運輸省に訴訟を起こした日本財団


(左:曽野綾子さん、右:小倉昌男さん)
日下 公人(くさか・きみんど)さんの「日本既成権力者(エスタブリシュメント)の崩壊」(李白社)から。昨日のブログ(盛田昭夫さん― )の続きです。
運輸省に対して処分取り消しの訴訟を起こした日本財団
日本財団は、社会福祉・教育・文化などの活動、海や船に関わる活動、海外における人道活動や人材育成という3つの分野を中心に公益活動を推進している。幹部は役員10人(理事7人。監事3人)と評議員9人という構成だ。
日本財団の笹川良一初代会長の後を受けて1995年12月から2005年6月までが曽野綾子会長だった。
そのとき日本財団は理事会でヤマト運輸の元社長だった小倉昌男を評議員にすることを議決した。ところが、これに対して日本財団の許認可官庁だった運輸省(現・国土交通省)からクレームが付いた。「運輸省批判をするような人を評議員には認められない」というのである。
小倉は日本に流通革命をもたらした「クロネコヤマトの宅急便」を考え出して事業化したが、この宅急便事業の足を引っ張ったのが運輸省で、民間企業が勝手に宅急便のような画期的なサービスを始めたのが非常に気にくわない。それで小倉を日本財団の評議員にも据えたくなかったのである。
しかし、曽野会長は「正当な手続きを踏んで開かれた日本財団の理事会で議決されたことを運輸省の要求で撤回することはできないし、また、その要求は民主主義の原則からも考えられない。財界で非常に独創的に活躍した人を評議員にしてはいけないというのはおかしい」と思った。
そこで、運輸省に対して「小倉元社長を評議員にしてはいけないという理由を書面にしてください。そこには理由もちゃんと書いてください」と求めた。すると運輸省政策局の総務課長から、小倉の評議員就任を認めないという書面が理由付きで送られたきた。理由は「小倉元社長はすでに70歳を超えている。この際、若返りのために評議員にしないほうがいい」と書いてあった。
日本財団はこの書面を持ってすぐに東京地方裁判所に駆け込み、処分取り消しの訴訟を起こした。
書面を出した運輸省の課長は「話し合っている最中に突然裁判所に持ち込まれたので当惑している」とマスコミにコメントした。
「当惑している」とは信念も何もない反応だから、勝負はすでに付いていた。結局、1週間後に小倉の評議員就任を運輸省は承認するという通知が来て、日本財団は訴訟を取り下げた。曽野会長の全面勝利であり、運輸省は敗北ということになった。
盛田社長が義憤に燃えて世に送り出した行政手続法は威力があった。だが、活用しないと盛田社長が懸念していたように錆付いてしまう。いや、実はもうかなり錆付いているのかもしれない。今のように誰も行政手続法を使わない状態は役所にとって大歓迎だ。役所の得意な〝有名無実化〟である。それを打ち破る企業や民間団体がぜひ出てきてほしい。
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(感想・意見など)
東電福島第1原発事故の国会事故調査委員会は7月6日最終報告をまとめた。その英語版序文には「この原発事故はメード・イン・ジャパンだった」とある。事故の根本原因が日本人に染みついた慣習や文化にあると批判。権威を疑問視しない、反射的な従属性、集団主義、島国的閉鎖性などを挙げている。うなずける。
官僚は変化を嫌う。自分たちの権益を拡張したがる(=規制したがる)。何よりも公務員互助会の利益を最優先する。これらは変化の激しい今の時代の桎梏となる。福島第1原発の事故がいい例である。日頃ド偉そうにしている東電、原子力安全委員会、保安院など「専門家」がほとんどなすすべがなかった。原子力委員会も傀儡。ブザマという他ない。
様々な警告が発せられていたにもかかわらず聞く耳もたず、抑え込み、挙句の果ては「想定外」。聞く耳をもってそれなりの対応をしていれば数百億円の投資で済んだであろうに、大きな絵を描けなかったばかりに数十年に亘って数十兆円の損害を発生させ、東電も実質破綻。数十万の人々を帰宅困難者にしてしまった。
理がわれにありと思うなら、盛田昭夫さんや曽野綾子さんや小倉昌男さんのように、戦うべき時は戦うべし。そうしないと物事はどんどん悪い方向に動いていく。
12年6月3日ブログ「クロネコにサムズアップ!」を見て下さい。
以上