戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 日経新聞18年5月1日

 5月の「私の履歴書」はモフタル・リアディさんインドネシア生まれの華人。中国名は李文正。1929年(世界大恐慌の年)生まれで89歳。インドネシアでリッポーという企業を創業し今も会長。リッポーの中核事業は、土地開発事業・生活関連事業と情報通信事業。グローバル企業であるが、グループ全体の売上は70億ドル(7600億円)。インドネシアの華人財閥では5本の指に入るという。

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 日経新聞18年5月2日

 モフタルさんは、1929年、オランダ領インドのジャワ島で生まれた。そのころインドネシアと言う名前の国は存在していなかった。お父さんの李亜美さんは中国福建省から活路を求めてジャワ島東部のマランに渡ってきた。出入国は容易で人々は中国と東南アジアを頻繁に行き来していたという。

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 日本の戦国時代は、15世紀末から16世紀末。そのころを描いた有名な映画が黒澤明監督の「七人の侍」
戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 (講談社学術文庫)

 英国婦人のイザベラ・バードは1894年から1897年まで4回朝鮮を旅した(因みに朝鮮をめぐって日本と清が戦った日清戦争は1894年から1895年)。李朝末期の朝鮮は日本の古代のようであった

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 産経新聞18年3月10日

 これは現在の中国である。

 ①中国新疆ウイグル自治区で、数十万人規模のウイグル族ら少数民族住民が「再教育」名目で拘束され共産党施設「思想改造センター」などに収容されている

 ②中国最高人民検察院(最高検)の検察長は、全国人民代表大会(全人代=国会)で活動報告を行い、習近平指導部発足後の2013~17年の5年間に汚職事件で立件した公務員は25万4400人余に上ったと発表した。

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 近くの神社の猫。この猫は私が神社の境内に入る10メートル前から近づいてきた。
戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 この猫は目つきが悪く、決して人を近づけない。
戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 ハナミズキは終わり、はしなびて、ツツジも椿も盛りは過ぎた。
 ただ、この藪の中で「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ…」とウグイスが完璧に鳴いていた。荘厳な感じがした。




  戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)


 ■日経新聞5月の「私の履歴書」を読んでいたら、1930年頃の中国の様子が分かり、興味深い。抜粋してご紹介します。


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 5か月で中国へ、戦乱生きる


 (ジャワ島東部)マランに生まれついた私だが、生後5カ月で中国へと向かった。福建省に住む祖父が病気と言う知らせが入り、父は私と母を連れて実家に赴いた。父は長男であり、福建省に残した家族を気にかけていた。

 病気の祖父は私たちが着いてからほどなくして亡くなった。祖母の世話をするために母を実家に残し、父はマランへと一人で帰って行った。私は母と一緒に(福建省の)新店村で生活することになった。当時の新店村にはおよそ200戸、千人あまりが住んでいた。村人の姓はみんな私と同じ李であり、一家族だけが陳だった。

 昔の中国の村は同じ姓の宗族が集まり、団結して暮らしていた。先祖が村に移り住んできてから父の代で6代目になる。

 そのころ中国は戦乱の時代だった。南京に国民党政府があったとはいえ、実際は各地の軍閥がなお力を持っていた。福建省でも武装勢力がはびこり、北側の軍と南側の軍が押したり引いたりを繰り返していた。新店村は福州とアモイをつなぐ道路に近いため、常に危険にさらされていた。

 戦闘が始まれば軍隊は村の近くを必ず通っていった。軍隊は村人にとって恐ろしい存在だった軍隊が近づけば村人は山に逃げた。山の墳墓のなかに隠れて軍隊がいなくなるのをじっと待った。戦闘は1~2カ月に1度はあり、そのたびに村人は身を隠さねばならなかった。

 夜になると出没する土匪(どひ)と呼ばれる強盗集団も恐ろしかった。村は細長い道に沿って住居が並んでいたが、道の両端に砦(とりで)を築いて外部からの侵入を防いだ村人は毎夜交代で見張りを続け、土匪に備えた。土匪同士の争いもあり、銃を撃ち合うこともあった。

 戦乱が続き、治安が極度に悪化するなかで、祖母は私の行く末を心配し始めた。マランにいる父に対し、一刻も早く私を連れて帰ってほしいと懇願した。


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イザベラ・バードの『朝鮮紀行』の第十四章「満洲」から抜粋してご紹介します。


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 馬賊は統制がとれていて武装しており、官軍との衝突も辞さず、また勝つことが多い。官軍の要塞を奪ってしまうことすらある。太平天国の乱(1851年)で官軍兵士が満洲から出払っていたとき、こういった馬賊はいたるところに混乱と恐怖を引きおこし、町や村を襲っては、征服欲(!)によりその町や村を支配したものである。

 それでもなお状況は悪く、馬賊は必要悪と見なされるようになり、「協定が結ばれて」いる。馬賊は平気で人命を奪い、南部から来た裕福な商人を捕まえると、その商人のギルドに使者を送って身代金を要求する。そして支払いを延ばすようなら人質の首をはねてしまうぞと脅すのである。

 冬季、泥土の固く凍ったときのみが陸路で物資輸送のできる時期で、牛荘、奉天など南部の都市からラバが引いて出発する。百台もしくはそれ以上の荷車の長い列が見られることがある。荷車はそれぞれ小旗を掲げているが、これはすなわち、馬賊の首領の仲介人にしかるべき貢(みつぎ)を渡しており、輸送中の略奪は行われないというしるしなのである。

 のちにわたしがシベリア・満洲の国境を訪ねたとき、馬賊はたいへんな勢力を持っており、なかば飢えた清国軍の脱走兵がそれに加わってあたり一帯を荒らすので、恐怖におびえた農民は農地を放棄して逃げ出していた。


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(感想・意見など)

 中国は、中央の統制、コントロールが弱まった時、必ず上記のような状態になる歴史を繰り返してきた。


以上


済州島4・3事件

済州島4・3事件
 産経新聞18年4月4日
済州島4・3事件
 朝日新聞18年4月4日
 その他の新聞もこの追悼式の模様を伝えている。
済州島4・3事件
 コナズ珈琲栗林公園店。確か16年の秋開店。トリドールが丸亀製麺→クローバー珈琲→コナズ珈琲と業態転換してきた。いつも駐車場がいっぱいであったが、先日やっと入れた。
済州島4・3事件
 店内。友人と一緒に軽く食事したが、なぜこれだけ流行っているのかは分からなかった。
済州島4・3事件
 昨年末にできた星乃珈琲田村町店。コナズから車で5・6分。近ごろコナズは以前ほど混んでいないという人もいる。お客様が分散した可能性がある。商売ではよくあること。
済州島4・3事件
 高松中央図書館前のケヤキ。ここ3日くらいで急に若葉が出てきた。一日一日緑が濃くなっていく。





 済州島4・3(さいしゅうとう・よんさん)事件


 産経新聞4月4日の「済州島4・3事件」の解説記事を引用します。

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 1948年4月3日、分割統治下の朝鮮半島の南側で単独選挙が行われる動きに、南朝鮮労働党が反対し済州島で武装蜂起。鎮圧過程で多数の死者が出た。死者数は諸説あり、少なくとも島民1万4200人が犠牲となった。武装蜂起と関係のない市民も多く巻き込まれ、2万5千~8万人との分析もある。事件当時、難を逃れた大勢の島民が日本に渡った


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(感想・意見など)

 済州島4・3事件は朝鮮戦争以前の出来事である。朝鮮戦争勃発時には「保導連盟事件」が韓国各地で起きている。

 共産主義からの転向者やその家族を再教育するため設立された「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人を韓国各地で大量虐殺した事件。犠牲者は20万人とも120万人とも言われているが、全貌は未だ不明である。

 済州島4・3事件や朝鮮戦争時日本に密入国した者やその子孫が、現在の在日朝鮮・韓国人の多数派を占めている。

 朝鮮半島で戦争または大きな政変が起きた時には左派(従北派)と保守派の衝突が起きる可能性が高く、70年前同様、大勢の人が日本に逃れてくると思われる。対応を考えておくべきである。


以上


韓国の歴史教科書はインチキだ!〈再)

韓国の歴史教科書はインチキだ!
 週刊文春14年1月30日号
韓国の歴史教科書はインチキだ!
韓国の歴史教科書はインチキだ!
 (明石書店) 韓国の中学生が全員学ぶ国史教科書全訳。デタラメ。
韓国の歴史教科書はインチキだ!〈再)
 ハクモクレンはそろそろ散りだした。
韓国の歴史教科書はインチキだ!〈再)
 高松市レインボーロードの陽光桜はほぼ満開。今日、香東(こうとう)川の川岸を車で走ったが、ソメイヨシノは2~3分咲き。今週末が満開か?





 韓国の歴史教科書はインチキだ!(再)


 韓国人はことあるごとに日本人に対して「正しい歴史認識を持て」と言うが、戦後数十年間にわたってデタラメな歴史教育をしてきたのは韓国のほうである。60歳代以下の韓国人はデタラメな歴史を教えられてきた(北は恐らくもっとデタラメ)。それが文在寅(ムン・ジェイン)左派政権によってもっとひどいものになりそうである。

 2014年2月13日のブログを再録します。


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 週刊文春14年1月30日号の韓国に関する記事を抜粋してご紹介します。



 韓国名誉教授が実名告発
 「わが国の歴史教科書はインチキだ!」


 韓国国内で歴史教科書問題が波紋を呼んでいる。右派(保守派)の執筆陣による数学社の教科書が日本支配を肯定するような親日的な内容であると、左派(進歩派)に批判され、この教科書を採択していた高校も反対を受けて採択を取り消した。

 韓国の右派の重鎮である成均館大学校名誉教授の李大根は専門は経済学だが、教科書問題にも長くかかわってきた。左派からの理不尽な批判にも負けず、学生たちに正しい歴史を教えるべきという声を上げている

 「韓国には2300校ほどの高校があります。今回、数学社の教科書を採択したのは20校ほどでしたが、反対を受けて結果的に採択数はゼロになってしまいました。

  韓国にも日本の日教組にあたる全教組(全国教職員組合)がありますが、反対運動は韓国の方が大きい。日本では反対といっても物理的な抗議はないでしょう?韓国では市民団体が採択した高校に押し掛けた」


 韓国では右派と左派の対立が鮮明だ。それは日本と北朝鮮をどう捉えるかによって分かれている

 「以前は、国定教科書であったために教科書がそこまで問題視されたことはなかった。それが民間出版社による教科書を検定する方式になり、左派の金大中政権を経た事で問題が顕在化し始めた。そこで開かれたのが、『教科書フォーラム』でした。そこで一般的に使われている教科書を検討すると、中身がほとんどインチキで、歪曲に満ちていた


 例えば、終戦の1945年から今日に至るまで、韓国の歴史を見れば朴正熈(パク・チョンヒ)時代の経済発展は強調すべき大きなファクターであるにもかかわらず、ほとんど記述がない。その代わりにあるのは労働運動や民主化運動に関することでした。客観的な歴史的事実がほとんど書かれていなかったのです」

 これ以外にも数々の問題点がこれまでも指摘されてきた。たとえば竹島についても韓国が一方的に実効支配をはじめたのは1952年のことだが、以前から自国の領土だったと主張したいがために、1910年の日韓併合以前も朝鮮政府が管轄していた、などのありもしない事が書かれている

 「さらに、検討で明らかになったのは、執筆者が数名の若い大学教授と、中学校、高校の若い教諭だということ。しかも出身大学や専攻なども明らかにされていなかった。歴史学の元老と呼ばれるような研究者は執筆陣に入っていなかった。まともな研究者であれば、記述するか悩むまでもないことが入っていない。それすらわからない中学校、高校の教諭が教科書を執筆するなど、国の面子に関わる、非常に恥ずべきことです」


 なぜこのような事態になったのか。
 
 「朝鮮戦争で朝鮮半島は北が社会主義、南は資本主義という形に分断されました。大学の歴史学の主流を占めている教授は、資本主義が嫌いで、社会主義の理念を持った左派が多いのです。反日民族主義です。左派の考える歴史においては、対日独立運動をした北朝鮮が正当です。
 
 歴史学がこのようになってしまったのは、朴正熈時代に遡ります。歴史学はそれまで一つだったのを、韓国史、西洋史、東洋史と三つの学科に分けた。もともと韓国史の研究者は民族主義でしたが、韓国史が学科として独立したことで、歯止めがかからなくなった」


 それでは、増大する左派に対する右派の主張はどのようなものか。李氏によれば、それは「韓国の経済成長に日本は欠かせなかった」というものだ。

 「まず、私は韓国には二度の産業革命があったと考えています。一つは日本統治下の30年代前半からの時代もう一つは60年代の朴正熈時代の『漢江(ハンガン)の奇跡』といわれる経済発展です。
 
 前者は『植民地近代化論』と言われます。日本統治下で社会間接資本、鉄道や道路、電力などが整備された。さらに身分制度の解体などで近代化が推し進められました。この時期に朝鮮半島は平均3.7%の経済成長をしていました。当然、日本人の投資によって朝鮮半島の資源や施設は日本の物となっていきました。しかし、韓国人が豊かになったこともまた事実です。
 
 ここから目を背けてはいけません。経済学者には認めている人は多いのですが、左派は絶対に認めようとしません教科書の記述にも一切登場せず、植民地時代の35年間が空白になり、45年8月15日の『光復節』に飛躍しています」

 後者の「漢江の奇跡」には65年の日韓基本条約が大きく関わっているという。


 日本からの資金で工業化が進んだ

 昨年7月、戦時中の強制徴用に関して、韓国の高裁が新日鉄住金に賠償金の支払いを命じた。しかし、「韓国に対する日本の経済協力、及び、両国間の財産、請求権の完全かつ最終的な解決」がなされた日韓基本条約では、請求権は全て韓国政府に属すと定められており、個人の請求権は認められていない。このとき日本は「問題解決金」として5億ドル以上の資金も支払っている。この資金が60年代の経済成長に寄与することになったと李氏は言う。

 「韓国のいう『戦時賠償』はこの段階で終了している強制連行も、慰安婦への賠償もこの中に入っている

  高裁の判決についてですが、韓国の司法、行政府、教育、メディアなどは、65年の条約の中身を勉強していない。どういう過程を経て妥結したものなのか、知識を持っていないためにああいった判決をしていまうのです。
 
 現実には、韓国はこの資金によって、ソウルと釜山(プサン)を結ぶ京釜高速道路を整備し、浦項(ほこう)製鉄所も生まれました。請求権の資金によって工業化が推し進められていった。こういった面を否定的にしか捉える事が出来ないのが、今の韓国です」


 韓国における左派勢力の拡大は歴史教科書に留まらない。今やあらゆる問題について広まってしまっている。李氏のような右派の主張は「親日的」として批判されているのが実情だ。

 昨年来、反日に凝り固まる朴槿恵パク・ウネ)大統領も本来は保守派に属する。彼女もやはり、ジレンマを抱えているという。

 「先の大統領選では、朴大統領は左派民主党の文在寅と争って就任しました。しかし、得票率はほぼ半々で、僅差の勝利でした。国政の面でも左派の力が大きくなっている。
 
 その状況で政権の方向性の判断を迫られた朴大統領は、結果的に民族主義的な方向性を取る決断をしたということです。
 
 ただ、朴大統領は今、相当悩んでいるのではないでしょうか。彼女は公約に『経済の立て直し』を掲げました。本来、経済の発展は民族主義ではあり得ない。『主体思想』を掲げる北朝鮮の経済状況を見れば自ずと分かることです。だから左右の対立は言いかえれば、民族主義と国際主義の戦いです。日本とも協力して国際主義を取らなければ経済の立て直しなどあり得ないのに、民族主義の方向へ行っている。それが朴大統領の抱える矛盾でしょう」


 問題解決には民族主義の克服が必要

 朴大統領は今月6日の記者会見で「南北統一が経済発展に繋がる」と言及した。「統一を話題にしたということは、民族主義に傾いている証左。就任以来、中国との関係を強化しているのは、統一を志向しているからでしょう。中国の了解がなければ北朝鮮との関係には踏み込めませんから」

 日韓関係の行く末について李氏は最後にこう話した。
 「朴大統領は3年で異常なことを正常化する、と言っていますが、日韓首脳会談をはじめ、まだ多くが異常なまま。問題を解決しようとすれば、民族主義の克服しかない。そこにしか糸口はない。今のままでは、韓国は技術も経済も、日本に追いつけません」


以上


韓国の歴史

韓国の歴史教科書はインチキだ!
 週刊文春14年1月30日号
韓国の歴史教科書はインチキだ!
韓国の歴史教科書はインチキだ!①
 (講談社学術文庫) ★★★★★
韓国の歴史
 ハクモクレン




 2014年2月12日のブログ「韓国の歴史教科書はインチキだ!①」を再録します。

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 韓国の歴史教科書はインチキだ!①


 残念ながら韓国・朝鮮には誇れる歴史がない。日本が明治維新を経て急速に発展している同時代に、朝鮮半島は奈良時代のようなあり様であった。国中道らしき道もなく、糞尿だらけで、虎が人を襲っていた。学校も病院もほとんどなかった。貨幣制度も発達していなかった。商業らしき商業もなく、工業は全くといっていいくらいなかった。軍隊もほとんどなく(3千人程度)、必要な場合は中国(清)に頼っていた。

 李氏朝鮮王朝が永遠に続くよう考えられた私(し)王朝だからである。私だけがあって公(おおやけ)がなかった。汗を流して働くことは忌み嫌われた。まれに働き者がいて財産を作ったと知れると、両班(ヤンパン)など貴族にとり上げられた(財産のみならず婦女子も)。それでは、停滞するしかない。李氏朝鮮は、現在の北朝鮮の金王朝から軍隊を除いたようなものである。人民が何十万人、何百万人餓死しようが知ったこっちゃない。王様一族のためだけの国である。北朝鮮を見ても分かるように、一族の中でものべつ幕無しに党派争い、私闘をしている。


 ロシアは寒い国である。本能的にを目指す。当時は世界中でタイと日本以外すべて欧米・ロシアの植民地であった。海軍はイギリスが世界最強陸軍はロシアが世界最強であった。ロシアの周辺国はすべてロシアの南下政策を恐れていた。日本は、ロシアに満州、朝鮮をとられることを恐れていた。ロシアに朝鮮をとられたら、のど元にあいくちを突きつけられたも同然。次は日本が侵されかねない。

 日本は朝鮮に世界情勢を説き、覚醒を促したがうまくいかない。(福沢諭吉などは)両班階級の若手を留学生として受け入れ教育し、改革を図ったがすべて潰された。朝鮮をめぐり日清戦争、日露戦争が起こり、勝利した日本が韓国を支配することになった。


 1894(明治27)年から4回(日清戦争の前後にあたる)朝鮮を旅行した英国夫人のイザベラ・バード女史は『朝鮮紀行』の最後にこう書いている。

 わたしは、朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それにはふたつの条件が不可欠である。

 1.朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。

 2.国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。


 
 1.は、李氏朝鮮が5百年以上にわたり中国に従属し、あまりにも深く儒教(朱子学)・華夷秩序の影響を受け過ぎている(骨の髄まで侵されている)ため内部からの改革は不可能との判断である。

 2.は、1とも関連する(中国・朝鮮とも王朝は徹底的に私)が、李氏朝鮮が王様一族だけの国で王の「恣意」のみで治められてきたが、法による支配「法治」、つまり王といえども法の支配を受けるべき、との意味である。


 韓国の教科書には、以上のような史実が書かれていないインチキ教科書である。誇れる歴史がないため同情はするが、未来のためにも事実は事実として学ぶべきである。


つづく


日本ほど「お人よし」の統治者はいない

日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 産経新聞18年1月14日
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 朝鮮半島。日本が日清戦争、日露戦争を戦ったのは、大韓帝国がフラフラしていて、朝鮮半島を清やロシアに獲られるのを恐れたからである。獲られると、喉元に匕首(あいくち)突きつけられたようなもの。伊藤博文は「恐露病」と言われたほどである。韓国併合は諸外国も認めていた。素人考えであるが、北緯39度線(平壌―元山ライン)以北は清やロシアとの緩衝地帯とし、開発はそれ以南とするわけにはいかなかったのだろうか?
韓国併合挫折した間接統治
 李朝末期の首都・京城(ソウル)。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 京城帝国大学(一部)。大阪、名古屋に先んじて帝国大学を作った。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 京城郵便局。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 朝鮮ホテル。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 朝鮮ホテルのサンテラス。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 世界最大級の水豊ダム。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 製鉄所。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 干拓地。
日本ほど「お人よし」の統治者はいない
 いろいろなところでハクモクレンが咲いている。





 産経新聞18年1月14日 文化部編集委員・喜多由浩さんの「海峡を越えて」の1回目を抜粋してご紹介します。


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 日本ほど「お人よし」の統治者はいない


 他民族の統治において、日本ほど、お人よしで、おせっかいで、一生懸命にがんばった国はない。かつての朝鮮、台湾の統治、あるいは日本が強い影響力を行使した満洲(現中国東北部)の経営。当時の日本の国力からすれば、過重な負担に耐えて莫大な資本を投入し、近代化を助けた。

 資源や労働力を極限まで搾り取ったり、現地人にロクな教育を与えない愚民化政策も行ったりしなかった。鉄道や道路を敷き、鉱工業を興し、商業、農業、林業を活性化させ生活を富ませた。学校や病院を建て、近代教育制度、衛生環境を著しく向上させたことは疑いようがない。

日本が朝鮮統治時代につくった鉱工業施設や発電所の多くは現在の北朝鮮地域にある。日本が残した資産は現価で8兆円以上。戦後、北朝鮮は、それを「居抜き・タダ」でもらったおかげで1970年代初めまで経済面で韓国より優位に立つことができた。

 外地初の帝国大学として大正13(1924)年=予科開設、学部は2年後、現在の韓国ソウルに創設された京城帝国大学は、東京帝大や京都帝大よりは遅いが、大阪帝大や名古屋帝大よりも早くつくられている。

 卒業生は戦後、韓国の政、官、財界リーダーとして活躍した。韓国軍草創期の将官も日本の陸軍士官学校や満洲国軍軍官学校出身者が多い。

 朝鮮総督府が大正15年につくった公的な唱歌集「普通学校(小学校)補充唱歌集」には朝鮮語(ハングル表記)の歌がたくさん収録されている。主に公募によってつくられたオリジナル歌詞は朝鮮の偉人や名所旧跡、景勝地を歌ったものが多い。現地言語をつかったオリジナルの学校唱歌は、親日的な台湾や、満州でも例がなく、朝鮮だけだ。

 南北を問わず朝鮮民族にとって最も親しみを感じる歌「アリラン」は同じ、大正15年に公開された同名の映画の主題歌が元になっている。しかも、映画の内容は、「日本の威を借りた悪徳地主に抵抗して処刑されたとされる男」が主人公。それが検閲をパスし堂々と現地で公開されている。日本の統治は、〝お人よし〟と言わざるを得ない。

        ■        ■

 もちろん、統治者と被統治者が同じ歴史観を共有することなどあり得ない。韓国は、この時代を日帝時代と呼び教科書には数々の〝悪行〟を言葉を極めて罵り「民族抹殺」と書いて子供たちに教えた。

 何しろ、華夷秩序の中華思想(小中華)が染みついた民族である。儒教文化的に劣っている連中だ、と「上から目線」で見ていた日本人に支配されてしまったのだから怒りは倍加する、悪いことは全部「日本のせい」となって事実でないことまで妄想は膨らんでしまう。揚げ句、「日帝」にかかわったというだけで子々孫々まで指弾され、財産も取り上げられた。

 慰安婦問題や徴用工問題など、国同士で約束したことを平気でホゴにし、世界中に日本の悪口を言いふらし続ける…。

 もうウンザリではないか。確かに日本が必要以上に〝がんばった〟のは単なる善意ではなく当時の為政者が「日本の国益にかなう」と判断したからだろう。他民族を統治する上では強圧的な行為や差別がなかったとは言わない。つらい目に遭ったり、屈辱を感じたりした人も多かったと思う。だが、すべてを「ゼロ」、あるいは「マイナス」としてバッサリ斬捨ててしまうのは、お互いのためにはならないし、未来志向でもない。

 日本統治時代、飛躍的に豊かになった朝鮮の人口は倍増した。海峡を越えて、日本へやってきた朝鮮人には、戦後のスーパースターのひとりに数えられるプロレスラーの力道山、紅白歌合戦にも出場した歌手の小畑実、日本一の美声とうたわれたテノールの永田伝絃次郎(げんじろう)ら文化・スポーツ関係者も多い。

 反対に情熱と志を抱いて海を渡り、朝鮮の近代化に尽くした日本の民間人も数知れない。


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 以下、2014年4月7日のブログ「朝鮮総督府の政策」から一部をコピーします。


【朝鮮総督府政策一覧】
併合時(1910)~終戦時(1945)

■ 教育の普及 ほぼ皆無 → 小学校5,213校建設、生徒数2,389,135人。
■ 京城帝国大学創設(1924)、旧ソウル師範学校(現ソウル大学)、梨花女子大など1000校以上建設
■ 朝鮮国民に教育を実施し、就学率を61%まで高めた(1944)
(ハングルを整備し体系化させ、漢字、日本語と共に普及させた)
■ 識字率  3-8% → 80%
■ 人口 1313万人 → 2,512万人(1944)
■ 平均寿命 24歳 → 56歳
■ 鉄道 3,827km敷設
■ 耕地面積 246万町歩 →449万町歩
■ 水田面積 84万町歩 →162万町歩(1928)
■ 石高(米の生産量)約1千万石 →2千万石(1930)
■ 反当たり収量 0.49石 →1.49(3倍)
■ 植林 禿山に30年間で5億9千万本を植林
■ ため池(韓国国内のため池の半分は、いまだ日本帝国謹製)
■ 朝鮮の不統一な度量衡を統一し、貨幣価値の安定と物資の流通に資した
(モノを受けるときは大きなマス、売るときは小さなマスを使っていた両班ヤンバンの特権剥奪)
■ 地籍の整備 耕地を耕作者の所有とみなし、朝鮮の大多数を占める農民の地位と生活を向上させた
■ カオスな朝鮮半島に、人身の自由、私有財産の保障、法のもとの平等を導入
■ 幼児キーセンと呪術的医療の禁止
■ 李氏朝鮮の残虐な拷問を廃止
 (日本人相手に殺人を犯した金九でさえも一年半で刑期を終えるように罪刑法定主義を徹底)
■ 家畜階級にあった朝鮮女性に対して名前をつけるように要求し、家長の権限を制限
■ 洪中将、金ウンソン少将など、朝鮮人を分け隔てなく扱い、軍の高位に抜擢

■ 強盗件数
昭和2年   1771件
昭和7年   1261件
昭和12年  727件
昭和17年  394件
 ( 強盗件数:朝鮮総督府『統計年報』より)


日韓併合後、日本は朝鮮半島を日本本土と同じと考え、日本国民の莫大な税金(国家予算の約2割)を注いで、朝鮮を近代化させた。

日本の敗戦後、韓国はアメリカによって独立し、結果的に日韓併合は日本に莫大な経済的損失をもたらした。

 (イギリス、フランス、オランダなどは、植民地が独立する際、残していくインフラなどの資産価額を請求した)

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 日本は、残していくインフラの資産価額を請求することもなく、1965年の日韓基本条約で総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の資金を援助、技術支援も行い、漢江(ハンガン)の奇跡に貢献した。8億ドルは、当時の韓国の国家予算の約2.3倍である。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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