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「中世民衆の世界」から

「中世民衆の世界」から


 私は商店街で育ったため、同時代のことであってさえ、農山村・漁村地帯での風習(自治の掟?)を知らない。それがコンプレックスになっている。中世以降の民衆の風俗・風習・掟について知りたいと思っている。
 
 高校2年生の時、同級生のお父さんが交通事故で死亡し葬儀に参列した。場所は市郊外の農村地帯。私の常識では、葬儀は葬儀社かお寺でするもの(すべてカネ次第)であったが、その時は自宅で葬儀をし、人手は近隣の人々であった。聞けば、そういう場合近隣の人々が立ち働いて、遺族はほとんどすることがないという。そのことが衝撃であった。

 もっと田舎の純農村地帯に親戚がいる。法事で訪れたとき聞いた話であるが、親戚の人が部落の葬儀委員長をしていると言う。葬儀が重なることもあるので部落には葬儀用品が3セットあるという。川の近くに焼き場もあるという(現在も使っているかは不明)。

 小高い山の上にお寺があり、そこに至る道の道普請というのがあるという。部落には色々な職業(大工・左官・道路作業員など)の人が住んでおり、大抵のことは部落の人で間に合うという。人を出せない場合は、お金をだすのか?

 知らないことばかりである。最近はその純農村地帯にも葬儀社の○○ホールができている。


     *     *     *     *

 さて、「中世民衆の世界」 藤木 久志さん (岩波新書)から こころに残っていることを。


江戸の村掟

 1606年3月、甲賀郡宇治河原村は、隣の酒人村と川原の「芝の相論」(縄張り争い?)がこじれて、手火(てっか)(鉄火起請、神前で双方が熱鉄を握り正邪を確かめる儀礼)に委ねることになったとき、村は敵方から手火をとることを名指しされた者の補償を、以下のように約束していた。

 ① いますぐ米20石を、さらに秋にも取れる米10石を与える。
 ② その家の惣領(長男)一人は課役を永代御免とする、など。

 これを村では「褒美」と呼んでいた。
 その実態は鉄火をとる者(熱鉄を握れば、手が火傷でつかえなくなる)に対する、村としての補償の取り決めである。


 その翌年6月、丹波桑田郡馬路村は、芝草相論で相手方に死者を出して、下手人を要求された。このとき、その鉄火の任に当たった彦兵衛は、村に次のような要求(口上書)を出していた。

 自分は村中の難儀を見かねて、代わってあい果てるつもりだ。その心底をふびんに思われ、せがれ(倅)の黒丸に、中川の苗字を下され、伊勢講(注1)や日待ち(注2)の参会にも加えてほしい。

 彦兵衛はこの願いを容れられたらしく、「ご用にあい立ち本望」といって、死についた、という。彼はもともと苗字を持たず、村人たちの講からも排除された、いわば村の下層民であった。名誉にかかわる要求だけで、経済的な補償は求めていないのが、深く心にしみる。


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(注1) 12年2月18日ブログ「御師(おし/おんし)参照のこと。

(注2) 旧暦1・5・9月の15日または農事のひまな日に講員が集まり、斎戒して神をまつり徹宵して日の出を待つ行事。飲食を共にし、歌舞音曲を楽しむことが多かった。


以上

 

 
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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