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結愛ちゃん虐待 教訓は

結愛ちゃん虐待 教訓は
 船戸結愛(ふなと・ゆあ)ちゃん 享年5歳。
結愛ちゃん虐待 教訓は
 産経新聞2018年6月7日
結愛ちゃん虐待 教訓は
 朝日新聞2016年2月6日

 高松高検検事長 酒井邦彦さんは児童虐待に心を痛め、虐待した親を検察が処分する前に関係機関と対処法を検討する「処分前カンファレンス(検討会)」を全国に先駆けて始めた。香川にはこういうセーフティネットがあったのに…。

結愛ちゃん虐待 教訓は
 四国新聞2018年7月16日

 結愛ちゃんを診ていた四国こどもとおとなの医療センタ―(善通寺市)育児支援対策室長・木下あゆみ医師は、香川の児相、東京・品川の児相にリスクを伝えていたが、結局救えなかった。ここまでする医師はめったにいない。〈直接診た医師がわざわざ電話してくるのは余程のことだ〉と、品川の児相がそれをくみ取って動いてくれていれば……。想像力の欠如?

 何の仕事でもそうだが、自分の仕事はここまでと割り切って狭く解釈するいい加減な人がいると、のりしろから抜け落ちるものが出てくる。今回の場合、命がかかっていただけに返す返すも残念。

結愛ちゃん虐待 教訓は
 朝日新聞2019年5月21日
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結愛ちゃん虐待 教訓は
 香川大学幸町(さいわいちょう)キャンパス北側のケヤキ並木。地域の人たちが花を植えていてこの時期美しい。






 朝日新聞2019年5月21日の小児科医 木下あゆみ医師へのインタビュー記事を抜粋してご紹介します。


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 結愛ちゃん虐待 教訓

 張っていたネット引っ越しで抜けた
 悲しいより悔しい


 昨年3月、東京都目黒区で虐待を受けた船戸結愛ちゃん(当時5)が亡くなった。児童相談所や関係機関の連携不足により、虐待で亡くなる子どもは後を絶たない。親や子への支援を途切れさせないためには何が必要なのか。結愛ちゃんが香川県善通寺市に住んでいた当時の主治医、小児科医木下あゆみさん(45)に聞いた。


 ――約4カ月間、結愛ちゃんを診ていたそうですね。

 「週に1~2回、来院していました。話を聞くのは1~2時間。これだけの頻度で来てもらっていたのは、強い危機感があったからです。医療機関が中心となり、結愛ちゃんが隙間に落ちないようにネットを張っていたつもりですが、引っ越しでネットが『すこん』と抜けてしまいました
 「そうなると隙間に落ちるのは時間の問題です。どの道を選べば亡くならなくてすんだのか、ずっと考え続けています」

 ――結愛ちゃんが亡くなったと聞いた瞬間、どう感じましたか。

 「『悲しい』というより、『悔しい』という気持ちがわきました。でも『なぜ?』とは思いませんでした。転居前から『東京の病院を紹介するから、引っ越し先が決まったら連絡してね』と伝えていましたが、教えてもらえないまま引越してしまいました。都の方でも結愛ちゃんの無事を確認できていないと聞いており、誰も無事を確認できていないのだとすれば、危ないと思っていたのです」

 ――なぜ、「悲しい」より「悔しい」だったのでしょう。

 「誰もつながっていなかった家庭で、子どもが虐待で亡くなったという事件は多くあります。でも結愛ちゃんは、香川では病院や児相、市や警察が関わっていました。転居先の東京の児相が結愛ちゃんに会えていないと耳にして、私たちの病院が持つ危機感が児相に伝わっていないのではと、電話しました。結愛ちゃんが亡くなる直前でした。大変なことが起きているのではと想像していたから、亡くなったと聞き『やっぱり』という気持ちになりました」

 ――主治医として、もっと出来たのではと思うことは。

 「もし転居先が分かっていれば、その近くの病院を探して直接電話して、詳しい内容を引き継ぐこともできました。香川の児相にリスクを伝えたつもりだったのですが、もっとうまく伝えられていたら、結果が違ったのかなとも思います。そこは私の反省点です」


     ■     ■     


 ――児相に対して思うことは。

 「虐待対応の要は児相ですが、やり取りをしていると、人が全然足りていないと感じます。土日や昼夜を問わず仕事をされているし、一人の職員がたくさんのケースを抱えています。連携を取れるようになっても、職員の方は2~3年で移動してしまうことが多い。ストレスも多く、心を病んで辞められる方もいる」

 ――人手不足の問題は、ずっと指摘されています。

 「人手が足りず、数年ごとに職員が異動してしまう現状では、児相が医学的判断を正しく理解し、問題に対応できる専門家集団になることは難しいと思います。児相の問題というよりは、制度の問題だと思います」

 ――虐待対応で医療者が出来ることは何でしょうか。

 「けがの重症度=虐待の重症度ではありません。小さいけがでも普通に転んだだけではできない部位にあれば、第三者によるけがの可能性があります。私はけがの解釈や子どもの心理状態なども含めて診断するようにしていますが、重みを持って受け止めてもらえているか不安になることがあります」

 「たとえば病院では、日本全国どこでも同じような治療が行われますでも児相の対応は、自治体により様々です。人事異動により、法律や子どもの心理に詳しくない人や、やりがいを感じていない人が担当する場合もあります。国の研修機関で全国統一の研修があったり、国家資格になったりすれば、もっと違うのではないかと思います」

 ――医療者のレベルアップも必要では?

 「丸々と太った元気そうな赤ちゃんにあざがたくさんあり、全身を丁寧に診察すると、肋骨や腕、足に骨折がたくさんありました。虐待に関する知識がなければ『ミルクを飲んでいるし、元気そうだから』で終わってしまったかもしれません。病院で見つけてあげなければ、その子は死んでしまうかもしれない。医学生のうちに虐待に関する知識を学ぶべきだと思います」

 
 診察でのSOS
 職域越えた共有
 隙間を埋める



 ――虐待をしているのに、親は子どもを受診させるのですか

 「私も昔から不思議だったのですが、虐待はしたくないけどしてしまう、助けてほしいという親のSOSだと思っています。『助けて』と来るのだから、そこは大事にしなければいけない。医療者は親を責めてはいけません」


     ■     ■


 ――木下さん自身、10代の子ども3人を育てています。

 「自分が子どもを産んでみて、小児科医なのに、全然思うように子育てはいきませんでした。赤ちゃんの体重は増えんしお乳は出んし夜寝んし。子育てって大変です。どの親もいっぱいいっぱいの中で、何とかやっている。そこを理解しないと何の解決にもなりません。育児って、もっと人に頼っていいと思うんですよ」

 ――診察は、親から話を聞くチャンスなのですね。

 「小児科医の診察は、お母さんと話す時間の方が長いです。小児科医には虐待の芽に気付き、防ぐ素地があると思います。また、行政は担当地域や職域を越えられないので、医療機関が中心になって子どもを見るのは意味があると思います」

 「ただ、じっくり話を聞こうとすると、通常の診察の何倍もの時間をかけることになります。例えば育児支援加算といった形で診療報酬をつけないと、理解ある病院でしか実施できません。自治体が費用を持つといった形も必要だと思います」

 ――なぜ医療者が、もっと関われないのでしょう。

 「虐待防止や育児支援に当たる『要保護児童対策地域協議会(要対協)』という仕組みがあります。市や児相が参加しますが、法的に医師が必ず入るとは定められておらず、虐待対応の輪の中に入れていないのが現状です。でも、医師は大きな役割を果たせます。スーパーバイザーとして虐待全般に詳しい医師が加わるのがいいと思います。その上で主治医から情報が上がってきたり、会議の結果をフィードバックして診察のときに気を付けてもらったりする仕組みができればと思います」


     ■     ■


 ――香川県は医療機関も含めた各機関の連携が進んでいます

 「私が家庭裁判所の調査官の研修で講師を務めたことをきっかけに、調査官や弁護士や検察官、警察官、児相、行政、医療機関などで虐待に関わる人たちとの勉強会を開くようになりました。ちょうどその頃、高松高検の検事長が虐待問題に強い関心を持っていたこともあり、虐待した親を検察が処分する前に関係機関と対処法を検討する『処分前カンファレンス』が全国に先駆けて始まりました」

 「例えば警察は容疑者である親の逮捕が第一ですよね。でも、その子どもは『自分のせいで家族がバラバラになってしまった』と思いがちです。こうした状況を事前に共有できれば、医師や児童福祉士が子どものケアに同時に入ることができます。警察も子どものことをよくわかった上で対応しなければ、子どもは幸せにはなれません。お互いの職務や働き方を知っておくこと、顔の見える関係を作っておくことが、うまく連携するにはとても大事です」

 ――身近なところからですね。

 「みんなが『子どものために』と同じ方向を向き、ちょっとおせっかいというか、例えば『連絡がつかないときは家に行ってみた方がいいと思う』と申し送り一言添えれば、その後の対応は大きく変わります個人の資質に頼るのではなく、互いの職種を知って、自分の職域ののりしろを少し広げて隙間を埋める虐待に関心が強い人が役割を担える、そんな法律や制度ができればいいと思っています」

 (聞き手・山田佳奈さん、山本奈朱香さん)


以上


先人に感謝

  先人に感謝

日本はかなりマシな社会だ
 毎日新聞2017年1月24日
 
 西アフリカ・ガンビアのジャメ前大統領が亡命する際、10億円以上の政府資金を不正に持ち出し、「国庫はほぼ空」になった。
 チュニジアのベンアリ元大統領夫人は国外脱出の際、金塊1.5トンを持ち出した
 2014年ロシアに逃亡したウクライナのヤヌコビッチ前大統領も多額の政府資金を持ち出した

 以前、中国の温家宝前首相一族が、アメリカに二千数百億円もの資産を持っていると新聞が書いていた。現在の習近平主席一族の蓄財疑惑に関しても何回も報道されている。習主席自身は「トラもハエも叩く」と言っていたが…、中国にはこの種の話が非常に多い。

先人に感謝
 毎日新聞2019年5月6日

 腐敗進む「マンデラ党」 汚職次々支持離れ

 「アパルトヘイト(人種隔離)体制が打倒され、ネルソン・マンデラ氏(2013年死去)が初の黒人大統領に就任して25年。近年のアフリカ民族会議(ANC)は金権体質に染まり「マンデラ党」の現状に失望する支持者も増えている」

 この記事を読んでガッカリした。マンデラ氏に期待していたが、やはり南アも腐敗のためテイクオフできそうにない。こういう国・地域がたいへん多い。

 最近、最もガッカリしたのは『韓国・北朝鮮の悲劇』のパレスチナの部分

日本は朝鮮統治で間違いを犯した
 (WAC) ★★★★★
先人に感謝
 藤井厳喜(げんき)さんと古田博司(ひろし)さんの対談のパレスチナ部分を抜粋します。

藤井 パレスチナ自治政府の幹部はひどい人が多い。PLO(パレスチナ解放機構)議長で、パレスチナ自治政府の代表となったアラファトが死んだとき、何百億円という彼の資産がスイス銀行にあった世界中から集まってくる支援金をポケットに入れていたわけです。幹部はそんな輩が多いようです。難民キャンプで働いている人は一人もいないのではないですか。働くどころか、ベンツに乗る金持ちが大勢いる。アラブ諸国から寄せられる金の上前をはねて生きている人たちが多くて、本当に堕落しています。パレスチナ人には同情するけれど、ちゃんとしたリーダーがいないという意味ではしょうがない。

古田 アラファトさんはベイルートかアレクサンドリアか、カイロに家と土地持っていて、スイスの銀行どころかフランス人のお妾さんにも財産を持たせていたそうですね。



 19世紀には、世界中が欧米の植民地になる中、日本とタイだけは植民地にならずに済んだ。それほど腐敗しなかった先人たちのお陰である。


 以下に、2013年10月9日のブログ「幕末の一風景」を再録します。

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幕末の一風景
 産経2013年7月4日
幕末の一風景
 老中・阿部正弘
幕末の一風景
 トーマス・グラバー
幕末の一風景
 グラバー邸
幕末の一風景
(講談社学術文庫版)




 歴史は面白いが、特に幕末は汲めども尽きぬ面白さがある。産経新聞「次代への名言」欄、文化部編集委員・関厚夫さんのコラムから抜粋してご紹介します。


 ★2013年6月25日掲載

 徳川幕府は「黒船来航」の1853年以降、日米和親条約を皮切りに、「安政五カ国条約」と呼ばれる通商条約を欧米各国と結んだ。新設の外国奉行として、一連の交渉にあたった永井尚之なおゆき)は往時をこう述懐している。

 「当時は、外国の事情を知る人も少なく、幕吏などはほとんど知らないぐらいだった。ゆえに条約の原案はわが方では作ることができず、みな先方が作り出したものだ。深くその利害を討究することも難しく、ただ差し出された原案の条項を削るのみ。予なども今日は批判を免れることはできないが、当時の情勢を考えると、よく出来たつもりである」

 永井は「出色」とされた幕閣なのだがそれがこの調子である。徳川幕府が倒れるもやむなし、の観がある。

 また永井によると、「当時の老中で自分の意見のある人は少ない。みな奥祐筆などに頼っていた。が、阿部正弘候だけは自分の意見を述べた。他の老中はそれを黙して聞くだけ。可否もなかった」

 14年にわたって幕府老中を努めた開明派の阿部は「収拾の偉才」と呼ばれた幕末動乱の原因の一つは、阿部が、朝幕間で無類の調整力の本領を発揮することなく、1857年、37歳で急死したことである。


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(感想・意見など)

 勝海舟の「氷川清話」を読むと、幕府の重臣(軍艦奉行)である勝が、初対面の薩摩藩の西郷隆盛に、幕府の腐敗しきった内情を暴露し、雄藩の手で政治を一新すべきだと説いた背景がよく分かる。世界情勢をよく知る勝にとっては、幕府より日本をなんとかしなければという気持ちが強かったと思われる。


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  ★2013年7月3日及び4日掲載

 トーマス・グラバーは、英国スコットランド生まれ。1859年21歳で来日。彼が長崎に興したグラバー商会は、薩摩藩や長州藩を中心に、西南雄藩に艦船や武器などを調達し、長崎最大の貿易商となった。

 長崎・小菅修船場や肥前・高島炭坑の設立にも参画した。しかし、戊辰戦争後、軍事品に対する需要がしぼんだこと、高島炭坑の赤字などが積み重なり、明治3(1870)年破産

 しかし、愛する日本にとどまり続けた。三菱の顧問として国際化やキリンビールの前身の設立に尽力し、明治41年、勲二等旭日賞を授与され、3年後73歳で死去。ゆかりの深い長崎の国際墓地に葬られた(日本人の夫人との間で子をなし、子孫が現存していると思われる)。

 「私は金もうけ主義と世間では見られましたが、ただ単にそれだけではない。徳川政府に対する反逆者のなかでは、自分が最大の者だと思っていました」
 彼はそう述懐している。


 グラバーは長崎最大の貿易商であると同時に、志士でもあった。危険を承知で〝お尋ね者〟の長州藩志士を自邸にかくまい、対幕府戦用の武器を用立てた。

 駐日英国公使、パークスと薩長両藩の首脳の会見実現に尽力した。その結果、パークスは幕府よりも薩長を「貴」とし、維新への道が定まることになる。

 グラバーは、西日本の雄藩・大藩のほとんどすべてを相手にした。維新後、彼は誇りをこめて述懐している。

 「幕末に長州、薩摩、肥後、肥前、宇和島の各藩とは何十万、何百万両の取引をしたが、賄賂は一銭も使わなかった。これは、賄賂をふところに入れるような武士は一、二の例外を除いて一人もおらず、みな高潔かつ清廉であったためで、賄賂をしたくともできなかった。このことはぜひ特筆大書して後世に伝えていただきたい


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(感想・意見など)

 再び勝海舟の「氷川清話」から

 「おれもこの財政の事では、これまで心配したの、しないの、といふ段ではない幕府の末年は、まるで今の朝鮮さ。金はない、力は弱い、人心は離反して居る、その隙を見込んで外国の奴らが付け込んで来るといふ風で、なかにもオロシアは、前々から銭を貸そう貸そうといって、おれが局に立った時にも、箱館に居た公使が、実にうるさく言って来た

 「一時凌ぎに外国から金を借りるといふことは、たとへ死んでもやるまいと決心した。……もし一歩誤れば、何千万人といふものが、子々孫々までも大変なことになってしまふのだ。それでおれが局に立っている間は、手の届く限りはどこまでも借金政略を拒み通した」…(中国の「一帯一路」を思い出させる)。


 ほとんどの国が、国を売る収賄、腐敗行為のためテイクオフ(離陸)できないでいる。先祖の清廉さ、高潔さに感謝のほかない


以上


高松市丸亀町(まるがめまち)商店街③

高松市丸亀町(まるがめまち)商店街③
 かがわ経済レポート2019年3月15日号
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街③
 
 繁華な商店街で100年、200年にわたって商売を続けていく上で障害となりかねないのは相続税贈与税だと思われる。一般的に相続税や贈与税は階級を固定しないいい制度ではあるが、これをそのまま適用すると四百数十年続いた商店街が崩壊しかねない。

 同じかがわ経済レポートに生駒 学税理士の「相続事業承継のポイント」が載っていた。これが丸亀町の例にそのまま該当するかどうかは分からないが、抜粋して引用する。

 【個人版事業承継税制】

 「平成31年の税制改正の目玉は、個人版事業承継税制の創設。事業用資産にかかる相続税、贈与税の負担が実質ゼロになる。具体的には、個人事業者の後継者が、相続や贈与により事業用資産を取得して、事業を継続する場合には、事業用資産であることを条件に、(略)相続税、贈与税の納税が猶予される」

 「昨年、中小企業者の自社株式の相続税、贈与税の猶予制度、すなわち、後継者が自社株式を相続、贈与した場合、100%相続税、贈与税がかからない画期的な制度が創設されたが、その個人版。但し、不動産貸付事業等は除かれる」

高松市丸亀町(まるがめまち)商店街③
 この辺りが壱番街(いちばんがい)。左が東館、右が西館。 

高松市丸亀町商店街
 週刊東洋経済2018年11月3日 丸亀町(香川県高松市)

 生活者視点で復活した商店街
 所有と利用を分離して地権者らの反発を防止

高松市丸亀町商店街
 讀賣新聞2019年4月13日

 住みたい街づくり
 再生の主役は地域住民
 生活取り戻し再生

高松市丸亀町商店街
 四国新聞2019年3月27日

 丸亀町に隣接する大工町、磨屋町(とぎやまち)にマンション、店舗、駐車場、子育て施設、医療施設などを建設する。2023年完成予定。

高松市丸亀町(まるがめまち)商店街③
 高松市大工町の再開発地区?
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街③
 高松市磨屋町(とぎやまち)の再開発地区?






 高松市丸亀町(まるがめまち)商店街③


 かがわ経済レポート2019年3月15日号に丸亀町の新しい動きが載っていた。抜粋してご紹介します。


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 異業種の連携を図り 丸亀町の定住人口拡大へ
 丸亀町クリニック


 高齢者が健康に長生きできる街をつくろうと「地域包括ケア」を掲げ、丸亀町クリニック(高松市丸亀町1-1 高松丸亀町壱番街西館三階 豊永慎二院長)がこのほどオープンした。

 同クリニックの診療科目には内科・循環器科・女性内科・放射線科・リハビリテーション科・健康診断・人間ドック・検診を設けている。

 また、丸亀町商店街が目指す定住人口の増加と、高齢化社会に対応する街づくりの実現のため「医・食・住」をキーワードに同じ建物に構える施設との「連携」を図っていくことが特長


 これまで接点のなかった病院・レストラン・予防医療の拠点・調剤薬局・保育園のコラボレーションを実現することができた。

 (A街区)壱番館西館4階には、気軽に健康診断が受けられる予防医療の拠点施設「セルフメディケーションプラザBody Bank」が構えていることから、診断の結果を受けて、ジムでの改善指導やクリニックでの治療が受けられる。

 同フロア4階のレストラン「菜園’sCafe」では、香川の食材を使用し、塩分や糖質を抑えた健康的な料理を提供。病院の利用者には、診察の待ち時間にドリンクサービスをしている。

 また、街中で勤務する人を対象に、仕事と子育ての両立を効率化するための「壱番館ドーム保育園(壱番街東館3階)」、「壱番街ドーム薬局(西館2階)」との連携をしながら、周辺地域に居住・勤務する人々のライフスタイルの向上にも期待できる。


 古川康造理事長(高松丸亀町商店街振興組合)は、「当振興組合が推進するCCRC(高齢者が健康な段階で入居し、終身で暮らすことができる生活共同体)の基礎構造が具現化できたことはたいへん喜ばしいこと。これまで実現が難しかった業種のコラボレーションが確立できたことは丸亀町としても大きな一歩。私たちの取り組みを全国のモデルにしていきたい」と述べた。

 豊永慎二院長は、「高齢者が住み慣れた地域で自分らしい暮らしを続けられるようサポートしていきたい。また、丸亀町周辺の企業に勤めている方の健康管理にも一助できれば幸い」と、今後の方向性を語った。


 以上


高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②

高松市丸亀町商店街
 日経新聞2018年7月2日「やさしい経済学」

 土地利用権を集約し有効活用

高松市丸亀町商店街
 日経新聞2018年5月19日

 商店街 老後の楽園に


高松市丸亀町商店街
 週刊東洋経済2018年11月3日 丸亀町(香川県高松市)

 生活者視点で復活した商店街
 所有と利用を分離して地権者らの反発を防止

高松市丸亀町商店街
 讀賣新聞2019年4月13日

 住みたい街づくり
 再生の主役は地域住民
 生活取り戻し再生

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高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②
高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②
 ダイワロイネットホテル高松





 高松市丸亀町(まるがめまち)商店街②


 昨日に続いて、日経新聞2018年5月18日の記事を抜粋してご紹介します。高松丸亀町商店街振興組合・古川康造(こうぞう)理事長の話です。


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 商店街 老後の楽園に
 ■再開発成功 プランは自分たちで
 ■「医食住」一体の街で生活担保


 大がかりな再開発で全国的に注目された高松市の丸亀町商店街。2006年の第1期施設の竣工から10年余りがたつが、今なおその取り組みは光を放つ。

 「目指すのは商店街の再生ではなく、僕たちが老後を暮らすための街の再生」。商店街のリーダー、古川康造の言葉に持続するまちづくりの秘訣は集約されている。

 中心街の活気を取り戻した丸亀町には各地からの視察が続く。


 全国でも希少な再生の成功例となったのはなぜか。古川が強調するのは「これは街の再生計画」という点だ。

 420年の歴史を持つ丸亀町商店街。歴史観からか商業で街を活性化しようと思うのが間違いと言い切る。「商業地に人が張り付いたのではなく、人が暮らしている所に商業が自然発生的に集積したのが商店街」。

 かつて丸亀町周辺にはすべての診療科の病院があったという。辻々には八百屋や魚屋があり、歩いて何不自由なく生活できた。それがバブルによる地価高騰で暮らしにくくなり、人も医食機能も郊外に散った。

 町が今また整備するのも「医食住」だ。高度医療への窓口機能を備えた医療モールを整え、安心して食べられる食材を扱う市場を開設し、安価な住宅を提供する。「「ここで生活したいと言われるような、特に高齢者にとってのパラダイスをどう作り上げるか」という取り組みなのだ。

 再開発を実効性あるものにしている理由としてこれは僕らの老後の生活の担保」という考え方も見逃せない。

 プランはあくまで自分たちで練る。「僕たちがハッピーな老後を暮らすために、この街はどうすればいいのかという所にすべての答は用意されている」。しかしその答えは普遍性を持つ。

 高松もインバウンド(訪日外国人)が急増し地域をあげた受入れ熱が高まる。丸亀町も商業者の創意工夫を促す売り場作りなどを構想中だ。ただ古川は冷静だ。「流行には興味がない。インバウンドも一時のはやりかなと、少し心の中にある」。

 バブルや瀬戸大橋開通による大型店進出で「うちはドスンとだめになった」。

 丸亀町は土地の所有権と利用権を分離する定期借地権方式で再開発の機動性を確保し、注目されたそこまで踏み切れたのも「熱湯をかけられたから」。「ゆでガエルが一番怖い。気がつくともう手の打ちようがない」。
=敬称略 (高松支局長 深田武志さん)


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(感想・意見など)

 私は小学生になったころから高校卒業ごろまで丸亀町の近くの商店街で育った。商売人というのは売り場をできるだけ広くとりたい。また、在庫を豊富に置いていないと売り逃がす(機会ロス)ことがあるので、できるだけ近くに在庫を置いておきたい。必然的に居住部分は手狭になる。

  中・高校生ごろになると、それまで商店街に住んでいた人たちが郊外に家を買ったり借りたりして、郊外から店に通ってくる人たちが増え、商店街に居住する人たちがどんどん減っていった。居住者が減ると、毎日の生活に必要な店まで閉店し、悪循環が始まる。


 土地の所有権と利用権を分離する定期借地権方式は商店街再生のために有効だと思われる。ただし、商店街の半分もがシャッターが下りてしまってからでは手遅れ。その前に手を打つ必要がある。

 土地の利用権を所有権から分離して共同化し、所有者が共同出資するまちづくり会社に管理運営をゆだね、街全体を1つのショッピングモールのように運営する。One for all,All for oneの考え方が重要。

 商売が下手な人、業種・業態が現在の場所では適当でない人、リタイア間近で後継者のいない人などは、所有権はそのままに、商売の上手な人、業種・業態が現在の場所が適当な人、商売に意欲的な人などに利用権を付与すればいい。

 所有権は移らないので利用権は安くできる土地・建物の賃借料が安ければ商売は成功しやすい

 
 これは住居についても言える。便利な街中に住みたい人、商店街で育ち商店街で生活したい人などは、定期借地権マンション(例えば60年)なら購入するより安く住むことができる。さらに、商店街近くに住めばクルマがいらない。車に関する一切の費用、駐車料などもいらない。たいていの所は徒歩か自転車で行ける。

 居住者=消費者。街中の人口を増やす。古川理事長のいう「これは僕らの生活の担保」というのは、商売を続けたい人は近くの定借マンションに住みながら商売(職住近接)をし、リタイアする人は不動産賃貸収入(=配当)をもとにハッピーリタイアメントを楽しめばいい。そのために必要な「医食住」などはまちづくり会社が用意しますよ、ということである。

 多くの人が快適に住む場所は魅力がある。自然と人が集まり消費する。そのために丸亀町は着々と手を打っている。


つづく


高松市丸亀町(まるがめまち)商店街①

高松市丸亀町商店街
 日経新聞2018年7月2日「やさしい経済学」

 土地利用権を集約し有効活用

高松市丸亀町商店街
 日経新聞2018年5月19日

 商店街 老後の楽園に


高松市丸亀町商店街
 週刊東洋経済2018年11月3日 丸亀町(香川県高松市)

 生活者視点で復活した商店街
 所有と利用を分離して地権者らの反発を防止

高松市丸亀町商店街
 讀賣新聞2019年4月13日

 住みたい街づくり
 再生の主役は地域住民
 生活取り戻し再生

高松市丸亀町商店街
 三町ドーム(丸亀町、片原町、兵庫町、高松三越の交差点)

高松市丸亀町商店街
 この場所で、合唱、演奏会、各種パフォーマンス、展即会、募金などが行われる。
 左奥が高松三越

高松市丸亀町商店街
 
 全長470メートルのアーケード街は北からAからGまでの7街区に分けられているA街区は高級ブテック、B、C街区は美容、健康、ファッション、D街区にはアート・カルチャー系、E、F街区はファミリー、カジュアル系、G街区にはレストランやバー、マルシェ、ホテルなどが配されている。

高松市丸亀町商店街

 診療所フィットネスクラブも誘致。この反対側(西側)に宮脇書店本店、高松市美術館がある。

高松市丸亀町商店街
高松市丸亀町商店街

 G街区。丸亀町グリーン毎日見学者が絶えないが、いまだに同じようなやり方をしたという話は聞かない。

高松市丸亀町商店街
 2018年12月、経団連の重鎮たちがプレゼンのあと視察。
 政治家、官僚、学者、自治体職員、各地の商店街関係者、企業の企画担当者などの視察が多い。
 恐らく、丸亀町の経験からできたり改正された法令などもあると思われる。

高松市丸亀町商店街
 四国新聞2019年3月27日

 丸亀町に隣接する大工町、磨屋(とぎや)にマンション、店舗、駐車場、子育て施設、医療施設などを建設予定。





  高松市丸亀町(まるがめまち)商店街①


 私は二十歳ころまで丸亀町の隣町で育った。だから、商店街には小・中・高校の同級生が多い。
 全国の商店街がシャッタ―通りになっている中、丸亀町が頑張ってくれているのはうれしい。


 ■日経新聞2018年7月2日「やさしい経済学」京都大学・諸富 徹教授の「コンパクトシティを考える」の8回目で丸亀町を取り上げている。抜粋してご紹介します。 


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 土地利用権を集約し有効活用


 人口減少時代には、人口減に伴い、空き家や空き店舗など有効活用されない資産が増えますが、放置したままではスポンジ化が進んで街が荒廃します。そこで所有権と利用権を分離し、利用権は集約してまちづくり組織に委ね、有効活用することが重要になるのです。

 これを実行して成功した有名な事例として高松市の丸亀町があります。

 この商店街もかつて、郊外大規模店舗の影響で衰退に見舞われました。そこで(丸亀町)商店街は土地の利用権を、所有権から切り離して共同化し、所有者が共同出資するまちづくり会社に管理運営を委ねたのです。

 この会社の業務は各分野の専門家が担当し、高い管理運営能力を持っています。

 興味深いのは、所有者といえども商店街で商売を継続できるとは限らない点です。売り上げ目標を達成できない所有者は商店街からの退場を迫られ、所有権に応じた配当で生活する不動産業に転じることを推奨されます

 こうしたドライなルールが導入されたのは、まちづくり会社が利用権を活用した収益最大化を目的としているからで、実力本位制の採用こそが商店街の再生に成功した大きな要因なのです。


 都市再生特別措置法が2018年4月に改正され、まちづくり団体などの「都市再生推進法人」が低未利用地を一時的に保有し、利用希望者に引き継ぐ業務を行えるようになりました。日本でも第一歩が踏み出されました。


つづく


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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