日本は宗教戒律が緩くて良かった

讀賣新聞17年8月17日「異国ログ」

四国新聞17年9月1日「一日一言(いちにち・いちげん)」

ようやく初秋。数か月ぶりにスーパーカブ(バイク)に乗った。セルは回らなかったが、キック2・3回でエンジンがかかったのはさすが!バイクのため、普段クルマでは通らない田舎道をゆっくり走った。高松市檀紙町の田園風景。色とりどりを期待したが、稲も実り、緑一色!

この季節、赤い百日紅(さるすべり)が愛されるわけである。
日本は宗教戒律が緩くて良かった
物事には、いい面もあれば悪い面もある。われわれのご先祖さまは、実利主義で、それなりに取捨選択したようである。例えば、日本はチャイナの影響を大きく受けたが、科挙や宦官、纏足(てんそく)などはとり入れなかった。儒教なども都合のいい部分のみをアレンジして取り入れた。
識者はよく「日本は諸外国に比べて宗教的戒律が緩すぎる」という指摘をするが、私はむしろそういう日本にうまれて良かったと思うことが多い(その代わり、自分自身で倫理観を確立する必要がある)。最近の新聞記事を抜粋してご紹介します。
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■ 讀賣新聞2017年8月17日「異国ログ」
労働を禁じる日
昼飯でも食べに行こうと自宅アパートを出ようとしたら、若い女性に呼び止められた。「私の部屋に来てくれない?」。一瞬ドキッとして聞き返すと、部屋のラジオの電源を切ってほしいという。
困惑していたら、「あなたユダヤ教徒じゃないでしょ。今シャバット中だから、家電のスイッチを切ることができないのよ」。
シャバットとは安息日のこと。ユダヤ教の戒律で金曜の日没から土曜の日没までは労働が禁じられている。敬虔な信者はテレビや洗濯機など家電のスイッチを押す行為も「労働」とみなす。
このためイスラエルでは、安息日にボタンを押す必要のない各階停止型エレベーターが多くの建物に設置されているのだ。
女性の部屋に入ると、大音量の音楽が流れるラジオの周りで、家族が困った表情を浮かべていた。私が登場すると歓声が上がり、恐縮しながらラジオの電源を切ると、拍手がわいた。
腹をすかせて外に出てはっとした。「シャバットで店がやっていない!」 (金子靖志さん)
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■ 四国新聞2017年9月1日「一日一言」
1971年、フランスの週刊誌に載った「女性343人の宣言書」が、男たちの度肝を抜いた。
「フランスでは毎年、百万人の女性が妊娠中絶をしています。中絶は有罪に当たるため、彼女たちはひそかに危険な状況下で行っています。(中略)私もその一人です。私も中絶をしました」。
カトリックの影響が強く中絶が禁じられていたフランスで、自ら違法行為を告白し、合法化を求める宣言だった。
署名したのは、哲学者のシモーヌ・ド・ボーボワール、作家のフランソワーズ・サガン、女優のカトリーヌ・ドヌーブら。この運動を主導し、署名もしたのが女優のジャンヌ・モローだった。
風刺週刊紙は「あばずれ女たち」と攻撃、国論を2分する議論がわき起こった。4年後、中絶合法化を求めるたいまつは保健相のシモーヌ・ベイユに引き継がれる。
ベイユは、議場を埋める男性議員を前に「喜んで中絶に頼る女など一人もおりません。それは常に身を裂くような悲劇です。今後も悲劇であり続けるでしょう」としながら、合法化の必要性を説いた。提出した法案は成立し「ベイユ法」と名付けられた。
モローとベイユ。この夏、相次いで世を去った2人の女性は、女優と政治家の違いこそあれ、同じ志を抱いた闘士だった。 (Kさん)
以上
リベラルとは何か

讀賣新聞16年8月30日

毎日新聞16年9月1日
1975年4月に、北京で北朝鮮の金日成主席は晩年の毛沢東と最後の会談をした。金主席は武力で韓国に再度侵攻すべく中国の支持を得ようとしたが、米国との国交正常化を進めていた毛社席は取り合わなかった。この時から北は中国を頼らず、核開発など自主独立路線を強めていった。なお、この会談の2週間後にベトナムのサイゴンは陥落し、米軍は撤退、共産主義勢力の拡大は続いていた。

産経新聞16年9月6日
北朝鮮は、よりにもよって中国でのG20開催日に、3発のミサイルを日本のEEZ内にぶっ放した。中国の面目まるつぶれ。何を考えているのやら。

コミュニティセンターの活け花。このところ2日に1度くらい訪れている。
リベラルとは何か
私はかつてから朝日新聞や岩波書店などが「リベラル、リベラル」というのに違和感があった。「リベラル」とは単に自由主義というだけでなく、「公正さ」がなくてはならないと考えている。
朝日新聞に関しては先日も書いた通り。目的のためには手段を選ばぬ運動体。平気でウソをつく。「公正さ」はない。
岩波書店に関しては、学生時代以降、「韓国からの通信」という新書を何冊か読んだが、韓国の弾圧は北の作用に対する反作用とでもいうべきものであって、北はその何倍も酷いことは当時から十分想像できた。東京基督大学教授・西岡 力(つとむ)さんは、「韓国からの通信」に書かれた韓国の圧政とされたことの半分近くがウソであると言っている。
事実、著者のT・K生も十数年前に名乗り出て、ウソが多いことを認めている。当時日本に在住していた池明観・車兪林大教授で、岩波書店の雑誌「世界」の安江良介編集長(のちに社長)に頼まれて書いたものだという。韓国の「民主化」運動(バックには北がいる)を支援する目的があったという。平気でウソをつく。「公正さ」はない。
本来のリベラルとは言えない。何事であれ「事実」から出発すべきである。
8月30日の讀賣新聞に東京大学教授・井上達夫さんが「リベラルとは何か」について書いていた。抜粋してご紹介します。
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リベラルとは何か
「革新」が改名しただけ
冷戦構造が崩壊し、社会主義的傾向が退潮すると、日本では革新や左翼という言葉が使われなくなった。代わりに反保守勢力の名前にされたのがリベラルだ。しかし、これは革新派の改名であって、本来のリベラリズムではない。
戦後日本の思想的な文脈では、リベラリズムはまともに受容されなかった。左右両派からたたかれた。左派は、「リベラリズムは資本主義の護教論だ。福祉国家政策を加味しても、資本家の階級支配を隠蔽温存するだけだ」とたたいた。
一方、右派も「リベラリズムは個人主義や普遍的な価値、政教分離などにこだわるが、それは伝統を無視した根無し草だ」とたたいた。
象徴的なのはリベラル派と今はいわれる岩波書店の雑誌『思想』だ。2004年に「リベラリズムの再定義」という特集の企画を私が頼まれた。編集部によると、過去にリベラリズムの特集を組んだことがなかった。いかにリベラリズムが右からも左からも無視されてきたかがわかる。
リベラリズムは歴史的に啓蒙と寛容の伝統に根ざす。その哲学的基礎は単なる自由ではなく、「他者に対する公正さ」という意味での正義の理念だと私は考える。かつての革新が名乗る今のリベラルはリベラリズムに背反している。その典型が「護憲派リベラル」だ。
「公正さ」に背く護憲派
リベラリズムは、対立する諸勢力がフェアな政治的競争のルールを互いに守る姿勢の中に、法の支配や、憲法で権力を統制する立憲主義の基礎を求める。
ところが、護憲派リベラルは、自分たちの特定の安全保障政策を政敵に押しつける道具に立憲主義を利用している。専守防衛ならば自衛隊・日米安保条約は合憲だとする解釈改憲や、違憲だけど容認するというご都合主義に居直っている。
日本型リベラルが、社会的経済的弱者や文化的宗教的少数者の公正な保護を追及するのは結構だ。しかし、リベラリズムに背反する欺まん的な9条護持論は切除すべきだ。9条改正の是非を「リベラル対保守」の対立と結びつけるのは的外れだ。
憲法に盛り込むものは、統治構造と基本的人権の保障だ。一方、非武装中立で行くか、個別的自衛権にとどまるか、集団的自衛権へ行くか、などは安全保障政策の問題であって、特定少数者の人権と関係ない。政策論争の問題だ。
ただし、国民の無責任な好戦的衝動や政治的無関心から、政府が危険な軍事行動に走らないよう、戦力統制規範を憲法に盛り込むべきだ。最低限、軍隊の文民統制と、武力行使に対する国会の事前承認は憲法で明定すべきだ。
今の日本にリベラルな政党はない。民主党政権は、党内がバラバラで自壊した。民進党は政治的アイデンティティー(独自性)がまったく見えない。参院選では共産党と共闘までしたが、選挙のための野合だと国民に見透かされている。
(編集委員 笹森春樹さん)
以上
朝日新聞がリベラル??



以上は1968年のチェコ事件。ソ連は戦車で「プラハの春」を弾圧した。

朝日新聞16年9月1日
先日亡くなったチェコの名花、1964年東京五輪金メダリストのベラ・チャスラフスカさんは、朝日新聞と違って、どんなに迫害を受けても生涯にわたって節を曲げなかった。



以上は1966年-1976年の中国文化大革命。大躍進政策で大失敗した毛沢東が権力を奪還するために起こした闘争。合わせて5千万人とも7千万人ともいわれる人民が餓死したり虐殺され、被害は1億人以上に及ぶ。影響はカンボジアや南米にも及び各地で虐殺が相次いだ。

(アレクサンドル・ソルジュニーツイン)
ソ連では、住民同士が密告しあい、秘密警察が暗躍、ノルマをこなすため何の罪のない人たちまでがシベリア各地の強制収容所に送られた。

産経新聞16年8月28日
ソ連に支配された東ドイツでも、秘密警察「国家保安省」(通称シュタージ)が暗躍した。東西ドイツ統一後文書が公開され、親しかった友人・恋人・隣人などが密告者であったことが暴露された。

カワウの整列(本津川)
朝日新聞がリベラル??
リベラル(Liberal)とは自由主義的とか自由主義者のこと。リベラリズム(Liberalism)は自由主義のこと。
朝日新聞などのことをリベラル派とか言ったりするが、まさか!!何かの間違い。朝日新聞は、戦後間もなく、私が知る限りでも中・高校生のころから、ソ連や中国、北朝鮮を礼賛してきた。
ソ連は、1953年スターリン批判、1956年ハンガリー動乱、1968年チェコ侵略「プラハの春」弾圧、ソルジュニーツイン「収容所群島」など、どこをとっても自由と民主主義の敵。
中国は、写真説明の通り。現在の中国を見ても、200万人の人間が新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・インターネットなどを監視しているという。自由と民主主義の敵。
北朝鮮は言うに及ばず。唾棄すべき国。
朝日新聞社で、1970年代、ソ連派の秦 正流(はた・しょうりゅう)専務と、中国派の広岡 知男社長が対立していたのは有名な話である。
朝日新聞は、1980年11月から14回にわたって「ソ連は脅威か」というソ連擁護の連載をした。ところが1991年12月ソビエト連邦が崩壊すると、手のひら返し。
広岡社長時代、中国にすり寄り、文化大革命時他の報道機関が追放される中、ただ一社北京に支局を置き、中国礼賛記事を書き続けた。1971年9月「林彪事件」が起きると、他のメディアが林彪失脚を報じたにもかかわらず、72年に新華社通信が報じるまで朝日は報じず、林彪が健在であるかのような報道さえした。これも有名な話である。
慰安婦虚偽報道にしてもそうである。1992年の時点で、吉田清治の話がウソであることは多くのメディアが知っていた。済州島の島民自身「でたらめだ」と言っていた。吉田の出版社自身「あれは小説ですよ」と言っていた。朝日は1997年に記者を済州島に派遣し、そのような事実がなかったことを確認している。しかし今まで事実だと言い張ってきた手前、卑怯にも、頬かむりを決めこんだ。
2014年8月になってやっと記事の間違いを認めたが、謝罪はぜず、「なお人権侵害の事実に変わりはない。今後とも追究していく」と問題をすり替え、卑劣にも開き直った。
朝日新聞がリベラル?? まさか!!
『保守主義とは何か』

(中公文庫) 864円

讀賣新聞16年8月30日

讀賣新聞16年8月31日
信じられない組織風土。高校生の時、売上規模の小さい三菱のフルラインナップ戦略に疑問を持ったが、結局正しかった。

今日の香東川河川敷。サッカーをする子どもたちと応援する父母たち。

隣家の花
『保守主義とは何か』
東京大学教授・宇野重規(しげき)さんの最新著作。冷戦構造が終焉、共産圏諸国が相次いで崩壊、国内では朝日新聞の慰安婦問題虚偽報道などで左翼陣営は衰退している。では、保守陣営は大丈夫か?残念ながらそうとは言えない。世界的に格差は拡大し、驕り・腐敗も進行している。
『保守主義とは何か』 のカバー裏、帯にはこうある。
進歩主義の衰退が〝全盛〟をもたらしたが――
21世紀以降、保守主義者を自称する人が増えている。フランス革命による急激な進歩主義への違和感から、エドマンド・バークに端を発した保守主義は、今では新自由主義、伝統主義、復古主義など多くのイズムを包み、都合よく使われている感がある。
本書は、18世紀から現代日本に至るまでの軌跡を辿り、思想的・歴史的に保守主義を明らかにする。さらには、驕りや迷走が見られる今、再定義を行い、そのあり方を問い直す。
讀賣新聞8月30日文化欄に宇野教授へのインタビュー記事が載っていた。分かりやすい。抜粋してご紹介します。
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「保守主義」乱用に警鐘 再定義
英に始まる自由の漸進的改良
いま保守主義を問う理由について、宇野教授は「自分を保守だと言う人が日本にあふれ、かなり乱用されているから」と語る。保守の対抗軸とされてきたリベラルが退潮する中、単なる排外主義や復古主義をも保守主義とする「保守のインフレ」が起きており、「保守を再定義した方が現代政治を語る上で生産的」と説明する。
そこでまず取り上げるのが、保守主義の始祖とされる18世紀英国の思想家エドマンド・バークだ。その生涯をたどると、彼が守ろうとしたのは、1688~89年の名誉革命で生まれた体制、つまり王権を取り込んだ議会が民衆の意見を代表し、英国人の権利・自由を漸進的に発展させていく政治体制だったことが見えてくる。
「自由の原理を漸進的に改良する上で鍵になるのが議会、あえて言えば政党だとバークは考えた。この自由と議会・政党を大切にしない保守主義は、少なくともバーク的な保守主義ではない」と言う。
だが、なぜ保守主義は自由を必要とするのか。教授によれば、保守主義は、人間とは愚かで間違える生き物だと自覚するが故に、伝統や習慣を尊重する立場。だが伝統や習慣はただ固守すればいいのではなく、過去から受け継ぎながら更新し、未来へ引き渡していかなければならない。その営みを進めるには、「個人の自発性がなければならず、それを許す自由な社会環境がなければいけない」。
この文脈で英国の保守主義を見た時、存在感を持ってくるのが、T・S・エリオットやG・K・チェスタトンら20世紀前半に活躍した文人だ。文学と保守主義は、実は重なるからだという。
一方、本書では日本の保守主義についての視座も示す。日本は敗戦などの「歴史の断絶」があるため、保守主義者が重視する歴史の連続性に欠けるとされる。これに対し、宇野教授は伊藤博文から陸奥宗光、原敬、牧野伸顕、吉田茂へと続く流れの中に「立憲体制を築き、自由の原理を発展させる連続性が細いながらもある」とし、バーク的な保守主義が成り立つ可能性を示す。
言い換えれば、いま力を増しているかにみえる自由を顧みない復古主義的方向とは異なる道が、見えてくるという。 (文化部 植田滋さん)
以上