なんだかなーの言葉狩り

なんだかなーの言葉狩り
 朝日新聞18年3月25日1面トップ
なんだかなーの言葉狩り
 朝日新聞18年3月25日2面
なんだかなーの言葉狩り
 讀賣新聞18年2月20日「時代の証言者」
 厚生労働省元次官の村木厚子さんは「障害者」と書いている。
 「障害のある人はもちろん、支援している人もみな個性的で、熱くて、面白い。障害者の分野は驚くほど豊かな世界と知りました」
なんだかなーの言葉狩り
 週刊文春 東海林さだおさんの「サラリーマン専科」
 「おとうさんが青山で、おこさんはアルマーニなんですって」
 毎日新聞 仲畑流万能川柳
 「親はユニクロ子はアルマーニ」 (東松山 きみちゃん)
 「アルマーニ社会に出たらユニクロに」 (堺 おっちゃん) 
なんだかなーの言葉狩り
 ハナミズキ。近ごろ寒暖差が激しく、車のエアコンを暖房にしたり冷房にしたり忙しい。





  なんだかなーの言葉狩り


 3月25日の朝日新聞が一面トップと2面を使って「『徘徊』と呼ばないで」だと。

 「認知症の人が一人で外出したり、道に迷ったりすることを『徘徊(はいかい)』と呼んできた。だが認知症の本人からその呼び方をやめてほしいという声があがり、自治体などで『徘徊』を使わない動きが広がっている」

 「朝日新聞は今後の記事で、認知症の人の行動を表す際に『徘徊』の言葉を原則として使わず、『外出中に道に迷う』などと表現することにします。今後も認知症の人の思いや人権について、本人の思いを受け止め、様々な側面から読者のみなさんとともに考えていきたいと思います」、だとさ。


 「徘徊」=「外出中に道に迷う」 なんだかなー。 

 それにしても気色悪い(キモイ)新聞社。


以上


毒親

毒親
 讀賣新聞18年2月10日「人生案内」 相談
 「30代の女性。小学生の娘が昨春、転校し、今もクラスになじめていません」
 「学校での出来事やクラスの様子は毎日、楽しそうに話してくれます。ただ、友達の話になると黙ってしまうため、『友達づくりの努力をしなさい』ときつく当たることもあります」
毒親
 讀賣新聞18年2月10日「人生案内」 大日向 雅美さん(大学教授)の回答
 「良い解決策はあります。それは親のあなたが『お友だち神話』から解放されることです」
 「もちろん、子どもが育っていく過程で友達は必要ですし、その良さは大切にしたいと思います。でも、たくさんいればよいとは限りません」 ⇚ 同感!!
毒親
 毎日新聞18年2月11日書評欄
毒親
 讀賣新聞18年2月7日から
 一例ではあるが、親世代と娘の世代とでは、社会環境が全く変わっている。
 親世代では専業主婦が多かったが、娘世代では完全に逆転して共働きが当たり前になっている。親の世代の常識が、娘の世代の常識とは限らない。自分の狭い経験からの固定観念を押しつけるべきではない。
毒親
 香東川
毒親
 今日、明日が花見どき。





  毒親


 10数年前からか、「母と娘の葛藤」をテーマにした本がよく出版されるようになった。

 2018年2月11日の毎日新聞の書評欄に『母・娘・祖母が共存するために』(信田さよ子著:朝日新聞出版)の書評を明治大学教授でフランス文学者の鹿島 茂さんがしていた。これが興味深い。抜粋してご紹介します。


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 娘を股裂き状態にする母の要求


 2004年に新聞の文芸時評を担当したときのことだった。女性作家たちの関心が母と娘の関係に集中していると気づいたのである。当時30代だった団塊ジュニア世代の女性作家はそろいもそろって母と娘の難しい関係を自己のテーマとしていたのだ。

 以来、この問題を解く手掛かりとなるような本を探したが、目についたのは原宿カウンセリングセンター所長である著者のアダルト・チルドレンに関する一連の著作であった。

 摂食障害や自傷行為などの問題を抱えてカウンセリングにやってきた団塊ジュニア世代の女性たちから聞き取りをするうちに、著者は、彼女たちの生きづらさの原因が母親が幼い娘に繰り返し語った夫への失望や愚痴、あるいは復讐としての娘教育などから来ている事実を見い出し、こうした母娘関係は普遍的ではなく、戦後日本に特殊的なものだったのではないかと仮説を立てたのである。

 まず、前提になるのは、彼女たちの母である団塊世代の女性たちが戦後の民主化政策で生まれたロマンチック・ラブ・イデオロギー(RLI)の信奉者で、恋愛と性と結婚が三位一体となった理想的結婚生活を夢見たこと。

 その夢が、仕事一途で家庭は妻に任せ切りにした夫によって裏切られたことから、娘を人質にとった団塊母親のリベンジが始まったのである。 

 おとうさんなんかと結婚したのが人生最大の誤りであると繰り返し幼い娘に語り、最後は「あんたさえいなければ」と犠牲を強調して娘に罪悪感を喚起するいっぽう、娘にリベンジを強要して「とにかく資格を取りなさい」「手に職をつけなさい」と説き、猛勉強を強いるが、その目的は娘を洗脳して、「墓守娘」となれと命じることであった。

 「核家族における子どもにとっては、仕事で不在の父をのぞけば母しか存在しない。母がいなければ生存できない非力さとは、(中略)つまり神にも等しい存在であることを意味する。その母が2歳のころから日常的にに自分の不幸を語って聞かせれば、(中略) [娘は]母を守らなければ、私だけは母を裏切らないようにしなければ、と誓うのである」

 だが、こうした「不幸語り」のシャワーという「虐待」を受けた団塊ジュニア世代の娘たちが母親の敷いた路線通りに大学を出てキャリア・ウーマンとなり、30代に差しかかる頃となると、母親は要求を変化させる。孫の顔が見たいと言い出すのである。

 「摂食障害の女性たちが口々に訴えていたのは『母の要求は私を股裂き状態にするんです』ということだった」
 
 しかし、団塊母親はキャリア・ウーマンになれという要求と結婚・出産で女の幸せを手にしろという要求が娘を股裂きにしていることを理解していない

 そこで、娘は母親との距離を置こうと努めるが、孫が誕生すると母親と再接近せざるをえなくなり、母娘の間に再び緊張状態が生じる。かくて、母・娘問題は母・娘・孫問題へと拡大してゆくのである。

 終章にはタイトルにあるように「母・娘・祖母が共存するために」どうすればいいか、それぞれの立場に立った提言がなされているが、しかし、決定的な解決策はあり得ない。

 なぜなら、真の原因は経済的発展という至上目的のために家庭から父親を「召集」して、不在にした戦後日本の社会構造にあるのだから。


以上


葬儀・告別式・初七日


 葬儀・告別式・初七日


葬儀・告別式・初七日
 親戚の方は集合写真を撮るので1時間早目に来てくださいとのことでしたが、結局10分ほどで終わり、時間を持て余しました。
 前(名誉)住職の葬儀ということで、同宗派のお坊さん約20人の読経は聞きごたえがありました。
葬儀・告別式・初七日
 告別式。昨夏訪ねた時、「おじいさんはお元気ですか?」と尋ねたら、「膝が悪い以外は元気です」とのことで、会わなかったのが悔やまれます。
葬儀・告別式・初七日
 出棺。棺を担がせてもらいました。斎場へはマイクロバスで行きましたたが、自家用車の人もいました。
葬儀・告別式・初七日
 高松市斎場公園(福岡町)。
葬儀・告別式・初七日
 12基ありました。明日が友引ということもあるのか結構混んでいました。
葬儀・告別式・初七日
 控室から見た中庭。軽食をとりながら2時間弱待ち、収骨。
 再びマイクロに乗りお寺に帰り、初七日。現住職(息子)と孫が読経。その後席を変えて歓談しつつ食事。会うのは30年ぶりという人もいました(そのような人はほとんどが首都圏在住)。
 お花を持ってかえって下さいとのことだったで、お墓に花を供え墓参して、5時頃帰ってきました。

 帰りには雨がポツポツ降り出しました。天候に恵まれました(因みに今はザーザー降りです)。


 本当に久しぶりにお通夜~初七日まで経験しました。


以上


今夜お通夜に行きました。



 今夜お通夜に行きました。


今夜お通夜に行きました。
 最近は家族葬ばかりで、今夜久々に本式のお通夜に行きました。亡くなったのは親戚のお寺の前住職で享年97歳。生前、いろいろお世話になりました。前住職は35世、現住職は私とほぼ同年齢、37世になる息子さんもおられます。
 私の祖母の姉が亡くなられた前住職の母で、おっとりした人で、この人は生涯お金を持ち歩くことはなかったそうです。恐らく買い物はすべてツケだったと思われます。
 父母や親戚の人たちの話によると、戦前・戦中はよく親戚の者がお寺に集まっていたそうです。戦後すぐには、高松三越の前の中央郵便局が米軍の空襲で焼けてしまったため、このお寺の本堂で郵便業務をおこなっていたそうです。
 私も小さい時は遊びに行っていました。書道教室もやっていました。常時近所のおかみさん達が手伝いにきていて、誰かかれかがいました。その本堂も、今で言うホームレスの不始末だかで焼失し建て替えました。この頃から色々変わりました。
 これだけ家族葬全盛になるとお寺も変わっていかざるを得ないと思われますが、きちんと残していきたいものです。
今夜お通夜に行きました。
 私は声明(しょうみょう)が好きで、CDも持っています。前住職の通夜ということで、同宗派のお坊さん10人以上の読経は聞きごたえがありました。
 明日は葬儀、告別式、初七日に出ます。
今夜お通夜に行きました。
 やっと暖かくなり、梅が満開。いよいよ春。



以上


日本人は超進化系人類?

日本人は超進化系人類?
 産経新聞17年12月25日「正論」はお馴染み竹内 久美子さん。
日本人は超進化系人類?
 四国新聞18年1月26日
 先日、14年近い歳月と総事業費730億円の税金をかけて処理をほぼ終えたとされた香川県豊島(てしま)の産業廃棄物だが、新たに85トンの汚泥状の廃棄物が見つかったという。「これ以外にも見つかる可能性が否定できない」とのこと。あり得る。
日本人は超進化系人類?
 毎日新聞18年1月27日「仲畑流万能川柳」
 「解らないCM続く白い犬」 (宝塚 忠公さん) 同感。
 盛者必衰。今や、auや docomoの方が面白い。
日本人は超進化系人類?
 今日は天候が穏やかだったので、猫に会えそうだということで、近くの神社に行った。4匹とあえた。





日本人は超進化系人類?


産経新聞17年12月25日「正論」はお馴染み竹内 久美子さん。京大系の動物行動学研究家でエッセイストでもある。私の理系の先生の一人。抜粋してご紹介します。


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 日本人が備える「最強」の性質


 垂れ耳のイヌは性格が穏やか

 平成30年は戌年。日本ではイヌは番犬として、家族として暮らしてきた長い歴史がある。そのせいだろうか、日本人にはイヌを食べるという習慣がない。

 そして今や飼育される犬種は多種多様であり、しかも驚くほど性格の違いがある。私が注目したいのは、耳が立っているか、垂れているか、という点だ。

 ジャパンケネルクラブに登録されているイヌのうち登録の多い、つまり人気のあるイヌ18種と、耳の特徴(垂れ耳か立ち耳か)、そしてプロが判断した性格の穏やかさについての評価を見てみると、こんな結果となる。

 まず垂れ耳型のイヌである。
 トイ・プードル、ミニチュア・ダックスフンド、ミニチュア・シュナウザー、シー・ズー、マルチーズ、ゴールデン・レトリーバー、パグ、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、ラブラドール・レトリーバー、ビーグルの10種で、性格の穏やかさの平均は最高を10として7.9である。

 一方、立ち耳型のイヌは、チワワ、ポメラニアン、シバイヌ、ヨークシャー・テリア、フレンチ・ブルドッグ、ウェルシュ・コーギー・ペンブローク、パピヨン、ミニチュア・ピンシャーの8種だが、性格の穏やかさの平均は6.0だ。

 垂れ耳型は立ち耳型に比べ、2ポイント近くも高く、性格が穏やかな傾向があることがわかる。


 外国人が憧れる「かわいい文化」

 しかし、そもそもイヌは生まれたときには、たとえ立ち耳型のイヌであったとしても、耳は垂れている。成長するに従い、立ち耳型は立ってくるのである。

 ということは、垂れ耳型のイヌとは、ネオテニーがより強く起きている犬種ということになるだろう。ネオテニーとは子どもの性質を残しつつ、性的に成熟することをいう。この場合なら、子供の性質である垂れ耳のまま、大人になるということである。

 その際、穏やかな性質も、保護を受ける側である子供には必須の性質であるので、垂れ耳という子供の性質と、セットとなって残っているということではないだろうか。


 このネオテニーという現象だが、人間もその祖先に強力ににネオテニーが起きて人間になったのだといわれる。

 たとえば、チンパンジーと人間を比べてみる。チンパンジーは生まれてたった数年で、まだ子供であるにもかかわらず、深いシワを刻んだ老人のような風体(ふうてい)になってしまう。ところがわれわれは、個人差はあるとはいえ、何十年にもわたり若さを保ち続ける。ネオテニーのおかげだ。

 しかも、アジア人(モンゴロイド)は、特に強くネオテニーが起きていて、中でもアジアの東端に位置する日本人は超ネオテニー人間と言っていい。日本人が欧米などを旅行すると、「この店は未成年者、おことわりですよ」などと誤解されるのもネオテニーのゆえである。

 ネオテニーはイヌで見たように、外見だけでなく性質についても起こる。その際、ペットのようにかわいいものにメロメロになってしまう性質も含まれる。

 実際、日本人のペットに対するかわいがり方が欧米人に批判されている。甘やかしすぎ、人間との線引きがあいまい、などだ。欧米人の夫婦が厳しくしつけたイヌを日本人の夫婦に1日預けたら、すっかりダメイヌになって戻ってきたという話があるくらいである。

 しかし考えてみるがいい。今や、「KAWAII」は、「SAMURAI」や「NINJA」と同様、世界的に通ずる言葉となった。東京の秋葉原や原宿、京都も、日本のかわいい文化を求めて来日した観光客でごった返している。


 ネオテニーの再評価が必要だ

 日本人は大人になってもマンガを読むと散々揶揄さ(やゆ)れてきたが、どうだろう。今やアメリカなどの書店では「MANGA」コーナーが一大勢力となっている。日本のマンガが英訳されて出版されているのだ。日本のアニメが世界的に愛されていることは周知のとおりだ(「ANIME」はすでに世界語だ)。

 ネオテニーについては、幼いとか未熟というよりも、発想が柔軟であるとか、心がまっすぐで優しいといった側面が評価されるべきであろう。そもそも人間はネオテニーによって人間になったのだ。

日本が誇る、技術力や理系の能力もおそらくネオテニーの産物だろう。日本人はお人よしで脇の甘い一面があるが〝人類最強〟の性質も持ち合わせているのである。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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