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『韓国併合への道』

 韓国併合への道 完全版

「韓国併合への道」

 『韓国併合への道 完全版 呉 善花オ・ソンファ)さん (文春新書) 830円を読み直してみた。

『韓国併合への道』
 朝鮮の人口推移。

テレ朝「そもそも総研」がひど過ぎる
 私の本棚の一部。




 (『韓国併合への道 完全版』の一部を抜粋してご紹介します)

 李朝は次のような政治的伝統を持っていた。

①世界に類例を見ない硬直した文治官僚国家体制
②中華主義に基づく華夷秩序の世界観
③大国に頼ろうとする事大主義
④儒教国家を保守する衛生斥邪の思想

 
 アメリカの朝鮮史家グレゴリー・ヘンダーソンは、1860年前後の李朝の政治と社会に触れて、次のように述べている。
 
 「李朝はもはや経済的破産と崩壊の寸前であった。軍事力はほとんどなく、政権の分裂と内紛で行政は麻痺状態となり、慢性的百姓一揆の機運に脅かされていた」(『朝鮮の政治社会』)

 
 「政治的活気とか進歩、革命といわれるものは、朝鮮には存在しない。人民は無視され、彼らのいかなる意見も許されない。貴族たちは、いくつかの派閥に分かれ、互いに執拗な憎悪をぶつけ合っている。朝鮮における最近三世紀の期間は、ただ貴族層の血なまぐさい不毛の争いの単調な歴史にしかすぎなかった」(シャルル・ダレ『朝鮮事情』


 「深刻化して行く朝鮮の無力化に乗じて繰り広げられた、1884年から1904年に至る外国勢力によるシーソーゲームのなかで、改革を志す朝鮮人は、清朝中国はもっとも反動的であり、帝政ロシアの反動ぶりも似たりよったりで、米国は朝鮮に無関心で、韓国政府は無能であると感じていた。ひとり日本のみが、積極的に明治の改革を推進しており、彼らにおおいに訴えるところがあった。この時代の大部分の改革者は日本をあてにしたのであり、日本もまた全般的に彼らを支援したのであった」(ヘンダーソン『朝鮮の政治社会』


 近年では、(韓国の)教科書など国家公認の歴史認識は間違っていると批判し、実際の史料に即した研究成果を示す専門家が少数ながら出てくるようになっている。ソウル大学経済学科教授・李榮薫イ・ヨンフン)氏は、総督府の土地調査について次のように語っている。

 「1990年に、日帝の土地調査事業の共同研究に取り掛かった。全国を回って土地台帳など現資料を収集した。資料を見て、(韓国の)教科書とはあまりに違う内容にびっくりし驚いた。農民たちの未申告地をでたらめに奪ったという教科書の記述と違い、[総督府は]未申告地が発生しないように綿密な行政指導をしたし、土地詐欺を防止するための啓導・啓蒙を繰り返した農民たちも、自分の土地が測量されて地籍に上がるのを見て、喜んで積極的に協調した。あの時、私たちが持っていた植民地朝鮮のイメージが架空の創作物なのを悟った」

 「日帝の殖民統治資料を詳らかにのぞき見れば、朝鮮の永久併合が植民地統治の目的だったことが分かる。収奪・掠奪ではなく、日本本土と等しい制度と社会基盤を取り揃えた国に作って、永久編入しようとする野心的な支配計画を持っていた。近代的土地・財産制度などは、このための過程だった」(『韓国日報』2004年4月22日)



 朝鮮統治では、最後まで投資過剰の赤字経営が続けられた。朝鮮の財政赤字は総額17億6657万円(1911~41年)で、赤字分は本国(日本)からの交付金(年間約1200万円)・借入金・公債でまかなわれた。

 北部には大規模な工業地帯が築かれ、南部では資本主義的な商業が大きく発達し、米産は飛躍的な伸長を遂げた。開墾・干拓・灌漑などの大規模な土地改良、鉄道・道路・架橋・航路・港湾等の交通設備や電信・電話等の通信設備の敷設、近代工場や大規模水力発電所の建設などが全土に渡って展開された。

 植林が毎年行われ、1922年までに植林された苗木は総計約10億本にのぼった。併合当時に米の生産高は年1000万石だったが、40年には2200万石超と大幅に増産された。

 工業生産額は1927~1933年に3億円台、40年に18億円台超。工業成長率は1914年から27年に年平均5.3%、28~40年には年平均12.4%と急速な成長を続けた。39年には重化学工業が軽工業を逆転している。

 一人当り生活物資の消費量も増大し、1920~30年代のGDPは年間平均4%ほど上昇した(当時の世界の諸国では高くて2%程度)。

 特筆すべきは人口が増えたこと併合時の朝鮮半島の人口は1312万名(1910年)だったが、1944年には2512万名と2倍近くにまで増加している。それほど経済力が成長したのである。


 総督府は、本土と同じ普通学校制を施行し、国立大学の設置(京城帝国大学、現在のソウル大学)、文学・芸術活動の活性化などの文化政策を推進した。

 併合時に100校ほどしかなかった四年制の普通学校(小学校に相当)は増加の一途をたどった。1943年に国民学校(六年制)は総計5960校を数えた。学校ではハングル・漢字・日本語教育を推し進めたので、朝鮮の識字率は1910年に6%程度だったのが1943年には22%へと上昇している。


 (日本の植民地経営は、欧米の植民地経営法とは全く異なるものであった。引用が長くなるので欧米の植民地経営については目次のみ並べる。「英仏蘭が行った一方的な領土宣言」「原料収奪をもっぱらとした西洋諸国」「植民地で行われた弾圧と虐殺」「教育を普及させなかった西洋列強」など)


 日本の敗戦によって、日本および日本人の私有財産・投資資金・工場設備やインフラなど、いっさいの在朝鮮財産は米軍が没収して韓国に委譲した。北朝鮮地域については、金日成らの勢力によって一方的に占有された。1899年制定のハーグ条約では、占領軍が占領地の私有財産を没収することはできないとされているが、日本はこの主張を1957年に取り下げている。例えば、イギリスはインドから引き揚げるに際して、在インド財産に対する対価をインド政府に支払わせている(これがグローバルスタンダード)。

 日本と韓国は戦争をしたわけではないので、日本に戦後賠償責任は生じない。しかし日韓は、日本による「補償」の観点から交渉を進め、1965年に日韓経済協力協定を締結して国交正常化をなしとげた

 歴代韓国政府は反日主義政策をとってきたために、一貫して日本からの経済援助の実態を国民に告知してこなかった。韓国の経済成長に果たした日本の貢献度は、他国とは比較にならないほど高いものだったにもかかわらず、大多数の国民がそのことを知らされてこなかった。


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(感想・意見など)

 引用しているときりがない。是非この本を読んで下さい。830円のお金と4時間の時間を投資して下さい。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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