座談の名手

座談の名手
 吉行淳之介
座談の名手
 週刊現代18年6月9日号
座談の名手
 朝日新聞18年5月27日「折々のことば」
座談の名手
 香川県立図書館に咲いた花
座談の名手
 庭に大きな(直径50センチくらい)葉っぱが出てきた。植えた覚えはない。何の花が咲くのだろう?





  座談の名手


 私は高校生のころから吉行淳之介の小説が好きだった。吉行はしばしば「座談の名手」と言われた。しかし、印刷物ではその場の状況、ニュアンスは伝わりにくい。今と違って動画があるわけではなく、その雰囲気はよく分からず、もやもやしたままであった。

 サラリーマンになって、周りに関西人が何人かいて、「関西風の座談の名手」はある程度分かるようになった。その代表格はお笑い芸人の紳助である。関西の学校にはたいていクラスに1人はこのような人がいる。この場合、話の内容は、事実(実際)はどうでもいい。おもろければそれでいい

 「お前アホちゃうか?事実ーっ?そんなんどうでもええ、おもろかったらええねん!」



 朝日新聞18年5月27日 鷲田清一さんの「折々のことば」にその見本が載っていた。

 「おめでとう。めっちゃきれいやったでー。」
 「ありがとう。そんなん言うてもらえてうれしいわぁ。先週整形しといてよかったわぁ。」

                                       結婚式にて

 花嫁のこの受けには「整形間に合ってよかったなぁ」と返す。「元からきれいだよ」ではなく。国語学者・澤村美幸が衝撃を受けたある結婚式での会話だ。友人のほめ言葉をボケで受ける花嫁に、「おもろい」言葉をさらに被(かぶ)せて話を転がしてゆく大阪人のもてなしの作法である。同じ国語学者・小林隆との共著『ものの言いかた西東』から。



 吉行淳之介は岡山で生まれたが、幼い時から東京で育ったため、上記のエピソードとは違って、『ものの言い方』は東風(ひがしふう)だったかもしれない。


 転勤や転職は大変だが、視野が広がる利点がある。私は高松と松山で仕事の一部として渉外をしたことがある。転勤や転職である種の才能の持ち主を発見するのは歓びである。

 松山のメーカー会で、「座談の名手」がいた。その人が所属していたG社はメーカー10社中シェア的にはほとんど最下位であったが、話がうまいため存在感があった。

 しかし、ある時から病気でメーカー会に出てこなくなった。その後、後任の若い人とメーカー会の忘年会でその「座談の名手」のことが話題になった。

 「座談の名手」が商談に行くと、その商談に関係のない人までもが多い時ではわらわらと10人も集まってくるのだという(商談相手は農協だと思われる)。「座談の名手」は、30分くらい商売とは全く関係のないことばかり話してみんなを笑わせるのだという。

 最後の1分くらいで、「○○さん(本来の商談相手)、以前と同じ条件で■■を〇百台、▲▲を×百台お願いします。〇日には納品できますので倉庫を空けといてくださいね」。

 周りの人たちも散々笑わせてもらったので異存があるわけもなく、商談相手も「了解、了解」で笑いながらクロージング。


 その後しばらくして、この「座談の名手」はがんで亡くなったと聞いた。後輩は、「余人をもって代えがたい人でした」と言っていた。



 加計学園の件で、愛媛県の中村時広知事は、切り口上に「公的機関に偽りの説明をしたとすれば、説明と謝罪をすべきだ!」と怒っている。どのような状況でそのような話が出てきたのかは、役人のメモだけで分かるはずもない。

 役所では冗談も言えない。「説明と謝罪」を求められる。野暮に徹すべし!しかし、こういう人は関西ではいじめられるでぇー。


以上


Eテレ・スイッチインタビュー達人達


 Eテレ・スイッチインタビュー達人達
 漫才師ナイツ×夫婦デュオ・ハンバートハンバート


Eテレスイッチインタビュー達人達
 昨夜、テレビをながら見しながらブログを書いていた。夜10時台、特にみたい番組もなかったのでEテレにした。
 これが大当たり!!
Eテレスイッチインタビュー達人達
 漫才師ナイツ夫婦デュオ・ハンバートハンバートの対談。
 私はハンバートハンバートは初見。
 2対2の対談というのはいいね。
Eテレスイッチインタビュー達人達
 これが新鮮であった。
Eテレスイッチインタビュー達人達
 ナイツは勿論知っていた。ナイツ=浅草の訳が分かった。彼らの戦略。
 塙の「多作で独創を生み出す」「客の反応を取り込む」など、彼らが熾烈な生き残り競争に勝ち続けているわけが分かった。非常にクレバー。
Eテレスイッチインタビュー達人達
 一言でいって「感じがいい」。
Eテレスイッチインタビュー達人達
 私は音楽はクルマの中でしか聞かない。「山田姉妹」(高嶋弘之氏プロデュース、お薦め)にも少々飽きてきた。このところ「切手のないおくりもの」に絞って聞いている。十数曲入っていても聞くのは結局1曲か2曲になる。
 ハンバートハンバートのCDをヤホーで注文しよう!


以上

 

「テツオ」さん


  「テツオ」さん


「テツオ」さん
 15年11月4日号 an・an 「京都特集」のため保存している。

 巻末に林 真理子さんのエッセイ「美女入門」。1月に連載1千回を超えたとか。
 このエッセイの中で林さんはしょっちゅう自慢たらしく(ほかの女性に対して)上から目線でマガジンハウス編集者の「テツオ、テツオ」と書いていた。テツオがあたかも自分の男であるかのように、「もうテツオったら…」。てっきり○○テツオとばかり思っていたら鉄尾周一だとか。

 私は、「平凡パンチ」から「an・an」「クロワッサン」「ポパイ」「オリーブ」「ブルータス」「ターザン」などマガジンハウスの雑誌はほとんど創刊号から読んでいる(ここ十年ほどはほぼ表紙をチェックするだけ)。東京にいたときは銀座の社屋まで行ったこともある。
 
「テツオ」さん
 週刊朝日18年4月27日号「マリコのゲストコレクション」

 その鉄尾さんは今や取締役。そして林さんが「テツオ、テツオ」と自慢たらしく言う通り、この渋さ。
 その上、いまや大ベストセラーになっている吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の企画者だという。4月現在で漫画版が200万部、原作の新装版が50万部だとか!
 
 私は学生時代に家庭教師のアルバイトをしていて、本の好きな子になってもらいたいと願って、いいと思った本を月に1冊プレゼントしていた。「君たちはどう生きるか」をプレゼントした記憶がある。

 昔から気になっていた人がうまくいっているというのを聞くのはいいものである。
 
 「私の相棒といおうか、疑似恋人の役割を果たしてくれた編集者のテツオは、全国的な人気者となり、どこへいってもモテモテだったそうだ」。
 鉄尾「まあ、カタカナの『テツオ』というのは林さんの想像上の人物なんですよ。だから実物に会った方が幻滅しないように、いつも身を潜めていました(笑)」
 「そうなんです。おかげで結婚できなくなっちゃってすいませんでした(笑)」
 鉄尾「後悔先に立たずで(笑)」

 「『君たちはどう生きるか』じゃなくて、『テツオはどう生きるか』」。
 鉄尾「アハハハ」。

「テツオ」さん
「テツオ」さん
「テツオ」さん
 庭にいっぱいツツジが咲いた。Spring has come(今日は初夏みたいだったけど…).


 (今夜は前にいた会社のOB会でした。26名集まりました。同じ釜の飯を食った仲というのもいいものです)


以上


幕末のヒュッゲ名人…橘曙覧(たちばなのあけみ)

 
 近ごろ朝日新聞がデンマークの幸福概念hygge(ヒュッゲ)を持ち上げ始めた。朝日はつい30年前までは、ソ連や中国や北朝鮮を持ち上げていた。今度は北欧らしい。ヒユッゲとは、「心地よさ」とか「くつろげる状態」「ほっこりした状態」らしいが、海外に例を探すまでもなく、日本の幕末にヒュッゲ名人がいた。橘 曙覧(たちばなのあけみ)である。

 2013年1月17日のブログ「橘 曙覧」を再録します。


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橘 曙覧(たちばなのあけみ)
 徳島新聞13年1月13日
幕末のヒュッゲ名人…橘曙覧(たちばなのあけみ)



 
 近ごろ、なぜか幕末の歌人橘 曙覧たちばなのあけみ)について書いたものを目にすることが多い。私は歌にはうといが、大好きな歌人である。正岡子規も「万葉以後の歌人4人のうちのひとり」と絶賛している。

 
 徳島新聞13年1月13日の「日曜コラム」に特別編集委員の岩木 敏久さんが、橘 曙覧について書いている。抜粋してご紹介します。



たのしみは幕末の歌人に教えられ


 〈たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい 頭(かしら)ならべて 物をくふとき〉

 幕末を生きた福井の歌人橘 曙覧たちばなのあけみ)(1812~68年)の歌である。

 「独楽吟どくらくぎん)」と題された連作(52首)の中の一首で、どの歌も「たのしみは…」で始まり、「…する時」で終わる。家族のことや暮らしのあれこれを、思うままに詠んでいる。


 曙覧は、今の福井市内にあった文具商(紙、筆、墨、薬などを商う)の家に生まれた。28歳の時、家業を異母弟に譲り、家を出て隠棲。国学と和歌を学んだ。

 妻と男の子ども3人の5人家族。先に女の子ども3人を亡くしている。定職はなく、生活は貧しかったが、家族仲、夫婦仲は良かったようだ。こんな歌もある。

 〈たのしみは 家内五人(やうちいつたり) 五(いつ)たりが 風だにひかで ありあへる時〉

 〈たのしみは 機(はた)おりたてて 新しき ころもを縫()ひて 妻()が着する時〉

 150年後の今、家族がばらばらの時間に食事をする「個食」も珍しくない。だがやはり、家族みんなが健康で仲良く食卓を囲むことこそ、幸せの原点なのだ。


 
 〈たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで 無かりし花の 咲ける見る時〉

 1994年に訪米した天皇皇后両陛下の歓迎式典で、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチにこの一首を引用、曙覧とこの歌を一躍有名にした。


 〈たのしみは あき米櫃(こめびつ)に 米いでき 今一月(ひとつき)は よしといふとき〉

 〈たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき〉


 曙覧54歳の時、福井藩主、松平春獄しゅんがく)が曙覧のあばら家を訪れた。
 春獄は、その家の粗末さ、汚さに驚く一方、机に積み上げられた書物の山を目にした。

 かたちは貧しく見えるけれど、曙覧の心のみやびはまことに慕わしい。歌だけでなく、心のみやびを慕い学ばなければならない、と書き残している。さすが幕末の名君といわれた人物である。

 春獄は、登城して古典の講義をするよう勧めたが、曙覧はこれを固辞。生涯、清貧に甘んじ、風雅の生活に喜びを見いだした。そんな曙覧が子どもに残した言葉は、

 〈うそいふな ものほしがるな からだだわるな(なまけるなの意)〉


 今の時代、「独楽吟」に教えられることが多そうだ。


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(感想・意見など)


 トルストイの「アンナ・カレーニナ」冒頭の言葉を思い出す。「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」


 先のコラムで岩木さんが触れていなかったが私が最も好きな歌がある。

 〈たのしみは まれに魚(うお)煮て 児等(こら)がみな うましうましと いひて食う時〉


 先年亡くなられた歌人の河野 裕子かわの・ゆうこ)さんにもよく似た好きな歌がある。

 〈しっかりと 飯を食はせて 陽にあてし ふとんにくるみて 寝かす仕合せ〉



以上
 

哀悼:住田正二さん

哀悼:住田正二さん
 讀賣新聞18年1月6日「編集手帳」
哀悼:住田正二さん
 讀賣新聞18年1月6日「住田正二氏評伝」
哀悼:住田正二さん
 讀賣新聞18年1月6日
哀悼:住田正二さん
 住田正二さんの著書 左:朝日新聞社、右:読売新聞社
 私は20年くらい前にこの2冊を買って読んだ。驚いたことに、元運輸事務次官が書いた本である。「官」のデタラメについてこれほど正確な本はない。JR東日本初代社長の時に、「国鉄時代と反対のことをすればうまくいく」と発破をかけた人である。
 『お役人の無駄遣い』の「はじめに」ではこう書いている。「この本を書いた動機は、…愛国心からである。今のような予算の無駄遣いが続いていると、日本は本当に駄目になってしまうのではないか、そういう心配をどうしても打ち消すことができないからである」。
 振り返ってみると、臨時行政調査会(臨調)華やかなりし頃は、多くの人が行政改革(行革)に真剣であった。その1人が住田正二さんであった。あの熱気はどこへ行ったのだろう?朝日新聞は、本来なら違法な天下りに熱心で獣医師界とも癒着していた前川喜平前文科次官を弾劾すべきであったのに、安倍内閣打倒という自らの目的のために、「正義の人」と持ち上げてしまった。事務次官経験者でも、住田さんと前川とでは月とスッポン。この変化の激しいICT・AI時代にこそ、住田さんのような人が必要なのに。
 哀悼:住田正二さん
 本津川のマガモとコサギ。




  哀悼:住田正二さん


 驚いたことに、NHKは今夜7時のニュースのトップに星野仙一さん逝去のニュースを取り上げた。国民の関心はそうなのかもしれないが、住田正二(すみた・しょうじ)さんの方が国のために余程大きな仕事をされた。


 ◆讀賣新聞1月6日の「編集手帳」をご紹介します。


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 かつて大事件の陰で波紋を広げる人事があった。

 社長含みで全日空常勤顧問に就任した元運輸事務次官、住田正二さんは突然、会社を追われた。

 ロッキード裁判・全日空ルート裁判で、運輸官僚時代に大臣側から受けた〝圧力〟を証言した後の出来事だった。当時、推理作家の三好徹さんが本紙上で述べている。なぞを呼んだ追放劇は「彼一人が政治家を恐れず事実を証言した」からにちがいないと。

 あるべき道義と自らの地位を、てんびんにかけることをしなかった人だろう。直言で知られた住田さんが95歳で亡くなった。

 空を離れてからは陸上輸送の大改革、国鉄民営化に取り組んだ。JR東日本初代社長としてその難事業を軌道に乗せたのち、上梓(じょうし)した『お役人の無駄遣い』(1998年小社刊)は話題を集めた。整備に何百億円とかけながら、利用する船舶はなく「釣り堀」と化す港…そこに列挙した港湾事業の「無駄」は役所の後輩たちを真っ青にさせた。

 「大義、親を滅す」とも記している。道義のために私情を捨てよ――聞かないことばではないが、それを貫徹した人の口から出ると、説得力がちがう。


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 ◆讀賣新聞1月6日の「評伝」をご紹介します。


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 JR東の多角化 推進
  住田正二氏 規制緩和訴え続け


 昨年12月20日に亡くなったJR東日本初代社長の住田正二氏は、役人出身ながら「無駄な公共事業はやめるべきだ」と行政を批判するなど、思い切った直言で知られた。

 旧運輸省の事務次官を務めた後、国鉄民営化に道筋をつけた。1987年、JR東日本社長に就任すると、規制強化など、行き過ぎた行政の介入が企業の自主性を縛り、市場経済をゆがめてきたと指摘した。経営感覚のない「お役所体質」を批判し、規制緩和を訴え続けた。官民双方の問題点を熟知した上で、古巣に苦言を呈した。

 JR東日本では、「国鉄時代と反対のことをすればうまくいく」と社員に呼びかけ、顧客サービスの改善やコスト削減に取り組んだ。駅ビルやホテルなど関連事業の展開で、経営の多角化を推進し、今の収益を支えるビジネスモデルの礎(いしずえ)を築いた。  (工藤彩香さん)


以上



  
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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