革命100年の歴史を直視せよ

革命100年の歴史を直視せよ
 産経新聞17年1月15日
革命100年の歴史を直視せよ
  (PHP新書) 1058円
革命100年の歴史を直視せよ
 最近WINS高松東隣りにできた星乃珈琲・田村店。前は国道11号線、上は高速・高松道。コメダ珈琲とかコナズ珈琲同様はやると思われる。
革命100年の歴史を直視せよ
 その西隣は洋麺屋五右衛門・田村店。パスタ屋さんらしい。
革命100年の歴史を直視せよ
 香東川東岸の林
革命100年の歴史を直視せよ
 車の右側面を対向車と擦るか左側を草木で擦る可能性があるが、この道を通るのが好き。但し夜間は通らないことにしている。
革命100年の歴史を直視せよ
 香東川のカモメたち。この辺りは河口に近い。





 産経新聞1月15日「論説委員 日曜に書く」は河村直哉さん。抜粋してご紹介します。


 革命100年の歴史を直視せよ


 今年は1917年のロシア革命から100年となる。かつて世界で吹き荒れた共産主義運動とは何だったのか、考える機会が増えるだろう。

 日米の戦いは、革命を輸出しようとした共産運動と無関係ではなかった。


 日米をいがみ合わせよ

 こんな一文がある。
 「共産主義政策の実践的課題は、この(日米の)敵意を利用して、彼らをたがいにいがみ合わせることである」

 ロシア革命を指導したレーニンの、1920年のある演説。冒頭、レーニンは共産勢力の準則について述べている。資本主義国間の対立と矛盾を利用し、「彼らをたがいにけしかけるべきだ」と。

 悲しいことに、日米の歴史はそのように進んでしまった。

 それが原因のすべてではない。しかし小さくはない一因だったことには注意を払うべきだろう。

 戦後日本の知的状況は多分に容共的で、親ソ連・親中国的な雰囲気に覆われてきた。そのような風潮が、大戦と共産勢力の関係を冷静に見る目を曇らせたといえる。

 使える史料が限られているという事情もあって、共産運動の総括はなお途上にある。それでもソ連崩壊後、いくつかの文書が表に出た。それらを信頼するなら、共産勢は大戦末期の米国に浸透していた。


 米政府と世論への関与

 ことに大戦前後のソ連暗号を米国が解読した一連の文書は、目を引く。解読作戦名から「ヴェノナ文書」と呼ばれる。冷戦終結後の1995年、公開された。

 解読された限りでも、300人以上の米国人がソ連情報機関と秘密の関係を持っていた。政府高官も多数いた。彼らが政策にどこまで関与したかは、議論もある。しかし大戦期の米政権が共産勢に侵食されていたことは、疑えない。

 エージェントらは、米国内で反日世論を高めることにもかかわっていた。

 たとえばアジア学者のトーマス・ビッソンは、ヴェノナ文書でソ連への情報提供者であることがわかった。ビッソンは、日中関係が悪化する中で日本批判を強めた研究団体「太平洋問題調査会」や、ロビー団体「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」などの活動にかかわっている。さらに彼は戦後、連合国軍総司令部の一員として日本での占領政策にも携わる。

 ヴェノナ文書は、アメリカ国家安全保障局のホームページで公開されている。文書をもとにした研究書『ヴェノナ』の邦訳もある。日本でも、福井義高氏『日本人が知らない最先端の「世界史」』、江崎道朗(みちお)氏『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』など、ヴェノナ文書を使った本が蓄積されてきている。


 日本の問題として

 日本では、軍事情報などをソ連に流していたゾルゲ事件が有名である。ゾルゲとともに死刑になった尾崎秀実(ほつみ:元朝日新聞記者)の手記などを読むと、日中の戦いが世界戦争に発展すること、それが世界共産革命に至ることを、尾崎は明確に意識している。

 資本主義国同士を戦わせ弱らせて、共産革命に至らせるというレーニンの準則を、守っているのである。

 戦後もソ連は、日本で工作を行っている。共産主義は変質したものの、一党独裁の中国も謀略や宣伝の手法はしっかりと受け継いでいる。最近の歴史戦など、戦前のソ連の対米世論工作を思わせる。

 米大統領選へのサイバー攻撃が事実なら、ロシアの謀略体質は変わっていないことになる。

 ロシア革命100年を振り返ることは、単に異国のこととしてすまされるものではない。日本の近現代を振り返り、教訓をくむことにほかならない。


以上



ロシア革命100年③

ロシア革命100年③
 産経新聞17年11月10日「百年の蹉跌」
ロシア革命100年③
 毎日新聞17年11月6日社説
ロシア革命100年③
 香川県立図書館はシステム変更のため20日間近く休館していた。久しぶりに行くと、アキニレはほとんど葉を落としていた。
ロシア革命100年③
 図書館などのあるインテリジェントパークと空港通りを結ぶ東西を走るバイパス(2.5㎞くらい)が開通して真っ先にできたのがローソンとドラッグストアひまわり。
ロシア革命100年③
 そこから300mほど西にドラッグストア・ザグザグが建築中。200~300m北にある太田の旧道も、7-11が閉店したり、民営の学童保育所が閉鎖したり、ロードサイド店舗をあきらめて(旧道では商売にならないと)アパートにしたりと、色々変化がある。
ロシア革命100年③
 12月6日TBSの池上彰さんの番組で、韓国では年金制度が極めて不十分なため、70歳を超えるお年寄りが段ボール拾いをして1日数千円を稼いだり、公園などで売春をするおばあさんが増えて社会問題になっていると報じていた。私はこの種のことは小学館の雑誌『SAPIO』で読んだくらいである。モリ・カケの偏向・捏造報道といい、知らされていないことが多い(事実であっても嫌韓論と見なされることを恐れているのか。事実は事実)。
 若い娘は10万人が海外で売春し(うち5万人が日本)、国内はこのあり様。現代(ヒュンダイ)自動車はトヨタより給与はいいくらいなのに、何が不満なのかしょっちゅうストをし、時には火炎瓶まで飛ぶありさま。何が慰安婦やねん。
ロシア革命100年③
 オートバックスでタイヤ交換した。ダンロップ→ブリヂストン。何やかやで約36000円。所要時間50分。先日車検を受けた(各種オイル等も交換した)こともあり、調子がいい。





  ロシア革命100年③


 何をするにしても先立つものは金である。私は経理をしていたこともあり、「コミンテルンは各国での工作活動・運動支援のための資金はどうやって確保したのだろう」ということに関心がある。

 産経新聞11月10日の「100年の蹉跌」(モスクワ支局長 遠藤良介さん)でこの問題に触れている。抜粋してご紹介します。


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 消えた財宝 対外工作と幹部の懐に


 ロシア革命で権力を手にしたウラジーミル・レーニン政権は1919年3月、国際共産主義運動の指導センター「共産主義インターナショナル」(コミンテルン)を創設し、欧米諸国への革命の〝輸出〟を画策した

その戦略を支えたのは帝政ロシアの遺産だった。

 「初期のコミンテルン資金はレーニン率いるボリシェビキが革命後に接収した金や財宝を換金してつくられた

 帝政ロシアは世界屈指の金産出国で、第一次大戦前の金備蓄は16億9500万ルーブル(金1311トン)にのぼった。政権は革命後、旧皇室の財宝のほか、教会や銀行からも資産を接収した。

 革命後のロシアと初期のソ連から、大量の金が流出したことが分かっている。金は主にスウェーデンに向けて秘密裏に運ばれ、そこから別の目的地へと分配された。搬出の手法や目的によって、「蒸気機関車の金」や「コミンテルンの金」と呼ばれた。

 前者は、ロシアがスウェーデンに発注した蒸気機関車の代金として払われた金を指す。金を水増しして送る手口が用いられた。

 後者は、コミンテルンに加盟する各国共産党の工作や運動の支援に充てられた。コミンテルンは、ロシア共産党への絶対的服従を求める一方、加盟政党に金銭的支援を約束した。


         ◎        ◎        


 1922年1月1日から4月22日だけで70トンの金がスウェーデンを経由し、主に米国に向かった。

 「どれだけの金がどこに搬出され、誰のものになったか。その完全な情報を知るのは指導部の中の数人だっただろう」
 歴史家のワレンチン・カタソノフはこう指摘し、4人の名前を挙げている。レーニン、秘密警察「チェカー」のトップだったフェリクス・ジェルジンスキー、レフ・トロツキー、後の独裁者となるヨシフ・スターリンである。

 「スターリンは全ての機密資金の流れを把握していた」とカタソノフは見ている。

 もっとも、機密資金が全て加盟政党にきちんと渡ったとは考えられない。ボリシェビキの腐敗が深刻だったからだ。1917~23年に外交官を務めたゲオルギー・ソロモンは現実を目の当たりにし、失望した。


        ◎        ◎        


 「大使館にあった金は全く恣意的に使われていた。革命家―勝者を自任する人々(館員)は人民の資産を自分たちの戦利品だと考えていた。各人が競い合って(公金や物品を)もぎ取り、自らの生活を彩った」。ソロモンは勤務していた在ベルリンの大使館の内情をこう回想している。

 「どれだけ莫大な人民の資金が、世界革命のため、つまりコミンテルンに使われているかはよく知られている」。ソロモンはこう述べる一方、諸外国がソ連を国家承認したことこそが、「過ち」であり「ソ連という脅威」をつくったと批判した。


以上


ロシア革命100年②

ロシア革命100年②
 ETV特集 『ロシア革命 100年後の真実』 17年11月30日
 1917年2月革命でロシア帝政は崩壊したが、この革命は、自由主義者、穏健社会主義勢力を含んでいた。もともと、社会主義は資本主義によって相応に生産力が発展し、矛盾も蓄積した時点で可能になる―というのがマルクス主義者の常識であった。
ロシア革命100年②
 急進マルクス主義勢力、ボリシェビキの指導者・レーニンは生ぬるい2月革命に激怒し、10月革命を起こし、自由主義者、穏健社会主義者、資本家、富農、官僚などを弾圧した。
ロシア革命100年②
 選挙では、農民を基盤とするエス・エルが第一党になり、ボリシェビキは第二党に。レーニンは憲法制定会議を解散(議会制民主主義を否定)し、チェカー(非常委員会:KGBの前身)をつくり反革命とみなした者を即断で銃殺する権限を与えた。最近公開されたレーニンの文書には、「見せしめのため100人以上の富農を絞首刑にせよ。それをできるだけ多くの人に見せる必要がある」と書かれている。「赤色テロ」の犠牲者は50万人とも言われている。
ロシア革命100年②
 赤軍も組織し、白軍と対峙した。共産主義の残虐性をスターリンに帰すものが多いが、レーニンも十分暴力的であった。ロシア革命全体で1000万人~1200万人が犠牲になったと言われている。また、この種の革命を海外にも積極的に輸出した。
ロシア革命100年②
 産経新聞17年11月9日「百年の蹉跌(さてつ)は現在も連載中である。
ロシア革命100年②
 近所のハクモクレン
ロシア革命100年②
 手のひらよりも大きい落ち葉が落ちている。朝夕掃除している。
ロシア革命100年②
 午後5時頃本津川から東方の山並みを望む。山の下のほうに霧様のものがたなびいて美しかった。





  ロシア革命100年②


 産経新聞11月9日『百年の蹉跌』(モスクワ支局長 遠藤良介さん)を抜粋してご紹介します。

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 革命の輸出 ハイブリッド戦の源流 


 2014年2月、旧ソ連ウクライナの政変で親欧米派が実権を握ってから、ウクライナの東部と南部にあるウワサが広がった。「クーデターで発足したファシスト政権により、東部・南部の住民には危険が迫っている」―。

 ウワサの正体は、親露派住民の反乱をたきつけるため、ロシアが流したプロパガンダ(政治宣伝)だった。思惑通りに紛争が広がると、ロシア大統領、ウラジミール・プーチンは特殊部隊を投入して、ロシア系住民が6割を占めるウクライナ南部のクリミア半島を併合した。

 2016年の米大統領選では、ドナルド・トランプ陣営と共謀し、同氏に有利になるようなサイバー攻撃を仕掛けた疑いがもたれている。

 こうしたプーチン政権が仕掛けるサイバー攻撃や情報宣伝、特殊部隊や民兵などを使った〝ハイブリッド戦争〟が、世界政治を撹乱し続けている。

 他国の主権を無視し、さまざまな手法で介入する戦術の起源は、ロシア革命後の時期に求められる。その象徴が、ロシア革命から間もない1919年3月に創設された、国際共産主義運動の指導センター「共産主義インターナショナル」(コミンテルン)である。


        ◎        ◎


 1920年8月、コミンテルンの第2回大会で採択された規約文書には、次のような趣旨が書かれていた。

 〈コミンテルンの目的は資本主義の打倒であり、国際ソビエト共和国の樹立である。プロレタリアート(労働者階級)の独裁は、おぞましい資本主義から人類を開放する唯一の手段だと考える。コミンテルンは、偉大なロシア・プロレタリア革命の成果を完全に支持する。より迅速な勝利を得るために、国際共産主義運動は中央集権的な組織を持つべきだ〉

 つまり、ロシアから革命を〝輸出〟することで「国際ソビエト共和国」を創出する―と宣言したのだ。

 この大会で決められたコミンテルン加入条件に関する文書には、各国加盟政党の活動義務が具体的に記されている。
 「日常的な宣伝と煽動は真に革命的に行う」「ブルジョアジー(有産者階級)とその支援者は系統的に非難する」…。ときには非合法活動も認める内容だった。また随所に、「共産党の細胞」「鉄の規律」といった文言がちりばめられていた。

 レーニンは、自身のボリシェビキ党とロシア革命で実践したことを、そのまま加盟政党に対して指令した。


        ◎        ◎


 コミンテルンの創設と並行し、特務機関の外国での活動も本格化した。

 1920年12月、「反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会(チェカー)」に「外国部」が設けられた。チェカーは革命直後に設けられた政治警察で、裁判なしでの銃殺権が与えられていた。チェカー外国部の活動は国境や道義といった歯止めを失っていた。

 1921年1月には、中国西部の新疆(しんきょう)に逃れていた白軍のコサック頭領、アレクサンドル・ドゥトフをチェカー要員が殺害した。以後、在外亡命者の中にエージェントを置き、対象者を暗殺する手法を多様する。

 外国であっても政敵を「消す」というソ連・ロシアの行動は、この時に始まっていた。 

(敬称略)


以上

 

ロシア革命100年①

ロシア革命100年①
 朝日新聞17年11月4日
ロシア革命100年①
 朝日新聞17年11月17日
 不破哲三さんは久しぶりである。
ロシア革命100年①
 日経新聞17年8月24日
ロシア革命100年①
 毎日新聞17年11月8日
 プーチン大統領は、「革命への評価や見方はさまざま」「過去を客観的に評価しなければならない」と、冷淡である。
ロシア革命100年①
 高松市鬼無町(きなしちょう)の山。桃太郎伝説と盆栽で有名。
 就職してあちこち転勤している間に、子どもの数は減っている(出生数:1949年270万人→1975年190万人。今は100万人を割っている)のに、この中腹に県立高等学校私立の中高一貫校の2校ができていたのでビックリした(今は老人介護施設が増えている)。
 また、私の店の近くに敷地の広い県立高校もできていた。ここは旧高松空港跡地を中心に全国有数の面積の区画整理事業を行ったため可能になったと思われる。インテリジェントパーク(香大工学部、図書館、公文書館、コンベンション施設、研究・支援機関、IBM、NEC、タダノ等々)などもある。
ロシア革命100年①
 香東川(こうとうがわ)東岸のイチョウ並木。すでに裸になったイチョウも。





 ロシア革命100年①


 今年は1917年のロシア革命100年となる。私の学生時代から日本共産党の理論的指導者とみなされていた不破哲三さん(前議長)がこのところメディアにひんぱんに露出している。日経新聞8月24日のインタビュー記事を抜粋してご紹介します。


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 野党共闘 他に道ない

 ◆社会の格差拡大 極端
 ◆自公こそ野合の典型


 ――共産党結党から95年になりますが、政権にたどりついていません。

 「1980年に社会党(現社民党)と公明党が連合政権構想で合意し、共産党排除を打ち出した。共産党との共闘はタブーとする時代が始まり、34年間続いた。過去の政権交代は共産党を排除した結果、失敗した」

 ――共産党が国会前の安保反対のデモで「野党団結しろ」と言わせたとの見方もある。

 「知識人をバカにするもんじゃない。私たちが全戦線を動かしていることは絶対あり得ない」

 ――資本主義をどう見ていますか。

 「危機的な様相を強めている。社会的な矛盾が高まっている。一番大きいのは社会的格差の拡大だろう。資本主義が格差を拡大するのは昔からの法則だが、これほど極端になったことはない」

 ――支持層を広げるため、党名や綱領を見直す考えはありますか。

 「党名はこれが一番魅力的だ。共産党という名前をなくしたら(支持率は)がくんと落ちる」

 ――安倍政権は野党4党の選挙協力を「野合」と批判しています。

 「自民党と公明党こそ野合の典型だ。我々は綱領や世界観が異なっても、国民が求めている当面の一致点を共同して実現する。これが独立した政党の間の共闘の姿だ」

 ――野党共闘で経済はうまくいきますか。

 「安倍晋三さんより、はるかにうまくいく」

 ――将来的に自衛隊は解消する必要があるとの立場は変わりませんか。

 「この段階で国民は自衛隊をなくすことを認めない。新しい政府が平和外交に取り組み、アジアの平和環境を確立し『警察力だけで安心だ』となって初めて手をつける。それまで余分な軍備は縮小するが、日常的には災害などの対策を担い、軍事的危機が起きたら国の防衛任務にあたる違憲状態が続くのはやむなし


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 中国の覇権主義に懸念
 「大国流の態度、警告した」


 共産党の不破哲三前議長は、覇権主義を強める中国共産党の現指導部の姿勢に懸念を示した。スターリン時代の「大ロシア主義」に触れ「かつて世界を押さえた大国の歴史を持っている国は復活する。いまの中国は領土問題でそれがまた始まっている」と指摘。

 沖縄県・尖閣諸島周辺で繰り返す領海侵入や南シナ海での軍事拠点化を挙げ「大国流の態度を見せ始めている。そのたびに警告している」と表明。

 国際政治の現状について「社会主義に到達した国は一つもない旧ソ連は革命後に土台づくりに取り組んだが、、その途中でスターリンが抑圧型の国家に変質にさせた」と指摘。「中国やベトナムは土台作りの過程にある」との認識を示した。


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(感想・意見など)

 私はノンポリであるが、学生時代に1年半大学の寮にいて、寮生の過半は民青員(共産党の下部組織)だと思われた。不破さんは、学生時代に側聞していたこととあまり変わっていない。「相変わらずだなぁ」というのが感想。

 この100年で、世界人口の4分の1以上が社会主義ないしは共産主義の洗礼を受けたが、その間、人民を1億人以上殺している。また、経済が上手くいった国は1カ国もない。

 一方、資本主義は本質的に、不破さんも言う通り、何もしなければ格差は拡大する一方である。そこは累進課税、社会保障政策などで補正する必要がある。かつてゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、日本のことを、「世界で最も成功した社会主義国」と言った。日本では、ある程度、累進課税、社会保障政策などで格差を補正する社会的合意が得られやすいのではないかと期待している。

 不破さんもそうであるが、(レーニンと)スターリンが強権的圧政を敷いたことが共産主義を誤らせたのであって、共産主義は本来は素晴らしいものであるというロマンがあるようである。しかし、訳のわからないロマンのために自由と民主主義と法治主義を危険にさらす訳にはいかない。社会民主主義が限界。共産主義は御免である。


以上


第一次世界大戦から学ぶ③

第一次世界大戦から学ぶ①
 週刊エコノミスト17年12月5日号
第一次世界大戦から学ぶ①
 板谷(いたや)敏彦さん著 (毎日新聞出版) 2160円。
 現在の世界の矛盾はこのときに芽生えていたことが多い。第一次世界大戦から学ぶことは多い。
第一次世界大戦から学ぶ③
 114銀行太田支店前のローソンが、近くに7-11が進出してきたため潰れ、そのあとに民営の学童保育所(塾)とパーク24のような駐車場ができていたが、これもまた最近潰れた。
第一次世界大戦から学ぶ③
 太田の東西の旧道は、200~300m南にバイパスができたので、最近通らなくなった。先日久しぶりに通ったら、上記ローソンを潰した7-11太田駅東店も潰れていた。この辺りは数少ない人口増加地域。流行っていると思っていたが、3年半ほどしかもたなかった。商売は厳しい。
第一次世界大戦から学ぶ③
 サークルK勅使(ちょくし)が、ファミマに転換工事中。店の前は3車線ずつの国道11号線が走り、上は高速の高松道。この店はサークルKとしては繁盛していた。
第一次世界大戦から学ぶ③
 香川県は全国有数の小売激戦地であるが、人口減少時代を見据え、中四国のスーパー、ドラッグストアなどが入り乱れてどんどん店舗を増やしている。郷東町(ごうとうちょう)交差点のミラクルタウンも食品スーパーを来春開店すべく工事中である。近くには既存店としてはマルナカ、CO-OP、きむら、イオンがあり、マルヨシも昭和町に出店する。他人事ながらどうなることやらと心配。
第一次世界大戦から学ぶ③
 最近7-11のお気に入り。(左)皮むきりんご148円、(右)味覚糖 コロッケのまんま160円。「リンゴが赤くなると、医者が青くなる」「リンゴ1個で医者いらず」。リンゴは、血圧を下げ、脳卒中を予防する(弘前大学医学部実証済み)。
第一次世界大戦から学ぶ③
 今日から冬。風強く、寒い。初雪が舞った。アサガオ(ヒルガオ?)は12月でも咲いている。色は薄くなり、大きさは夏の3分の1くらいと貧相だがまだまだ頑張っている。





 第一次世界大戦から学ぶ③


 つづきです。


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 世界はなぜ戦争に突入したのか

 ケインズは激怒した

出口 金融面から第一次大戦を見た時、独墺(ドイツ・オーストリア)などの中央同盟国と英仏露の協商国(連合国)は米国の参戦までどのように戦費をファイナンスしていたのでしょうか。

板谷 基本的に国債で賄っていました。ドイツは、ソビエトと休戦条約を締結した戦争最終年の1918年3月の時点でも、国内で国債の買い手を確保できていました。国民は最後は勝つと信じていたのです。

 一方、英米は、戦後間もない時期から米国での起債を検討しました。米国は交戦国の公債引き受けを禁じていましたが、軍事物資調達向けの信用供与という抜け道を作って対応したのです。連合国の米国における資金調達で活躍したのがモルガン商会(現在のJPモルガン)でした。1915年1月にイギリス陸海軍、春にはフランスと、軍事物質を効率的に購買できるようにするため、自らが代行機関となるべく両者と契約を結んでいます。

 当時、先進国は金本位制を採用していたわけですが、当然、イギリスは開戦とともに紙幣の金兌換を停止したと思っていました。ところが、調べてみたら違った。金融史家R・S・セイヤーズの『イングランド銀行』(東洋経済新報社)によると、ロイド・ジュージ蔵相や大蔵省に勤めていた経済学者ケインズなどの意見により、金の支払いを維持したのです。実は日露戦争でも、日露両国は戦時国債の発行に備えて信用力を保つために金本位制を維持しました。

出口 ドイツも米国で起債したのですか。

板谷 ドイツはできませんでした。イギリスが海上封鎖し、通信網も完全に傍受できる体制を築いていたので、米国にアクセスすること自体が不可能でした。米国にはモルガン商会のライバルで、ドイツ生まれのヤコブ・シフが経営するクーン・ローブ商会があったので、もし米国に行くことができていたらドイツも資金調達できたでしょう。

 もう一つ、第一次大戦の金融面で外せない問題があります。ドイツの戦後賠償です。イギリス政府が当初提示した賠償額は240億ポンドで、最終的には1320億金マルク(約66億ポンド)まで引き下げられましたが、それでも莫大な数字でした。当時、大蔵省にいたケインズは賠償要求金額の原案作成を任され、ドイツの支払い能力を考慮すると賠償額は20億ポンド(当時の日本の一般会計歳出の2倍に相当)が妥当と計算していましたが、全く意見を聞き入れられなかったのです。ケインズは当時書いた『平和の経済的帰結』の中で「(ドイツの)破綻は目に見えている」と連合国側を激しく非難しています。

出口 1320億マルクは、現在の価値に直すと日本の市民一人当たり1000万円と試算する人もいます。こんな金額を払えるわけがありません。必ず反動があることは目に見えていました。板谷さんも著書の中で指摘していますが、第一次大戦が第二次大戦を引き起こしたのは明らかです。戦争は、始める時よりも、終わらせる時にこそ知恵が求められます

 よく第一次大戦前と現在の状況は似ているという議論があります。しかし似ている時代なんてどこにもありません。前提が変わっていますから。でも、当時の状況を丁寧に見て歴史から学ぶことで、指導者はもっとしっかりしなければならない。外交は情報収集がカギを握るなど、歴史から教訓を得ることはいくらでもできます

板谷 同感です。歴史を学ぶということは、多様な過去の出来事からエッセンスを抽出し、条件の異なる現代の出来事を正しく理解することに尽きると思います。

(構成=花谷美枝さん/成相裕幸さん・編集部)

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(感想・意見など)


 話は少し変わる。ケインズとは、経済学者として有名なジョン・メイナード・ケインズである。ケインズは、先の見える人だった。、上記の仕事の他にも、IMF(国際通貨基金)創設に関わった。

 1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州に世界44カ国の代表団700名以上を集めて、第二次大戦後の世界の経済秩序を決定づけるブレトンウッズ会議が開かれた。その際、イギリスを代表して参加したのがケインズであり、アメリカを代表して参加したのが財務官僚のハリー・デクター・ホワイトである。
 IMFは、結局は国力のあるアメリカのホワイト案に近いものとなり、以後ドルが世界の基軸通貨となった。

 ホワイトは、その他にも世界史を動かすような重要な仕事をしている。ホワイトは、フランクリン・ルーズベルト政権のヘンリー・モーゲンソー財務長官の下で財務次官補を務めた。日本が対米協調を断念し太平洋戦争開戦を決意した「ハル・ノート」の原案を作成した。内容は、日本が呑めない最後通牒とでもいうべきものであり、日本を対米開戦に追い込んだ。また、ソ連に有利になるように働いた

 のちに、ソ連のスパイであることが判明している。共産主義者であると告発され自殺(他殺説もある)。ルーズベルト政権には200~300人のソ連のスパイがいたことが分かっている。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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