アメリカの専業主婦

犬養 道子さん 1921年生まれ 評論家 カトリック教徒 戦後渡米その後永らく欧州に滞在した。
元首相 犬養毅(つよし:五一五にて暗殺)の孫、父の健は元法相、母方の曽祖父は長与専斎、後藤象二郎、母方祖父の長与弥吉は男爵。安藤和津、緒方貞子は親戚。
恐らくは30年以上前に読んだ犬養道子さんの著書「アメリカン*アメリカ」からこころに残ったエピソードを抜粋してご紹介します。
* * * *
世界じゅう、およそアメリカの資本の入る場所で知らぬ者はない大企業。
その、東京支店長夫婦がいちど、わが家の階下半分にしばらく住んでいた。四トントラックが二台も来て、実にみごとで品のよい家具調度を一日がかりで家の中にはこびこんだ。秘書も運転手もメイド二人もやってきた。
奥さんはおよそ実業家の婦人タイプではなく、少々病身で、いつもうちにいた。もちろん、身のまわりは中々ぜいたくだった。
最初の月末が来た。
何だか、階下で、奥さんの英語とメイドの日本語及びあやしい英語と、若い男の日本語とのいりみだれる声が十分もしたと思ったら、遠慮深くてめったには階上のわれわれのベルを押さない奥さんが、やけにベルを押して、私に会いたいと昇って来た。少しほっぺたを紅くしてこうたのんだ、「四百円貸していただけまいか」
「ついでのことに、ちょっと階下に来て、アサヒ(朝日新聞)の集金人に、来月からは、夫の会社に行って、夫か夫の秘書に直接、請求してほしいと言って下さい。このわたしは、職業を持っていないし(親からもらった財産もないし)つまり一文もないんですからね。メイドにそう言わせたら、集金人はご冗談でと言って、笑ったのよ。笑いごとではありません。私には三百円だって百円だってないんですから、ね!」
私は、職業を持つか財産を持つか――言いかえれば自己の経済的独立をしている女――以外に、アメリカの女は、富豪の細君といえど、財布の紐と縁遠く暮らしていることをすでに知っていたから、「ご冗談を」と言わなかった。
階下でしびれを切らせている集金人には、私が四百円をたてかえて支払った。少々事情の呑みこめて来た集金人はあきれて物も言えず、事情の分かっている私すら、少々いやになって来た。
やっとのことで階上に戻ると、面白がっていきさつを眺めていた母が言った、「かわいそうなもんだね、あの奥さんは見た眼には立派に暮らしているが、ポケットの中には百円もないんだね。まあ日本の主婦と違うこと!自分がかせいだのでもない主人の月給を袋ごと手に入れて、まるで自分のお金みたいな顔して、その袋の中から、ハイ今日は百円、ムダ使いしちゃ駄目よなんて言いながら、主人に渡すことの出来る主婦は幸いだねえ。だんだんわかって来たわ。あのリュウとしたミスタAが、必ず土曜日には奥さんと一緒に買出しに行くのは、奥さん孝行のサービスじゃないんだよ、奥さんにはお金がないからなのよ。奥さんには財産管理をさせないからなのよ」
その通り、と私は答え、急におかしくなって、母と二人で吹き出した。
................................................................................
(感想・意見など)
上記の件は恐らく40年くらい前の話である。しかし、本質は今も変わっていない筈である。
この本が出版された当時上記の話を読んで、エェ!と思ったのは私だけではなかった。週刊誌か何かが世界で財布の紐を握っているのは誰かを特集したことがあった。記憶では、夫が妻にほぼ全面的に財布を預けている割合が非常に高い日本は、世界的に非常に珍しい存在であった。「日本の常識は世界の非常識」である。
それにしても凄まじい。日本人の感覚なら、財布の紐は夫が握るにしても、何かの場合に備えて、現在の貨幣価値にして数千円から数万円は妻に預けるのが普通だと思うのだが…。
以上