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三浦一族の滅亡

三浦一族の滅亡

司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の第42巻「三浦半島記」(朝日新聞社)の中の「三浦一族の滅亡」がなぜかずっとこころに残っている。抜粋してご紹介します。


  *     *     *     *     *


 三浦氏は、平安時代、三浦半島で成長した。桓武天皇の裔(すえ)であるという。
 頼朝との間の旧恩を重んじ、挙兵以来、いきいきと働いた。
 北条氏とならびつつも、その存在はあまり政治的ではなく、一門の風は質朴だった。

 北条氏が、三浦氏についてうらやましく思ったろうことは、その地の利だったはずである。
 なにしろ首都の鎌倉が三浦半島に所在している。
 この三浦氏の優越を、北条氏は代々懸念したに相違ない。

 結局、ほろぼされる。


 宝治元年(1247)六月五日の朝、北条方が三浦屋敷に攻撃をしかけ、やがて〝三浦合戦〟とよばれる大規模な市街戦になった。
 激戦が五、六時間もつづき、やがて三浦方の勢いが衰えた。
 三浦泰村はこれまでと思い、市街の各地で戦いをつづけている者たちに使いを走らせ、法華堂に集結させた。

 
 鎌倉武士の綺羅(きら)は、死である。
 三浦泰村の綺羅は、屍を巷(ちまた)にさらすよりも、一族ことごとく一堂のなかで死のうということだったのだろう。

 たまたまこの堂宇の番をする法師が、逃げぞこねて天井裏にひそんでいたので、この光景の目撃者になった。

 法華堂にあつまったのは、泰村以下名だたる者が二百七十六人、庭には郎党どもがひしめき、あわせて五百人だった。
 泰村は堂内の正面に頼朝の画像をかけ、べつに騒ぐことなく、追憶談なども出て、おだやかだったという。時がきて五百余人がいっせいに腹を切った。


(以上)
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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