歴史を疑う


左:「『誤解』の日本史」 井沢 元彦さん(PHP文庫)660円
右:毎日新聞 12年6月4日「保坂正康 昭和史のかたち」
先日、井沢元彦さんの「『誤解』の日本史」を読んだ。井沢さんが歴史の通説を疑ったもので、大変面白かった。歴史学者は「正史」(官報)を元に歴史を語る。しかし「勝てば官軍」で、歴史は勝者によって作られる。勝者が自分にとって都合の悪い「歴史」を残す筈がないと考えた井沢さんが、『日本書紀』は信用できるのか?織田信長は宗教弾圧者か?豊臣秀吉はなぜ朝鮮出兵したのか?徳川綱吉は本当にバカ殿か?田沼意次は本当に汚職政治家か?などを考察する。うなずける点が多い。
そのような問題意識を持っていたところ、毎日新聞の保坂正康(ほさか・まさやす)さんのコラムが目にとまった。保坂さんといえば、昭和史研究で半藤一利さんと双璧をなす人である。ご紹介します。
(タイトル)
証言の虚実1:1:8の法則
(本文抜粋)
昭和の事件の本質や人物像を求めてさまざまな人に話を聞いてきた。延べにすると約四千人、実数では二千三百人ほどになる。この体験を通して、多くのことを学んだ。
人は自らの体験を語るときに、事実を語るか否かの比率は、「一対一対八」だと理解した。
初めの一は正直な人で、自らの体験を語るのに実際にそのときの感情とのちに理解したり、考えたりしたことを整理して話すタイプである。
次の一は、初めから虚言を弄するタイプで、特攻隊員だと装ったり、戦地をごまかしたり、尋ねる側の知識に応じて作話を行う。
残りの八は、つまり我々そのものである。
我々は記憶を美化したり、ゆがめたり、さらに都合の悪いことは忘却したりするのだが、それは生きていくための知恵でもある。
この「一対一対八」の私流の法則を身につけてから、偽りの証言は大体見ぬけるようになった。戦死者に責任を押し付けようとするタイプ、まったく虚偽の史実を垂れ流しているタイプの証言に私たちはもっと敏感になっていい。誠実な証言者は、職業、年齢、社会的立場に関係なく、人間としての高い倫理観を持っていることはつけ加えておきたい。
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(感想・意見など)
確か司馬遼太郎さんだったかが書いていた。日露戦争後、陸軍の日露戦争史を書いた人に大変ぼやかれたそうである。その人は陸軍中将であったが、執筆時従軍した色々な人からアプローチを受け、売り込みが激しかったが、いざでき上がると誰もが不満で、結局、閑職に追いやられたと。司馬さんは、その大部の日露戦争史を読んで、全く内容のないつまらぬものであると、切り捨てていた。
今も、わずか1年数か月前の福島第一原発事故の時、「全員撤退」と言った言わないで、当時の政府首脳と東電幹部がもめている。これだけ科学技術や通信技術、マスメディアなどが発達している現代においてもである。まして千年前、数百年前のことなど何が真実か…?
以上