「テツオ」さん


  「テツオ」さん


「テツオ」さん
 15年11月4日号 an・an 「京都特集」のため保存している。

 巻末に林 真理子さんのエッセイ「美女入門」。1月に連載1千回を超えたとか。
 このエッセイの中で林さんはしょっちゅう自慢たらしく(ほかの女性に対して)上から目線でマガジンハウス編集者の「テツオ、テツオ」と書いていた。てっきり○○テツオとばかり思っていたら鉄尾周一だとか。
 私は、「平凡パンチ」から「an・an」「クロワッサン」「ポパイ」「オリーブ」「ブルータス」「ターザン」などマガジンハウスの雑誌はほとんど創刊号から読んでいる。東京にいたときは銀座の社屋まで行ったこともある。
 
「テツオ」さん
 週刊朝日18年4月27日号「マリコのゲストコレクション」

 その鉄尾さんは今や取締役。そして林さんが「テツオ、テツオ」と自慢たらしく言う通り、この渋さ。
 その上、いまや大ベストセラーになっている吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の企画者だという。4月現在で漫画版が200万部、原作の新装版が50万部だとか!
 
 私は学生時代に家庭教師のアルバイトをしていて、本の好きな子になってもらいたいと思って、いいと思った本を月に1冊プレゼントしていた。「君たちはどう生きるか」をプレゼントした記憶がある。
 昔から気になっていた人がうまくいっているのを聞くのはいいものである。
 
 「私の相棒といおうか、疑似恋人の役割を果たしてくれた編集者のテツオは、全国的な人気者となり、どこへいってもモテモテだったそうだ」。
 鉄尾「まあ、カタカナの『テツオ』というのは林さんの想像上の人物なんですよ。だから実物に会った方が幻滅しないように、いつも身を潜めていました(笑)」
 「そうなんです。おかげで結婚できなくなっちゃってすいませんでした(笑)」
 鉄尾「後悔先に立たずで(笑)」

 「『君たちはどう生きるか』じゃなくて、『テツオはどう生きるか』」。
 鉄尾「アハハハ」。

「テツオ」さん
「テツオ」さん
「テツオ」さん
 庭にいっぱいツツジが咲いた。Spring has come(今日は初夏みたいだったけど…).


 (今夜は前にいた会社のOB会でした。26名集まりました。同じ釜の飯を食った仲というのもいいものです)


以上


幕末のヒュッゲ名人…橘曙覧(たちばなのあけみ)

 
 近ごろ朝日新聞がデンマークの幸福概念hygge(ヒュッゲ)を持ち上げ始めた。朝日はつい30年前までは、ソ連や中国や北朝鮮を持ち上げていた。今度は北欧らしい。ヒユッゲとは、「心地よさ」とか「くつろげる状態」「ほっこりした状態」らしいが、海外に例を探すまでもなく、日本の幕末にヒュッゲ名人がいた。橘 曙覧(たちばなのあけみ)である。

 2013年1月17日のブログ「橘 曙覧」を再録します。


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橘 曙覧(たちばなのあけみ)
 徳島新聞13年1月13日
幕末のヒュッゲ名人…橘曙覧(たちばなのあけみ)



 
 近ごろ、なぜか幕末の歌人橘 曙覧たちばなのあけみ)について書いたものを目にすることが多い。私は歌にはうといが、大好きな歌人である。正岡子規も「万葉以後の歌人4人のうちのひとり」と絶賛している。

 
 徳島新聞13年1月13日の「日曜コラム」に特別編集委員の岩木 敏久さんが、橘 曙覧について書いている。抜粋してご紹介します。



たのしみは幕末の歌人に教えられ


 〈たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい 頭(かしら)ならべて 物をくふとき〉

 幕末を生きた福井の歌人橘 曙覧たちばなのあけみ)(1812~68年)の歌である。

 「独楽吟どくらくぎん)」と題された連作(52首)の中の一首で、どの歌も「たのしみは…」で始まり、「…する時」で終わる。家族のことや暮らしのあれこれを、思うままに詠んでいる。


 曙覧は、今の福井市内にあった文具商(紙、筆、墨、薬などを商う)の家に生まれた。28歳の時、家業を異母弟に譲り、家を出て隠棲。国学と和歌を学んだ。

 妻と男の子ども3人の5人家族。先に女の子ども3人を亡くしている。定職はなく、生活は貧しかったが、家族仲、夫婦仲は良かったようだ。こんな歌もある。

 〈たのしみは 家内五人(やうちいつたり) 五(いつ)たりが 風だにひかで ありあへる時〉

 〈たのしみは 機(はた)おりたてて 新しき ころもを縫()ひて 妻()が着する時〉

 150年後の今、家族がばらばらの時間に食事をする「個食」も珍しくない。だがやはり、家族みんなが健康で仲良く食卓を囲むことこそ、幸せの原点なのだ。


 
 〈たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで 無かりし花の 咲ける見る時〉

 1994年に訪米した天皇皇后両陛下の歓迎式典で、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチにこの一首を引用、曙覧とこの歌を一躍有名にした。


 〈たのしみは あき米櫃(こめびつ)に 米いでき 今一月(ひとつき)は よしといふとき〉

 〈たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき〉


 曙覧54歳の時、福井藩主、松平春獄しゅんがく)が曙覧のあばら家を訪れた。
 春獄は、その家の粗末さ、汚さに驚く一方、机に積み上げられた書物の山を目にした。

 かたちは貧しく見えるけれど、曙覧の心のみやびはまことに慕わしい。歌だけでなく、心のみやびを慕い学ばなければならない、と書き残している。さすが幕末の名君といわれた人物である。

 春獄は、登城して古典の講義をするよう勧めたが、曙覧はこれを固辞。生涯、清貧に甘んじ、風雅の生活に喜びを見いだした。そんな曙覧が子どもに残した言葉は、

 〈うそいふな ものほしがるな からだだわるな(なまけるなの意)〉


 今の時代、「独楽吟」に教えられることが多そうだ。


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(感想・意見など)


 トルストイの「アンナ・カレーニナ」冒頭の言葉を思い出す。「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」


 先のコラムで岩木さんが触れていなかったが私が最も好きな歌がある。

 〈たのしみは まれに魚(うお)煮て 児等(こら)がみな うましうましと いひて食う時〉


 先年亡くなられた歌人の河野 裕子かわの・ゆうこ)さんにもよく似た好きな歌がある。

 〈しっかりと 飯を食はせて 陽にあてし ふとんにくるみて 寝かす仕合せ〉



以上
 

哀悼:住田正二さん

哀悼:住田正二さん
 讀賣新聞18年1月6日「編集手帳」
哀悼:住田正二さん
 讀賣新聞18年1月6日「住田正二氏評伝」
哀悼:住田正二さん
 讀賣新聞18年1月6日
哀悼:住田正二さん
 住田正二さんの著書 左:朝日新聞社、右:読売新聞社
 私は20年くらい前にこの2冊を買って読んだ。驚いたことに、元運輸事務次官が書いた本である。「官」のデタラメについてこれほど正確な本はない。JR東日本初代社長の時に、「国鉄時代と反対のことをすればうまくいく」と発破をかけた人である。
 『お役人の無駄遣い』の「はじめに」ではこう書いている。「この本を書いた動機は、…愛国心からである。今のような予算の無駄遣いが続いていると、日本は本当に駄目になってしまうのではないか、そういう心配をどうしても打ち消すことができないからである」。
 振り返ってみると、臨時行政調査会(臨調)華やかなりし頃は、多くの人が行政改革(行革)に真剣であった。その1人が住田正二さんであった。あの熱気はどこへ行ったのだろう?朝日新聞は、本来なら違法な天下りに熱心で獣医師界とも癒着していた前川喜平前文科次官を弾劾すべきであったのに、安倍内閣打倒という自らの目的のために、「正義の人」と持ち上げてしまった。事務次官経験者でも、住田さんと前川とでは月とスッポン。この変化の激しいICT・AI時代にこそ、住田さんのような人が必要なのに。
 哀悼:住田正二さん
 本津川のマガモとコサギ。




  哀悼:住田正二さん


 驚いたことに、NHKは今夜7時のニュースのトップに星野仙一さん逝去のニュースを取り上げた。国民の関心はそうなのかもしれないが、住田正二(すみた・しょうじ)さんの方が国のために余程大きな仕事をされた。


 ◆讀賣新聞1月6日の「編集手帳」をご紹介します。


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 かつて大事件の陰で波紋を広げる人事があった。

 社長含みで全日空常勤顧問に就任した元運輸事務次官、住田正二さんは突然、会社を追われた。

 ロッキード裁判・全日空ルート裁判で、運輸官僚時代に大臣側から受けた〝圧力〟を証言した後の出来事だった。当時、推理作家の三好徹さんが本紙上で述べている。なぞを呼んだ追放劇は「彼一人が政治家を恐れず事実を証言した」からにちがいないと。

 あるべき道義と自らの地位を、てんびんにかけることをしなかった人だろう。直言で知られた住田さんが95歳で亡くなった。

 空を離れてからは陸上輸送の大改革、国鉄民営化に取り組んだ。JR東日本初代社長としてその難事業を軌道に乗せたのち、上梓(じょうし)した『お役人の無駄遣い』(1998年小社刊)は話題を集めた。整備に何百億円とかけながら、利用する船舶はなく「釣り堀」と化す港…そこに列挙した港湾事業の「無駄」は役所の後輩たちを真っ青にさせた。

 「大義、親を滅す」とも記している。道義のために私情を捨てよ――聞かないことばではないが、それを貫徹した人の口から出ると、説得力がちがう。


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 ◆讀賣新聞1月6日の「評伝」をご紹介します。


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 JR東の多角化 推進
  住田正二氏 規制緩和訴え続け


 昨年12月20日に亡くなったJR東日本初代社長の住田正二氏は、役人出身ながら「無駄な公共事業はやめるべきだ」と行政を批判するなど、思い切った直言で知られた。

 旧運輸省の事務次官を務めた後、国鉄民営化に道筋をつけた。1987年、JR東日本社長に就任すると、規制強化など、行き過ぎた行政の介入が企業の自主性を縛り、市場経済をゆがめてきたと指摘した。経営感覚のない「お役所体質」を批判し、規制緩和を訴え続けた。官民双方の問題点を熟知した上で、古巣に苦言を呈した。

 JR東日本では、「国鉄時代と反対のことをすればうまくいく」と社員に呼びかけ、顧客サービスの改善やコスト削減に取り組んだ。駅ビルやホテルなど関連事業の展開で、経営の多角化を推進し、今の収益を支えるビジネスモデルの礎(いしずえ)を築いた。  (工藤彩香さん)


以上



  

天才も若い時は就活に苦労した

天才も若い時は就活に苦労した
 産経新聞17年11月17日 508億円!!
天才も若い時は就活に苦労した
 毎日新聞17年9月13日
天才も若い時は就活に苦労した
 (実業の日本社文庫) 750円
 気弱なマル暴刑事(デカ)・甘糟(あまかす)達夫が主人公の新シリーズ。今野 敏さんの作品には良質なエンターテインメントが多く、はずれが少ない。
 この種の警察ものはエンタメだけで読むのではない。警察の仕事の実態もある程度知ることができる(特に濱嘉之さん)。
 例えば、文科省幹部が、「恋活バー・ラブオンザビーチ」なる店に週に3・4回も通っていたという話を読んで、この人は真正の馬鹿ではないかと思った。女性は無料で、客の半数はプロの売春婦でセミプロ(アルバイト)も多いという。店は暴力団のフロント企業かそれに近いに違いない。当然、所轄の生活安全課か捜査4課もしくは組織犯罪対策部、あるいは公安部の監視下に置かれている。そこの常連客は当然マークされている。そんなことも知らず長年呑気に遊んでいるとはお粗末極まる。
天才も若い時は就活に苦労した
 高松中央図書館前のケヤキ。
天才も若い時は就活に苦労した
 青色が薄くなり花の大きさも半分くらいになっているが、11月も下旬になろうとしているのにまだまだ咲いている。





 天才も若い時は就活に苦労した


 最近、ちょっとしたことで数人の若い人と知り合いになった。学校を出て会社に就職したものの当初思っていたことと違って悩んでいる人が多い。3カ月足らずで辞めた人もいる。いつの時代も変わらない。あの人も悩んで悩んで天才になった。

 毎日新聞9月13日の「水説(すいせつ)」、論説委員の中村 秀明さんのコラムを抜粋してご紹介します。


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  「万能の天才」の素顔


 レオナルド・ダビンチは、今では「万能の天才」が代名詞だが、フッィレンツにいた30歳までは有名な工房の腕利き職人にすぎなかった。大きな作品は20歳すぎに描いた「受胎告知(じゅたいこくち)」くらいで、仕事の手が遅いこともあって完成までこぎつけた作品が少なかったようだ。

 引っ越し先のミラノで宮廷に雇ってもらうために書いた10項目の自薦の文書が残っていて興味深い。

 ・とても軽くて丈夫で移動可能な橋を造れます
 ・簡単に運搬でき散弾を飛ばす大砲を考えました
 ・攻撃されても平気な装甲付きの戦車を用意します
 
 この調子で九つは新兵器など戦争に関する分野だった。やっと10項目目に「平和な時には建築、土木、絵画も手がけます」と書いている。

 芸術家ではなく、すぐに役立つ技術者として必死に職を求める思いがにじむ。晩年の肖像画などから受ける超然とした印象はない。

 西洋美術史に詳しい池上英洋・東京造形大学教授は少年時代のレオナルドについて「私生児だったため、まともな教育を受けられなかった」と、「ダ・ヴィンチの遺言」(河出書房)で書いている。左ききを直されなかったのも、そのためと言われる。

 池上さんによると、彼が残した蔵書リストには、商人の子どもたちが習うそろばんの教科書や初級ラテン語の文法書も数冊含まれる。機械工学や解剖学など科学的知識を広げるうえでの基本が欠けているのを自覚し、大人になって必死に補おうとしていたとみている。素顔を知ると、「万能の天才」と」簡単に言ってしまうのはよくないと気づく。

 さきの10項目の自己PRの後、彼はミラノの宮廷に採用された。だが、「最後の晩餐」を手がけるのは、それから10年以上も後のことだ。そして「モナリザ」はさらに10年近くたった作品である。

 教育の機会に恵まれなかった人がこつこつ知識と技能を蓄え、機会をうかがい、年とともに開花させた。そんな遅咲きの人だったのだ。

 彼が残した類いまれな結果に驚嘆するだけにとどまらず、その過程にも目をやれば決して遠い存在ではないと思えてくる。


以上


ある医師の半生

ある医師の半生
 日経新聞17年10月22日
ある医師の半生
 四国新聞17年11月15日
 私の実感と全く同じなのでビックリしている。コンビニやマックなどで働く高齢者が増えている。先日、近所の73・4歳のおばあさんが、「辞めさせてくれと言うのに、『おってくれ、おってくれ』と言われて、辞めさせてくれんのよ」と言っていた。
ある医師の半生
 ある医療モール。ここは2棟からなっており、右側には6科+調剤薬局、左は2科+調剤薬局。ここに来るたびに商売は場所が大事だと思う。来客数は、恐らく右側の薬局の方が左より4~5倍多い。20㍍くらいしか離れていないのに微妙なものである。
ある医師の半生
 7-11新番町小学校前店。少し入り込んでいて分かりにくい。近くに小学校と高等学校がある住宅地。近くに適当な店がないためか、いつ見ても繁盛している。当初、繁盛するとは思えなかったが…。
ある医師の半生
 サークルK檀紙(だんし)店。2年足らずで閉店。当初から繁盛するとは思えなかったが、案の定。国道11号線に面している。奥、上は高速道路。商売は難しい。
ある医師の半生
 香川県立図書館・文書館。明日から12月4日までシステム変更のため休館。長すぎる!





 ある医師の半生


 恐らくほかの人もそうだと思うが、いろんな職業に興味がある。学生時代には意識的に20種類くらいのアルバイトをした。しかし、ちゃんと食っていくためには、例えば農業であれ漁業であれ、10年くらいは修行する必要がある。医者ともなれば、そんなものでは済まない。

 南木 佳士(なぎ・けいし)さんは、医師兼作家である。『ダイヤモンドダスト』で芥川賞を受賞している。日本経済新聞10月22日の文化欄に、南木さんのエッセイが載っていた。仕事に関する前半部分をご紹介します。


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  定年後の夕景


 夕方になると目がひどく疲れる。

 春に信州佐久の総合病院を定年退職し、非常勤医になったのだが常勤時の人間ドックの診察、肺がん検診の胸部X線写真読影に加えて、乳房X線撮影(マンモグラフィ)の画像を読む仕事が加わったからだ。

 若いころは呼吸器内科を担当しており、胸部X線写真の読みには慣れていた。肺がんの手術で摘出された肺葉の標本と術前のX線写真を詳細に見比べ、知識を確実なものにするべく務めたりもした。

 それが、芥川賞受賞の翌年、37歳でパニック症を発病し、やがてうつ病の泥沼にはまり、臨床の現場はもちろん、作家の表舞台からも降りざるをえない事態に陥った。

 末期がん患者さんの診療をおこないつつ文芸誌に小説を発表し続ける行為は、いまふり返れば、おのれの技術、体力の限界を無視して北アルプスの険悪な岩稜地帯に足を踏み入れ、根拠なき楽観にそそのかされて歩いていただけであり、滑落事故はあらかじめ予想されていた喜劇でしかなかったのだとわかる。

 病院の健康診断部門にまわしてもらい、なんとか生きのびた。山を歩いたりプールで泳いだり、それまでまったく無視してきたからだの手入れを始めてようやく元気になった。年間1万3千人以上の受診者を受け入れる人間ドック科責任者の立場で、40年勤続の定年退職を迎えられたのはまさに奇跡であった。

 しかし、その間、この身が担わねばならなかった責務を負い続けてくれた後輩、同僚の医師二人に進行の速いがんで先立たれた。心身のリハビリのつもりで細々と書いていた小説やエッセイを本にまとめてくれた女性編集者もがんで逝った。

 自裁の手段を考えない日はないほどに追いつめられ、周囲から、あいつはもうだめだ、とみなされることでかろうじて生きのびられた皮肉な存在である「わたし」を常に忘れない。

    ◎     ◎     ◎

 けれど、目は疲れる。
 
 定年を二年後に控えたある日、ふと思い立って独りで乳房X線写真読影の勉強を始めた。NPO法人日本乳がん検診精度管理中央機構が実施する二日間の講習会を受講し、読影試験に合格すれば認定医になれる。

 一年半かけ、三回目の試験で合格した。だれの助けも借りずに認定医になろうと意地を張っていたのだが、二回の不合格で実際の乳がん症例写真を多く読まねばだめだ、と気づき、はるか年下の乳腺外科部長に頭を下げ、乳がん患者さんの術前画像を読ませてもらう許可を得てようやく合格したのだった。みずから恃(たの)むところすこぶる厚く、失敗からしか学べぬ性格はどこまでも付きまとうらしい。

 定年直後の春から乳がん検診の一次読影に参加した。最終判定を下す二次読影は経験豊富な現役女性医師が担当する。

 様々なモニタが並ぶ読影室の片隅に厚いカーテンで照明をさえぎった区画がある。手元の字がようやく読める暗い環境で高輝度、高精細のマンモグラフィ専用モニタ画像を相手にマウスで拡大や画質調整の操作を施し、乳がんの微妙な変化を見逃さぬよう気を配る。

 目の疲労がつのってくると視野がぼやけてしまう。そうなる直前に切りあげ、ザックをしょって病院の裏口から帰る。齢を重ねるにつれ、疲れた状態での頑張り仕事はよい結果を生まないことがよく分かってきた。

 非常勤医になって給与が少なくなったぶん、自由時間は増えた。

 (後半は略)

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(感想・意見など)

 ここのところIOT、AI時代になるとどうなるかを考えることが多い。X線写真読影などは、まさにAIの得意分野ではないかと思う。患者さんの術前画像とクラウドに蓄えられた何十万もの過去の症例(ビッグデータ)と瞬時に見比べることは、AIにとっては朝飯前のはず。しかも、学習してその精度はどんどん上がっていく。

 あと10年から15年もするとそうなるのではないか。私の母は92歳。近所に90代はごろごろいる。まさに「人生100年時代」。これからは80歳くらいまでは働くつもりで、変化に対応すべく、勉強し続けるしかない。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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