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盛田昭夫さん―自立した産業人

盛田昭夫さん―自立した産業人盛田昭夫さん―自立した産業人
(ソニー創業者:盛田さん、井深さん、大賀さん)

 
 日下 公人(くさか・きみんど)さんの「日本既成権力者(エスタブリシュメント)の崩壊」(李白社)を本屋で手に取ったら、懐かしい盛田 昭夫さんの名前が載っていた。
 一般にはほとんど知られていないと思うが、ソニーの盛田さんは「行政手続法」生みの親である。抜粋してご紹介します。


官に対抗するために盛田昭夫が導入した「行政手続法」

 役所の規制が明治時代と変わらないのを治そうと思ったのは、井深大(まさる)とともにソニーを創業した盛田昭夫社長である。

 盛田社長は1986年から1992年までの6年間、経団連の副会長を務め、経団連の行革推進委員長として行政改革に取り組んだ。盛田社長の持論は、企業の利益の半分を税金として受け取っている国家は企業と同じ目的を持つ存在であり、企業は国家との合弁会社であるというものだ。

 当時は現在よりも規制が厳しく、日本のGDP(国内総生産)の約4割を占める産業分野が政府に規制されていた。役所は許認可権のほか、行政指導を乱発していた。

 役所が事業者などに対して行う指導、勧告、助言で行政指導を受けた者がそれに従う法律上の義務はない。

 そこで官庁は行政指導に従う会社には何らかの恩典を与え、従わない会社には何らかの意地悪をした。一番簡単な意地悪は手続きを遅らせることで、会社としては大変困る。日本では、企業が将来の意地悪を心配して、行政指導を受けた者は、納得していなくてもしぶしぶそれに従うということが多かった。

 そこで盛田社長が意図したのが、不公正で不透明な行政のあり方に法の網をかけようという行政手続法の制定だった。

 1990年(平成2年)に発足した第三次臨時行政改革審議会に対し内閣総理大臣より諮問がなされ、1991年に「公正・透明な行政手続法制の整備に関する答申」が提出された。盛田社長の精力的な活動によるものである。

 行政手続法は1993年に制定され、翌年から施行された。


ソニーは法律が錆つかないよう手ぐすね引いて待っていた

 行政手続法が施行された直後、私は盛田社長に会った。盛田社長はこの法律の成立によって役所の規制の手法に風穴が空いたことを大いに喜んで、こう言った。
 
 「行政手続法は、私がやり上げたものだから感慨深いよ。法律の骨子は、官庁が国民に指図するときは必ず法律的な手続きを踏まなければいけないという点だ。法律に関係なく、ああしろ、こうしろと民間に指図するのはおかしい。そういうことがこれまで大手を振ってまかり通っていた。この法律は、民間に指図するときはきちんと手続きを踏みなさいというものだ。行政指導の内容を書面で要求することもできる。しかも、行政指導に必ず従わなければならないという義務はない」

 その上民間は、書面で行政指導を受けた場合、その内容が不当なときは裁判に訴えることができる。

 「行政手続法ができたとき社内の幹部を集めて、『この法律は、誰も使わないとたぶん錆ついてしまう。役所は企業に対してこの法律を使わせないように嫌がらせをするだろう。だから、まずソニーがすぐ使わなくてはいけない。我が社がその第一号になるつもりだ。役所からわけのわからない指図がきたら、必ずそれを書面にしてくれるように要求しなさい。役所が怒ってもかまわない。法律では、求められたら書面にして出すように規定されている。その書面が来たら、私のところに持ってきなさい。弁護士を集めて研究し、裁判所に訴えるつもりだから、皆、そのつもりでいてほしい』と言ったところ、幹部たちも喜んで意気軒昂だったよ」

 「それで、行政手続法で裁判に訴えるという件はどうなりましたか」と訊くと、盛田社長はちょっと浮かぬ顔をしている。やや間を置いて、「それがね……」と口を開いて、「ソニーにだけは行政指導が来なくなった」「私の意図を感づいたらしい」と言った。

 そして、盛田社長は破顔一笑した。「おかげで、ソニーは今、やりたいことは何でもできるんだ。役所はまったく口出しできないし、足を引っ張ることもできない」

 
 盛田社長は、企業は行政との関係を見直して安易に行政に依存するような姿勢は改めていかねばならないし、規制改革を進めていく上では民間企業の責任も非常に大きいと考えていた。これは、企業は消費者や生活者の利益を無視し、既得権にしがみつくようなことは厳に慎むべきで、かつ社会的な存在として常に自ら襟を正して企業としての行動を見つめていくべきだということでもある。

 以後も盛田社長は経団連の副会長として、企業行動や取引慣行を見直し、自己責任原則の確立に積極的に取り組んでいった。だが、当時の経団連会長だった平岩外四(東京電力会長)の後任の会長として名前が挙がってきた直後に、脳内出血で倒れて緊急入院してしまった。


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(感想・意見など)

 1993年11月盛田さんは早朝テニスをしていた時頭痛を訴えて緊急入院した。確かその日は、盛田さんが経団連の会長に内定する日だったはずである。

 私はそのことを大変残念に思っている。日本はバブル崩壊以降20年以上停滞し続けている。盛田さんがあと5年元気であったならば、ソニーのみならず日本ももう少しましな状態にあったのではないかと思うときがある。

 盛田さんはハワイなどで療養していたが、1999年10月78歳で亡くなられた。


(以上)
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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