四国旅行

四国旅行 (「村上海賊の娘」から)
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  四国旅行

 ★ 13年11月12日(火)曇り時々晴れ。朝7時半、JR高松駅に友人の金子さんをクルマで迎えに行った。金子さんは、前夜、神奈川から寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗って定刻に着いた。あまり眠れなかったとのこと。私も昔1度乗ったことがあるが、あまり眠れなかった。早速、高松南部の鹿角町の中西うどんで朝食をとった。

 高松西インターチェンジから高速道路に乗り、一路しまなみ海道(西瀬戸自動車道)を目指した。しまなみ海道は、愛媛県今治市(いまばりし)と広島県尾道市の芸予諸島を結ぶ瀬戸内海3番目の橋が主体。今回走ってみて分かったが、産業用というより、生活および観光のための橋、サイクリングロードでもある。

 写真を見ても分かるが、芸予諸島の人々が、4百年以上前に、漁業の他に海賊(村上海賊)を生業としたことが納得できる。航行する人は、島また島で逃げようがない。海峡も狭く、海流も早く、知識と優れた操船技術が要る。

 昔から芸予諸島のひとつ大三島の大山祇神社おおやまずみ)に行きたかった。全国の山祇神社の総本社である。国宝8件、重要文化財76件もある。斉明天皇や護良(もりよし)親王、源頼朝、義経や弁慶などが寄進した兜、甲冑、刀剣類などが宝物館で見られる。海事博物館も面白かった。

 クルマを置いた土産物屋の奥さんに教えてもらった港近くの飲食店で昼食をとった。鯛の兜焼き定食。750円。おいしかった。

 次に石鎚山(いしづちさん:1982m)の麓、仁淀川上流の面河渓谷おもごけいこく)を目指した。高速道路を下りて、ナビがなんと右折を指示した。まさかと思ったが、松山から桜三里に向かう入り口で右折を示した。いきなり狭い道。昔松山にいた時何回か通ったが、まさかナビがこの道を指示するとは。狭く鬱蒼と樹が茂った山道をくねくねと走りまわって開けた場所に出た。小休止する。黒森峠である。標高985㍍とある。あとは下り道である。途中の紅葉にはシビレた。特に赤のグラデーションがなんとも言えず美しい。

 夕方、国民宿舎面河に着いた。40年以上前に建てられた古い建物である。風呂に入り、夕食を食べたあとはすることがない。部屋にはテレビもないし、暖房設備といえば、コタツだけ。平地より5~6度は気温が低く寒い。聞けば、あと10日もすれば閉鎖し、再開は4月とのこと。学生時代以来、久しぶりにコタツに足を入れて本(「村上海賊の娘」)を読みながら寝た。


 ★ 11月13日(水)。小雨がち。朝早めに起きて周辺を散歩する。川の水量が少ないのが残念だったが、紅葉は美しい。7時に朝食。愛媛と高知の県境にある四国カルスト(約1400m)に向かう。以前1回だけ来たことがあるが、変わったのは発電用の風車があること。黒い牛と羊が放し飼いされている。

 梼原ゆすはら)、津野町、に行く。山は曇りがちであったが、平地は晴れている。時間があるので、仁淀川によどがわ)を見に行くにした。水源は愛媛県で高知を流れる一級河川。水質がいいことで知られている。きれいな仁淀ブルーである。河原で箸置きになる小石を拾った。須崎、いの町を通った。

 時間があるので、桂浜に行くことにした。高知はビニールハウスが多い。途中、春野町の高知競馬場を通った。地方競馬場なのに立派そうなのに驚いた。今回の旅で、私も金子さんもがっかりした唯一の場所が桂浜

 二人とも小学生の時に修学旅行で来た。変化を一言でいえば、「俗化」の極みである。何であそこまでいじくり回さなければならないのか。龍馬像の横にもヘンなものを置いていた。30分くらいしか置かないのに駐車料が400円もする。桂浜の西側のあまり手を入れていない長い海岸のほうがよっぽどいい。龍馬の独立不羈の精神とは逆。どうせ同じような考え方で作られているのだろうと坂本龍馬記念館に行くのはやめた。 桂浜ではなく、牧野植物園にすべきだった。これだけは選択を誤った。

 途中、船型のドライブインで遅めの昼食を取った。「はちきん定食」。肉うどんにカツオのたたきなどが付いていた。950円。少し味が濃い。食後、今夜の宿を決めることにした。私がスマホに登録している全国チューンのホテルは潰れたのか電話がつながらなかった。インターネットで探した。「スーパーホテル高知」にした。1度泊ってみたかった。朝食付きで5480円。駐車料1泊700円。高知は街の規模の割にホテルが乱立しているようである。また、全般に値段が安い。

 チェックインし、天然温泉があるというので風呂に入った。気持ちよかった。しばらく休んで、夜、町に出た。以前から「ひろめ市場」をのぞいてみたかった。歩いて10分くらいだという。帯屋町を抜けたところにあった。アジア屋台村のような感じである。居酒屋風の店が多いが、洋装店や花屋、土産物屋もある。高校生が男女とも制服姿でタコ焼きなどを食べているのを見て、ちょっとびっくりした。「鯛飯定食」とウーロンハイを頼んだ。おいしかった。

 ホテルに帰って9時のNHKニュースを見て、本を読みながら早めに寝た(高知はチャンネル数が少ない)。

 
 ★ 11月14日(木)晴れ。朝6時に起きて天然温泉に行く。朝風呂は格別気持ちがいい(結局部屋の風呂は使わず)。朝食は6時半からなので、6時40分ごろ食堂にいくと、いっぱいの人。こんなに大勢が朝早くから食べるとは思わなった。朝食はバイキング形式のセルフサービスだがなかなかいい。無料の自販機のコーヒーを飲みながら日経新聞を読む。喫茶店だと600円~650円くらいはする。朝食込みで5480円は安い。

 7時半にチェックアウト。国道195号線(土佐中街道)を目指す。高知~徳島間で、室戸経由の海べりは走ったことはあるが、内陸部の195号線は初めてである。物部川と那珂川沿いを走っている。丁度真ん中どころが剣山(つるぎさん:1955m)の麓にあたる。

 高知市寄りと、徳島県阿南市寄りの十数㌔(市部近く)を除いて、秋を満喫させてもらった。紅葉シーズンドンピシャリである。

 あと、阿南市の日亜化学(LEDのトップメーカー)の外観と徳島市郊外の新しいショッピングセンターゆめタウン藍住あいずみ)を見て、板野インターから高松行きの高速道路に乗った。

 途中、津田の松原SAで昼食をとった。さぬきうどんである。大人気で長い列ができていた。おいしかった。お土産を買って、一路高松へ。金子さんを実家に送り届け、家に帰り着いたのが2時40分ごろ。3日間で800㌔余、四国全県を走った。リッター20㌔の好燃費(通常街乗りで15㌔ぐらい)。天候に恵まれた。


.......... .......... ..........

 
 今回の小旅行で、桂浜以外は満足である。できれば、葉っぱビジネスの徳島県上勝町と「ごっくん馬路村」の高知県馬路村に行きたかったが、次の機会にしたい。

 過疎の村・町に行くと、ここの人たちはどのようにして生計たつき)を立てているのだろう、と気にかかる。道路、橋、トンネル、道の駅などインフラは整っているが、今後のメンテナンスが気懸かり。国は借金まみれで今までのように野放図にばらまく訳にはいかない。過疎の村・町こそ少子高齢化は激しい。廃屋も沢山見かける。

 それでも、この度回った中でも、梼原などは頑張っているように見かけた。津野町だったかで、高校生10数人が学校の外をランニングしているのを見て嬉しかった。ガソリンスタンドのお兄さんも若かった。若い人こそ希望である。

 道の駅もたくさんあったが、同じような建物を建てても、ちゃんとしたリーダーと熱心な農家がいる活気のあるところと、建物は立派だが「仏作って魂入れず」でほとんど稼働していないところもあった。これらのことは実際に現地に行ってみないと分からない。問題は働く場。夫婦2人が働いて(1.5人力)で何とか年間500万円(米・野菜・肉・魚などが自給できるなら400万円)稼げるようにならないものかといつも考えている。



以上

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 2011年10月19日〈水〉から21日〈金〉にかけて、2泊3日で東北地方のおもに太平洋岸を旅行した。


(1日目) 
 
 19日朝ANA第一便で高松から東京へ。モノレールで浜松町へ。JR浜松町駅で「京浜東北線は大井町駅で人身事故があり、運行を見合わせています」というアナウンスを聞いて「ああ、東京へきたな」と実感した。山手線で東京駅へ。東北新幹線「やまびこ」で仙台まで。

 仙台駅内の予約していた駅レンタカーへ。マツダ・デミオが用意されていた。デミオを運転して日本三景のひとつ松島へ。道沿いの松島町は、みたところ津波の被害はたいしてなさそうだった。瑞巌寺に参った。

 石巻市に向かう。ナビに従って運転していたためか、どうも津波の被災地らしきものが見えない。ナビに頼るのをやめて海岸方面へ。やはり海岸近くは相当やられていた。道の両脇の家々はどこかしら破壊されている。がれきの山があちこちにあったり、冠水した車が数百台も積み重ねられていたり、魚油用の赤い大きなタンクが道のまん中にごろんと転がっていたり。

 あちこちで重機が作業している。埃っぽい道をダンプが何台も走っている。

 後で分かったのだが、本来は398号線を走って女川町に行くべきを、ナビに頼って45号線を走ったため、女川町をパスしてしまった。結局、意外と早く南三陸町に着いてしまった。

 南三陸町の「ホテル観洋」にチェックイン。仙台在住の以前勤めていた会社の友人に推薦されたが、オーシャンビューの大変素晴らしい、いいホテルであった。このホテルは崖の上に建っていて、入口、フロントは5階にある。1~2階は津波にやられたが、ほとんど営業に差し支えなかったという。恐らくこのホテルには何十人という従業員がいる。その人たちの貴重な雇用が維持されたことを喜びたい。

 部屋は9階で、和洋折衷。ダブルベッドの洋室と、一段高い所に4畳半の畳の間がある。3人は泊れそうな部屋。まだ明るかったのでオーシャンビューの太平洋や島や岬の写真を撮る。かもめが窓の外の手すりに何羽も停まっている。人に馴れている。

 食事、風呂(部屋にもあったが、大浴場へ)のあと、部屋にて予約していたマッサージを受ける。マッサージ師は、60代後半の男性。ホテルの近くの海岸近くに家があったが、津波に流されて、今は30㌔離れた隣町の仮設住宅に住んでいるという。弱視のため遠くで働くことはできず、職のことを心配していた。津波のことをいろいろ話してくれた。

 印象的だったのは、海に向かって凸の部分(岬)より凹の部分(入江)の方が被害が大きかったという話。凸の部分では10メートルの波が凹の部分では波が駆け上がっていって40メートルにもなったという。地形によっては、波が前からくるより、駆け上がった波が後ろの山から降ってきたという。

 マッサージは正統的なあん摩の手技で、約50分くらいで4000円。安い。

 その後、いつもならワールドビジネスサテライト(WBS)を視るのだが、こちらでは映らない。広島でもそうだったが、テレビ東京系列の地方局がないらしい。仕方がないので文庫本を見ながら寝る。

 
(2日目) 
 
 朝7時に起きて、露天風呂へ。180°太平洋。天気が良く、気持ちがいい。朝食(バイキング)のあと、8時チェックアウト。1泊2食付きで8440円。安い!

 気仙沼市へ。45号線沿いはほぼ全滅。漁業関係の加工場や冷蔵所などがあったと思われるところが全部やられている。長さ60㍍の魚船が道の脇に打ち上げられていた。警視庁や大阪府警、千葉県警などのパトカーが赤色灯を点滅しながら埃っぽい道をひっきりなしに通る。

 岩手県陸前高田市に入る。すぐに一本松が見える。何万本もあった松並木で一本だけ生き残って有名になった松。もともとは何があったのか分からないが、倒れた松が伐採されて積み上げられている他、本当に何もない。しばらく走ると、道の右手(海側)にはドライブイン?などの廃墟が数軒、左手に5階建のきれいなマンションが2棟見えた。1階から3階までの窓ガラスはすべて割れて、窓枠もひしゃげている。4階は部分的に割れているが、5階は損傷なし。1~2の部屋でシーツ様のものを干していた。住む高さが明暗を分けたようである。

 大船渡市は、被害状況が気仙沼に似ている。

 釜石市は、家が流されて土台だけ残っているというのはあまりなくて、写真のように半壊・全壊という家、店舗、工場などが何百・何千とある。これから、それらをほとんど取り壊さざるを得ない。

 私が着いたのは3時ごろであったが、その朝、津波で岸壁に乗り上げて通行を妨げていた、「アジアシンフォニー」という4700トンの貨物船をクレーン船で海に下ろしたところであった。

 ラグビーチームの釜石シーウェイブスに、横河電機のある選手が、「お前ら、震災で頭おかしくなったんちゃうか」と暴言を吐いて処分されたそうだが、その選手は、人としておかしい。頭をまるめて釜石市を訪ねるべきである。釜石市に限らず、被災された多くの方々の前途にどれだけの困難が横たわっているかを想像しただけで、涙せざるを得ない。

 釜石をあとにして、大槌町へ。ここも道の両脇は全滅に近い。廃墟となった町役場玄関の前に古ぼけた机のようなものが置かれ、花や線香が手向けられていた。職員が被災したと思われる。手を合わせ顔を上げると、玄関上の時計が3時半で止まっていた。

 次の山田町も大槌とよく似ていた。宮古市中心部はそれほど酷い被害は見受けられなかったが、大防潮堤で有名な田老地区はほぼ全滅といってもいい状況であった。

 前日の仙台市から宮古市田老地区まで東北の太平洋岸を南から北へ数百キロ走ってきた。リアス式海岸をくねくねと走ってきたが、同時にそれはアップダウンの連続でもあった。少し峠にさしかかったり、石巻のように海岸沿いの道から1本内側の道を走ると、そこにはごく普通のあたりまえの生活があった。

 しかし、峠から下って右前方に海が見えだし、しばらく走り低地に至ると、そこはぐしゃぐしゃの世界(被災から7カ月以上。がれきは8割方片付いていると思われるが……)。湾や入江にはたいてい川が注ぎ込んでいるが、その川の両岸はかなり上流部までぐしゃぐしゃになっている。津波が川を遡上したためと思われる。川の両岸の木々は潮をかぶって赤茶けて立ち枯れしそうになっている。そうした風景を何ヵ所も見てきた。

 津波の被害に合わないためには、海や川から離れた高所に住むに如くはない。そうは言っても、人には生活があり、仕事があり、地域のことは地域の人でないと分からない。11年9月27日のブログ「被災3県人口46%減!」にも書いたように、30年後には人口が半減すると予想されている。人口減、高齢化、減災を考慮した現実的な都市計画を、地域の人が主体となって、早急に決める必要がある。

 今回の東日本の太平洋岸約500㌔、2万人の死者・行方不明者、無数の流されたり倒壊した建物などの地震・津波被害及び原発事故は、毎年莫大な予算を費消しながら、学界なるものが如何にいい加減であるかを明らかにした。運転していて次々と現れてくる被災地の惨状を見るにつけ、自然の脅威を感じるとともに、デタラメな学者に激しい怒りを感じた。

 宮古から反転、106号線、340号線を柳田國男の「遠野物語」で有名な民話の里遠野市に向けて下った。特に340号線は信号もほとんどなく、閉伊川沿いの道や、紅葉しかけた東北の秋色の中をつづら折れの山道が続き、楽しめた。

 こういう道にマツダ・デミオは最適である。ハンドリング、足回りが中々いい。旅先で1300cc級のレンタカーを何度か借りたことがある。私の評価は①ホンダ・フィット②マツダ・デミオ③トヨタ・イスト④トヨタ・プラッツの順である。個体差であろうが、プラッツはひどかった。

 暗くなってから遠野市の民宿に着いた。趣のある遠野駅2階のホテル「フォルクローロ遠野」に泊りたかったが、予約で一杯だったため、生まれて初めて民宿なるものに泊った。他には道路工事の作業員が4~5名1ヵ月以上泊っているとのこと。6畳くらいの部屋に寝具以外ほとんど何もない。風呂に入るとすることが何もないので、文庫本を読みながら早めに眠った。

 
(3日目) 
 
 翌朝5時に目が覚めた。朝食を予約していたが素泊まりに変更してもらい、朝6時に北上市に向けて出発。283号線、107号線を西に向かってひたすら走る。日本の原風景のような景色が続く(=写真)。

 人をほとんど見かけず、あまり車が走らないような道でも、きちんとメンテナンスされている。日本は1000兆円もの借金を抱え、この辺りは30年後には恐らく人口が半減以下になると思われるが、いつまでこのような状態を維持できるのだろうかと考えながら、走り続ける。

 北上市は、人口10万人弱のこじんまりとよくまとまった感じの内陸部の町である。北上駅前のガソリンスタンドで満タンにし、駅前レンタカーにデミオを返却(乗り捨て)する。ガソリン約30リッター、走行距離433㌔、平均燃費14.4リッター。震災による道路工事のため片側交互通行の部分が20ヵ所ほどあったが、信号もあまりなく、ストレス少なく走れた。

 ガソリンスタンドは、高松では8割方セルフ方式であるが、こちらでは従来からの有人スタンドが多いようである。ガソリンも、高松ではリッター132円、こちらでは138円~148円と高い。

 途中の食事やトイレ休憩は、「コンビニ」か「道の駅」を利用(両方とも4ヵ所くらい)したが、「道の駅」の前途に疑問を持った。トイレを利用した場合、一宿一飯の恩義で何か買おうとしたが、「道の駅」では買うものに困った(結局、ナショナルブランドのチューインガムや缶コーヒーを買った)。
 
 「コンビニ」は、明らかにお客様の方を向いて商売をしている。製品の一つ一つが社内の何人ものチェックを受け、商品になってからもPOSデーターで売れ行きをチェックされ、売れ行きが悪いとすぐに棚から外される。開発者は、売れないものを作り続けていると、社内で居場所がなくなる。他のコンビニとも熾烈な競争関係にある。次から次へと新しいものを考えていかざるを得ない。プロである。

 「道の駅」に置かれているものの多くはその反対である。お客様というよりも、作り手の思いが前面に出ていることが多く、商品チェックが甘い。売れ行きチェックもそんなにしていないと思われる。施設全体の管理にも甘いところがある。アマチュアである。「道の駅」がこんなに沢山あるとは知らなかったが(現在全国に977ヵ所)、今のままでは早晩経営に行き詰るところが出てくると思われる(今後は税金もそんなにはつぎ込めない)。もっと「お客様目線」で「経営」を考える必要があると思われる。

 文庫本を3冊(佐伯泰英×2、高田郁×1)持っていったが、ほとんど読んでしまった。身の回りから本がなくなると大変不安になるたちなので、北上駅のキオスクで文庫本(上田秀人)を1冊買った。
 
 北上駅から新幹線「やまびこ」で東京駅まで。山手線で品川まで。京急で羽田空港まで。羽田からANAで高松空港まで。高松は小雨に煙っていた。お陰で天候に恵まれた。

 

費用明細

・飛行機 高松―東京往復  約3万円(株主優待券使用のため50%OFF)
・新幹線 東京―仙台、北上―東京 約1万9千円(レール&レンタカーのため乗車券2割引、特急券1割引)
・レンタカー 仙台で借り受け、北上にて返却 約2万円
・宿泊 8440円、4900円
・ガソリン代 4400円
・高松空港駐車料 2400円(@800×3日)    以上合計 約9万円

 
 
 2011年3月11日は金曜日であった。悲惨な震災のニュースを見て、月曜日に銀行が開くのを待ちかねて、義援金を振り込んだ。それ以降、毎月少ないながら義援金を振り込んでいる。今回東北地方の震災地域を回ってみて、ますますその気持ちが強くなった。可能な限り長く支援していきたい。
 また、今回のことである程度勝手が分かったので、可能ならば、3年後、5年後、10年後…と、度々訪れたい。原発がある程度落ち着いたら、福島にも行ってみたい。


... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...


(追記)

 東日本大震災・津波の記憶を後世に伝えるため、シンボルとなるものを残そうとする動きがある。それには賛否両論がある。

 思い出したくないのでやめてほしいという人の気持ちはわかる。また、最終的にはその地区の住民・市民が決めることである。

 しかし、私は何らかのシンボルを残してほしいと思っている。私は広島で2年間勤務した。会社は平和記念公園の前にあったため、ほぼ毎日太田川沿いを歩いて通った(休日も出勤することが多かった)。太田川(本川)と元安川の分岐点にある相生橋(原爆投下目標であったらしい)の傍に原爆ドームがある。原爆ドームを見る度に粛然とした気持ちにならざるを得なかった。

 個人的な思いもある。は1945年8月6日には岩国の山をくり抜いた軍需工場にいた。広島に家族がいたため心配して翌日広島市に入った。もともとは頑健な人であったが、そのためか、中年以降健康を害することが多かった。入市被ばくの可能性が高い。本人は長い間苦しみ、家族は苦労した。

 人は忘れやすい。シンボルを残すことによって、将来多くの人を災禍から救えると確信している。                                                 

以上

京都旅行

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 京都市美術館「親鸞展」

 5月7日(土)、8日(日)車で京都まで旅行した。
 メインの目的は、「法然展」「親鸞展」「ウメサオサダオ展」+新緑の京都。

 朝7時半高松の家を出て高速道路を一路京都へ。途中吹田SAで小休止、10時半過ぎに東山七条の京都国立博物館で「法然展」を見る。会期が明日までのためか、よく混んでいた。内容はそれなりに充実していた。

 昼過ぎから岡崎へ。地下駐車場に車を入れ、京都市美術館で「親鸞展」を見る。会期が月末までのためかそれほど混んでいない。20歳くらいの女性が何人かノートに一生懸命書き込んでいる。何をしているのか尋ねたところ、同志社女子大の学生で、博物館学の授業の一環で、気づいたことをメモしている、法然展にも行ってきた、とのこと。博物館学を学ぶためには、京都は最適の場所であろう。
 「親鸞展」はわりとアッサリしていた。「えっ、これだけ」という感じ。

 時間があるので、学生時代に行きたくてどういう訳か行けなかったところへ行くことにする。白川通りを北へ。途中「京都造形芸術大学」を発見。「ここにあったのか!確か学長が千住博さん、副学長が秋元康さんのはず」

 京都造形芸術大の少し北を右折し3~400メートル上ると目指す「詩仙堂」。学生時代に詩仙堂絶賛の先輩がいたが、分かるような気がする。日本の庭のひとつの理想型のように思える。不自然に整えられ過ぎてもなく、乱雑でもなく、みずみずしい新緑に、花咲き、鳥歌い、虫が鳴き、せせらぎ、時折ししおどしのコーンという音。爽やかな風。いい感じである。
 秋のもみじのころ、冬一面銀世界のときに、来てみたい。

 帰路は、北大路通りを西へ。だいぶ様子は変わったが、喫茶HASEGAWA、大垣書店などが健在。大徳寺、金閣寺、平野神社を過ぎ、白梅町を左折、北野天満宮を左手に見ながら御所方面に東進。懐かしさで胸がいっぱいになる。
 京都は日本の宝である。

 ホテルにチェックイン。車を駐車場に置いて、徒歩で祇園方面へ。何必館(かひつかん)・京都現代美術館へ。思っていたより規模が小さい。MAYA MAXX展をやっていた。それよりも魯山人のほうがよかった。
 
 河井寛次郎記念館に行きたかったが、時間がないので諦める。一力の横の花見小路を南下。金澤翔子さんのポスターがところどころに貼ってある。建仁寺で今日から一週間書道のデモンストレーションをするらしい。お母様ともども相変わらず頑張っている。

 錦小路経由で六角堂に行くことにする。途中、四条河原町辺りで、菅内閣打倒のデモ隊300人位?に合う。錦市場は、前回来た時は閑散としていて暗い気持ちになったが、今回はよく繁盛していて嬉しかった。それでも何店か空き店舗がある。錦市場は、ある意味全国の中心商店街のトップランナー。頑張ってほしい。

 六角堂は、5時までで、門が閉まっていた。立て札を見ると、聖徳太子、親鸞、活け花(特に池坊)にゆかりがあるらしい。次回は早めにこよう。

 ホテルに帰り、マッサージを頼む。60代後半?の女性。上手だった。40分4000円。

 9時からNHKスペシャル「巨大津波」を視る。少しでも早く、少しでも高い所に逃げるしかない。あとは運次第。

 早めに寝ようと思って文庫本を手に取ったのが運の尽き。「図書館戦争」有川浩さん(角川文庫)。面白くて、結局眠りについたのは2時半過ぎ?


 5月8日(日)朝7時前に起きる。洗面のあと朝食。8時過ぎチェックアウト。

 私は京都の南方面は不案内。初めて伏見稲荷大社に行く。途中、龍谷大学を発見「こんなところにあったのか」。伏見稲荷と言えば、朱色の鳥居、鳥居、鳥居……が有名。下から3分の1ほどで下りてきたが、その鳥居を見れば、巨大鳥居は別として、普通の大きさのものは、殆どが平成になって寄贈されたもの。昭和は珍しい。近くのお土産屋さんに聞くと、寿命は8~10年とのこと。伏見稲荷さんは、いい商売をしてはります。

 さらに南下。向島(むかいじま)ニュータウンの高層集合住宅群を発見。大規模なニュータウンには、高層住宅だけでなく、道路・電気・水道・下水道・ガスなどのインフラ、電停、バス停、保育園、幼稚園、小学校、中学校、病院、銀行、スーパーマーケット、コンビニなど、人間が生活していくためのあらゆるものが不可欠である。そのためには、資金は勿論、広大な空き地が必要である。

 京都は、御所や神社・仏閣が大変多く、北にこの種のものは建て難い。地価も高いし、環境上も難しい。いつ頃このニュータウンができたかは知らないが、この地(宇治川の南岸)にできたことは納得できる。あるべきものがあるべき場所にあった。
  
 第二の故郷である京都に別れを告げて、高速を南下。最後の目的地吹田へ。入口がなかなか分からず万博跡地をまいまいした挙句、やっと国立民族学博物館へ。標識に問題あり。

 特別展「ウメサオタダオ展」をみる。原則としておさわりOK、写真OKが嬉しい。梅棹忠夫さんは、知の巨人であり、最初から「かなわん」という感じである。

 常設展も見た。世界は実に多様で、ある意味大変豊かである。宗教的でもあり、意識せずとも見事にアートになっている(こう言っては失礼だが、昨日見たMAYA MAXX展よりずっとアートしている)。欧米の価値観など、世界的に見れば、ごく一部のマイナーなものに過ぎないように思える。

 何かしらインスパイアーされて帰路へ。淡路島のSAで遅い昼食をとり四国路を西へ。食後でもあり、睡眠不足で運転が危ういので、1つ早いインターで降りて、夕方高松着。全走行530キロ。

 たまに日常から離れて行動することは、自分の中の何かが広がる気がします。有意義な2日間でした。

 

 

京都・奈良旅行

二月堂からの奈良市街
 
 東大寺二月堂から見る奈良市街

 2月20日から2泊3日で京都・奈良に旅行した。

 高松から車で淡路島経由で京都に入り、京都国立博物館で「筆墨精神ー中国書画の世界」をみる。
 東山にある京都国立博物館は、建物及び環境が素晴らしい。
 展覧会では、王義之(おおぎし)が、やはりダントツ人気がある。

 JR京都駅に東京からの友人家族を迎えに行き、一緒に東山の建仁寺に。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」、金澤翔子さんの書「風神雷神」、小泉淳作さんの天井画「双龍図」を見る。

 その後、奈良へ。夕方、奈良ホテルに投宿。100年の歴史を誇る由緒あるホテル。
 夕食まで時間があったので、近くの春日大社の境内を散策する。あちこちに鹿がいるが、薄暮のためか、じっとして動かない。

 翌日は、朝から明日香村へ。石舞台は、40年前学生時代に訪れたが、全く様相が変わり、周辺が完全に整備されている。この十数年、景気浮揚のためか、日本中でいろいろなものが出来ている。

 次に、奈良県立万葉文化館へ。10年前に設立とのこと。何気なく立ち寄ったが、結構内容があり、またボランティアガイドの方の熱心な説明もあり、思いがけず時間を取ってしまった。
 
 伝飛鳥板蓋宮跡から、法隆寺へ。いいですねー。京都のお寺とはまた違った、ゆったりした趣がある。4時半閉門のため、急いで見て回らざるを得なかったのが残念。

 奈良の中心に戻り、多少時間があったので、東大寺二月堂へ。二月堂から美しい夕焼けの奈良の街が一望できた(写真)。

 最後の日は、朝一番で東大寺大仏殿へ。天気も良く、清清しい。
 大仏殿、大仏様とも実物はやはり迫力がある。ビデオや写真では伝えられないものが確かにある。
 
 鹿が食べ物をねだりにくる。残念ながら、人間語をしゃべる鹿には出会えなかった(*)。 

 観光客は、欧米人より東洋人(中国、韓国、日本人)が圧倒的に多い。中国語、韓国語が飛び交っている。

 次に、近くの奈良国立博物館で「お水取り」「珠玉の仏教美術」を見る。
 
 疲労度が8~9割に達したので、見たいものはいっぱいあったが、今回の旅行はここで打ち切ることにした。

 友人家族をJR奈良駅に送る。私は車で帰路に。 
 
 阪神あたりの高速道路は、車が多くPAもなくハーフパイプのようで、全く気が抜けない。

 明石大橋からの眺めは世界一と言っていいくらいの絶景!!

 四国の高速に入ると、景色がよく車も少ないので、ホッとする。高松まで230キロ余り。途中2回の小休憩を入れて3時間半。今回の全行程600キロ。

 1~2週間前雪が積もったため天候を心配していたが、3日間とも晴天で、天候に恵まれた。

 それにしても、京都・奈良はディープである。つつけばつつくほど関心が広がり、際限がない。

 車を使ったのは正解。現地でNAVI付のレンタカーを借りるという手もある。電車・バスではこれだけ回れなかった。

 できれば、桜の咲くころに、「法然展」(京都国立博物館)、「親鸞展」(京都市美術館)にいってみたい。

  
    (*)「鹿男あをによし」万城目学さん

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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