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三井「聞書(ききがき)」

三井「聞書(ききがき)」

 讀賣新聞12年4月13日の文化欄に三井家「聞書(ききがき)」の記事が載っていた。ご紹介します。


(タイトル)
江戸時代にみる情報収集
■三井が残した「聞書」
密事、災害…生き残り懸け


(前文)

 商いにおける情報の重要性は今も昔も変わらぬようだ。江戸時代の豪商、三井の大阪両替店は、大奥の密事から各地を襲った災害の様子、ちまたで語られたうわさ話まで、様々なデータを独自に収集し「聞書」という名の冊子に記録した。その細かな記述の数々は、一般的な歴史書とは違う、時代の生々しい様子を今に伝える。  (鈴木隆弘さん)


(本文抜粋)

 三井家は江戸、大阪、京の3都に両替店を構えていた。現存する「聞書」は大阪店が1751年(寛延4年)~1873年(明治6年)に作成した7冊分で、同家の文庫を保管する三井文庫(東京)が翻刻を進めており、現在、1807年(文化4年)分までを終えた。同文庫の賀川隆行・嘱託研究員は、「これほどの長い期間、継続的に記録された民間資料は他にはないのでは」と語る。

 トピックは7冊併せて10000以上に上るとみられ、記述が数㌻にわたるものもある。例えば、「極密沙汰」と題した項目は、次のような内容をつづる。

 男子出生を願った11代将軍徳川家斉の側室・おまんの方は、実現すれば千両を与えるとの約束を僧侶と交わしたものの支払わず、僧侶が寺社奉行に申し出て、関係者が処分された――。

 災害関連の情報も多い。1783年(天明3年)の浅間山噴火では、群馬県の被害の様子を具体的に記す。川は煮え湯になり、「川筋一面に黒煙たち、水中の魚皆死」とあり、手足が離れた人の死体があった、とある。

 このほか、長崎県の雲仙普賢岳や鹿児島県の噴火、大阪や江戸を襲った台風による洪水などの記録もあった。

 これらを誰が記録して、どんな風に活用したかなどは分かっていない。
 出入りしていた関係者や飛脚らと推測されるが、8代将軍徳川吉宗の葬儀会場の警護配置など、機密性の高い内容も多い。1806~07年にロシアとの間に起きた紛争では幕閣しか知り得ない情報を得ていたとみられる。

 滋賀大の宇佐美英機教授(日本経営史)は、「先に情報を得たものが勝つ、という認識は当時も同じ。日本一の商家であった三井は、幕閣や大名らを含めて、様々な情報源を持っていた。新たな法令が出る前に知り、損が出ないように対応したこともあったほどだ」と指摘する。

 幕末になるにつれて政治関係の記述が増える。土佐藩の山内容堂が徳川慶喜に提出した大政奉還の建白書や、明治新政府の陣容などが事細かに書かれている。賀川研究員は「幕府に食い込んでいた三井にとって、徳川につくか新政府につくのか思案のしどころだった。必死に情報収集していたのだろう」と推測する。

 新政府へと軸足を移す最終決断をした三井は混乱の時代を見事に乗り越え、その後も隆盛を保った。


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(感想・意見など)

 長く生き残った者は、当然のことながら、いつの時代も正しい情報の収集に熱心であった。
 
 織田信長は、戦闘によるいくさ働きよりも、正しい情報をもたらす者を優遇したという。しかも悪い情報をもたらした者に対する褒賞を厚くしたという。「悪い情報ほど早く」は鉄則である。

 一人の優秀なスパイは1個師団(1万人前後)の兵に優る、と言われる。

 先の福島第一原発事故や北朝鮮のミサイル発射に対する日本政府の危機管理対応を見ていると、暗澹たる思いに駆られる。


以上
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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