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欧米の植民地統治

欧米の植民地統治
欧米の植民地統治


 12年9月15日ブログでご紹介した呉善花(お そんふぁ)さんの「韓国併合への道」から欧米の植民地統治はどのようなものであったのかをみてみたい。


(本文抜粋)

 1910年(明治43年)8月22日の日韓併合条約調印によって、大韓帝国という国家は消滅し、朝鮮半島は日本の統治下に入った。日本による朝鮮統治は、西洋列強の植民地統治とは大きく性格の異なるものであった。
 
 
 それは主として次の四点

 第一に収奪によって内地を潤そうという政策が執られなかったこと。

 第二に武力的な威圧をもって統治政策を全般的に執らなかったこと。

 第三に文化・社会・教育の近代化を強力に推し進めたこと。

 第四に本土人への同化(一体化)を目指したこと。


 
 英仏蘭が行った一方的な領土宣言

 西洋列強は16世紀以降、さまざまな形で植民地の土地収奪を行ってきた。
 
 北米大陸に侵入したイギリス(アメリカ独立後は政府)は、先住民との間に激しい土地争奪戦を展開し、条約や協定を交わしては一方的に破ることを繰り返した。1840年までにすべての先住民をミシシッピー川より西へ強制移住させた。西部に豊富な資源が眠ることを知ると、再び協定を破って西部移住・開拓へ乗りだしていった。1890年に先住民勢力を完全に制圧すると、先住民を狭小な居留地へ閉じこめた。
 イギリスは、オーストラリアに対して一方的な領土宣言を行い自国の領土としている。

 オランダは、19世紀にインドネシアの耕地の半分をコーヒー、サトウキビ、藍など換金作物の強制栽培地とし、ヨーロッパ市場へ大量に輸出していった。これによる収益は当時のオランダの国家予算の三分の一を占めたといわれる。

 インドシナ半島東部を植民地化したフランスは、土地所有の観念などほとんどなく、所有権の意味すらわからない現地住民に対して、所有者のいない土地は没収すると言う命令を出し、 事実上大量の土地を収奪した。これらの土地はフランス人などの白人に無償で与えられた。


 原料収奪をもっぱらとした西洋諸国 

 西洋列強によるインドや東南アジアの植民地経営は、東インド会社などの株式会社の経営を通して進められたところに特色がある。この方式は、イギリス、オランダ、フランス、デンマーク、スウェーデンに共通している。国益の追求が最大目的であり、日本のように現地人の生活向上や福祉などを図る政策はとられることがなかった。

 イギリスをはじめとする西洋列強は、日本のように大量の資本を直接投入して工場を建設し、各種の製品を輸出して現地の産業を起こすことをしなかった。西洋列強のやり方は、基本的に現地からの原料収奪であった。

 西洋列強が植民地で主として展開したのは、土地の集約的耕作による輸出用換金作物の大規模栽培である。 プランテーションと呼ばれる前近代的な大農場で、ほとんど無料の土地で極端に安価な労働力(奴隷労働)を大量に使い、莫大な収益をあげていった。

 これによって現地の経済は、ゴムや綿花など特定の一次産品を宗主国に輸出し、宗主国から完成された消費財を輸入するという構造へと大変質をとげた。これによって、インドでは飢饉のたびに数百万人規模の死者を出すようになった。

 イギリスは産業革命後、インドの綿製品に課税する一方でイギリスの綿製品を免税するというやり方で、インドに綿製品を逆輸入させた。これでインドの紡績業は大打撃を受けた。

 イギリスは、茶の輸入で清国へ大量に流出した銀を取り戻すため、インドにケシ栽培を強制して大量のアヘンを中国に密輸し、膨大な利益を得た。アヘンの密輸を取り締まる清国に対して戦争(アヘン戦争)を仕掛け、その結果香港を割譲・租借した。


 植民地で行われた弾圧と虐殺

 コロンブス到着以前の中南米の人口は約7000万人との推測がある。それが100年後には1000万人にまで極端に減少している。西洋人による征服の犠牲者である。大量虐殺とヨーロッパからもたらされた伝染病によるもの。

 奴隷として売買されたアフリカ人は、16~19世紀で総計1500万人。アメリカ大陸などの奴隷市場に到着するまでには、その5倍(7500万人)のアフリカ人が船中で亡くなったといわれている。

 西洋列強はアジアでも植民地支配に対する反抗には、容赦のない弾圧と虐殺でのぞみ、最後までその武断的な姿勢を変えることがなかった。
 オランダはインドネシア人に対して、一切の集会や団体行動を禁止し、これを犯せば反乱罪で処罰した。

 イギリスは、1857~59年のインド、セポイの反乱に対して、多数の虐殺を含む徹底的な弾圧を加えている。一つのキリスト教会が破壊されたら100のヒンドゥー寺院を破壊し、一人の白人が殺されたら1000人を死刑にすると公言し、仮借ない報復を加えている。

 フランスは「学校よりも多くの監獄を建て、容赦なく愛国者を殺害し、蜂起を血の川に溺れさせた」(ホーチミン)。1940年のメコン河流域に起きた住民蜂起では、フランスは6000人のベトナム人を逮捕し、劣悪な監獄で多数が獄死している。

 アメリカは、1906年に土地制度への反発から起きたフィリピン住民の反乱に対して、戦闘員から非戦闘員である一般の老若男女まで、砦にたてこもった600人を全員殺害している。

 彼らが行ったのは反乱への意図的な報復戒めとしての虐殺であった。


 教育を普及させなかった西洋列強

 西洋列強は、キリスト教の普及には力を入れたが、日本のように現地にたくさんの公立・私立の学校を建設することはなかった。フィリピンで近代的な教育普及政策をとったアメリカにしても、日本と比較すると雲泥の差がある。多くの場合は、現地に近代教育を本格的に普及させることなく、現地の支配層の子弟に対して本国の高等教育を受けさせる、という形をとった。
 オランダの場合は、上層部子弟を除き現地人にいっさい近代教育を与えなかったばかりか、オランダ語を教えることすら禁止していた。

 西洋列強の植民地主義にとって植民地とは、本国に収益をもたらすことを役割とする地域にほかならなかった。そのため、広く近代教育を普及する意図をもたなかった


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 (感想・意見など)

 日本は欧米のような植民地統治はしていない。日本にとって台湾と朝鮮の統治は、ボロボロの隣の店舗を買いとって店を拡張するような行為だった。新しく手に入れた店に投資し、懸命に改装し、すでにある店とあわせて相乗効果を得ようとした。欧米のように収奪を目的にしたものではない。
 
 その後もいろいろ『朝鮮もの』を読んでいるが、日本全体として朝鮮に対してひどいことをしたという本はほとんど見当たらない(個人として横暴な者はいる)。当時朝鮮に滞在した欧米人が書いたものをみても、朝鮮は国の体をなしておらず保護をするとしたら日本しかない、と書かれたものは複数ある。

 今後も勉強を続けていきたい。


以上

  
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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