証拠は誰のもの?

(霞が関の検察庁)
朝日新聞11年11月17日に気になる小さな記事が載っていた。
(見出し)
■袴田事件 供述テープが存在
(本文抜粋)
静岡県清水区(旧清水市)で1966年の一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌死刑囚(75)の第2次再審請求で16日、静岡地検が「袴田死刑囚の供述内容を録音したテープが存在する」などと記した意見書を静岡地検に提出したことが分かった。録音テープの存在はこれまで確認されていなかった。
ただ、地検はテープの弁護団への開示は拒否しているという。
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(感想・意見など)
この記事を読んで、世の中なんでこんな馬鹿なことがまかり通るのかと思った。証拠は、国民の税金を使って集めたもの。警察や検察のものではない。公共財である。警察・検察のものだと勘違いしているから、証拠隠しや捏造や改竄が横行し、冤罪が生まれる。
証拠は、公判前に(事前)全面開示するべきである。先進国では当たり前のこと!
過去のブログ「てっちゃん 雑文集 司法」をご参照下さい。
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少し古いが、朝日新聞10年11月20日「私の視点」欄 成城大学 指宿 信(いぶすき まこと)教授(刑事訴訟法)の記事をご紹介します。
(見出し)
証拠は誰のもの
真実を発見する公共財産
(本文抜粋)
大阪地検の元特捜部検事による証拠改ざん事件や最高検察庁によるメモ廃棄通知をきっかけに、検察の捜査や起訴のあり方に疑問が突きつけられている。
第一に、強制捜査権を持つ捜査・司法当局が収集した証拠は「自分たち(当局側)のもの」という発想を改める必要がある。カナダの最高裁判所は1991年、検察官には公判前に手持ちの証拠を全面開示する義務があるとし、証拠については「真実を発見するための公共の財産」と表現している。
この考え方は先進国では当たり前で、米国の最高裁は50年ほど前、検察官には被告人の罪責を軽減し、無実を示す証拠を告知開示する法的義務があるとしている。
次に、日本の検察官には証拠の取り扱いに関して明確な指針が示されていない問題を指摘したい。起訴する側には、被告人をなんとか有罪にしたいとの意思が働く。これは万国共通。その歯止めとして倫理規定がある。
だが、立派な制度も守られなければ無意味だ。国連は99年、検察官の専門家責任に関する準則を定めた際、被告人に有利な情報提供義務を明記。欧州連合(EU)も2000年、検察官は証拠開示を通じて立証手段の平等に配慮すべきであると勧告し、05年に欧州検察官倫理ガイドラインが制定された。
検察官倫理規定の大幅見直しに着手した米国法曹協会は08年、有罪確定後であれ無罪を示す証拠を知った場合は通告義務を負うとの条項を加えた。
日本でも布川事件や足利事件、冨山氷見事件など、被告人に有利な証拠が請求審や再審で出てきた例がいくつも確認されている。本来なら第一審でそうした証拠で防御できたはずの元被告人たちの無念は計り知れない。
日本は、検察官には不利になる無罪を示す証拠の開示義務はなく、再審段階での開示規定もない。「(証拠は)自分たちのもの」という検察側の思想に変化は見られない。
改革への道筋ははっきりしている。その実現に向けて早急に取り組むべきだ。
以上