっているが、11月も下旬になろうとしているのにまだまだ咲いている。





 天才も若い時は就活に苦労した


 最近、ちょっとしたことで数人の若い人と知り合いになった。学校を出て会社に就職したものの当初思っていたことと違って悩んでいる人が多い。3カ月足らずで辞めた人もいる。いつの時代も変わらない。あの人も悩んで悩んで天才になった。

 毎日新聞9月13日の「水説(すいせつ)」、論説委員の中村 秀明さんのコラムを抜粋してご紹介します。


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  「万能の天才」の素顔


 レオナルド・ダビンチは、今では「万能の天才」が代名詞だが、フッィレンツにいた30歳までは有名な工房の腕利き職人にすぎなかった。大きな作品は20歳すぎに描いた「受胎告知(じゅたいこくち)」くらいで、仕事の手が遅いこともあって完成までこぎつけた作品が少なかったようだ。

 引っ越し先のミラノで宮廷に雇ってもらうために書いた10項目の自薦の文書が残っていて興味深い。

 ・とても軽くて丈夫で移動可能な橋を造れます
 ・簡単に運搬でき散弾を飛ばす大砲を考えました
 ・攻撃されても平気な装甲付きの戦車を用意します
 
 この調子で九つは新兵器など戦争に関する分野だった。やっと10項目目に「平和な時には建築、土木、絵画も手がけます」と書いている。

 芸術家ではなく、すぐに役立つ技術者として必死に職を求める思いがにじむ。晩年の肖像画などから受ける超然とした印象はない。

 西洋美術史に詳しい池上英洋・東京造形大学教授は少年時代のレオナルドについて「私生児だったため、まともな教育を受けられなかった」と、「ダ・ヴィンチの遺言」(河出書房)で書いている。左ききを直されなかったのも、そのためと言われる。

 池上さんによると、彼が残した蔵書リストには、商人の子どもたちが習うそろばんの教科書や初級ラテン語の文法書も数冊含まれる。機械工学や解剖学など科学的知識を広げるうえでの基本が欠けているのを自覚し、大人になって必死に補おうとしていたとみている。素顔を知ると、「万能の天才」と」簡単に言ってしまうのはよくないと気づく。

 さきの10項目の自己PRの後、彼はミラノの宮廷に採用された。だが、「最後の晩餐」を手がけるのは、それから10年以上も後のことだ。そして「モナリザ」はさらに10年近くたった作品である。

 教育の機会に恵まれなかった人がこつこつ知識と技能を蓄え、機会をうかがい、年とともに開花させた。そんな遅咲きの人だったのだ。

 彼が残した類いまれな結果に驚嘆するだけにとどまらず、その過程にも目をやれば決して遠い存在ではないと思えてくる。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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