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貧乏大名・旗本②

貧乏大名・旗本②




 佐藤 雅美まさよし)さんの本は時代考証がきっちりしていることで定評がある。

 縮尻鏡三郎しくじり・きょうざぶろう)シリーズ第三弾(文春文庫)から抜粋してご紹介します。


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 戦国時代のおよそ百年、武家は血で血を洗う争闘を繰り返すという高い代償を払って、ようやく自分たちが統治する平和な時代をつくることができた。ところが、やがてじわじわと貨幣経済が浸透し、気がついたら武家は、ことに大名は日々金に追いまくられ、身動きがとれないという状態におかれてしまった。

 深川永堀町の孫市に訴えられた仙台伊達家や、千住は橋戸町の弥太郎に訴えられた出羽佐竹家にかぎらない。大方の大名は貧窮にあえいでいて、大名の貧乏話には事欠かなかった。


 文化十一年(1814年)下総佐倉十一万石堀田家は財政が破綻し、蔵元石橋弥兵衛を破産管財人として受け入れて遣り繰りをつけることとなった。4年目に当主正愛(まさちか)は娶ったが、お姫様は毎日つづくそのあまりにも貧しい食事にびっくりして、2か月で里に逃げ帰ってしまった。

 六尺(ろくしゃく)手廻り(駕籠かきや雑役夫)を雇うこともできない。五節句や三日(さんじつ)などの登城も疾(病気)を言いたてて休んだ。


 それは薩摩島津家もおなじ。七十七万石という加賀前田家に次ぐ御大家(ごたいけ)というのに、六尺手廻りが雇えなくて当主の斉興(おきなり)は何度も登城を欠かした。参勤交代もで、ここの貧乏もまた金箔つき。

 何度も何度も借金を踏み倒したものだから、まともなところからは借りられなくなり、筋が悪かろうが高利だろうが後先を考えずに借りまくって利は利を産み、借金はこのころ五百万両という天文学的数字に達していた。


 旗本に金を貸す。いっこうに返さない。さればと、金貸しがよく使った手なのだが、乳飲み子を背負った女子供五、六人を雇い、〝金を返せ〟と墨書した筵旗むしろばた)を持たせて、御城への出勤の行き帰りの背後につきまとわせる。旗本は閉口して、あらたに借金をして返す。


 金毘羅様こんぴらさま)というと四国の讃岐にある神社だが、江戸にもあった。虎ノ御門外に讃岐丸亀京極家きょうごくけ)の屋敷があり、京極家では屋敷内に金毘羅様を勧請かんじょう)していた。毎月十日には一般の参詣も許した。

 金毘羅様は海上の守護神として船乗りに崇められていたのだが、江戸ではいつしか、願を立てて参詣すると願いが叶うといわれるようになり、月の十日、境内は参詣客でごった返した。ということはお賽銭もがっぽり入るということで、これがかなりの実入りになり、他の大名をうらやましがらせた。

 同様のケースで、赤羽橋の筑後久留米有馬家の屋敷内にあった安産の神様水天宮すいてんぐう)も、毎月五日の一般開放の日に参詣客が蝟集(いしゅう)し、賽銭箱には賽銭があふれ、他の大名をうらやましがらせた。地口(じぐち)に〝情けありまの水天宮〟という。

 ならばうちもどこぞの神様を勧請して参詣客を集めようと、柳の下の三匹目の泥鰌を狙う大名家も少なくなかったのだが、そうは問屋がおろさない。それらしく社殿を造営しても、見向きもされないですごすご旗を巻いた。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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