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江戸の福祉政策

江戸の福祉政策




 私は医学に興味がある。佐藤 雅美まさよし)さんの『町医 北村宗哲』まちい きたむらそうてつ:角川文庫)シリーズが面白い。

 江戸の福祉政策について抜粋してご紹介します。



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 寛政三年(1791年)、幕府は凶作による市中の米不足にそなえさせるため、江戸の地主に、町入用(まちにゅうよう:地主が負担していた)を節約させて、米の備蓄をはじめさせた。

 運営主体は民営で、「町会所」(まちかいしょ)と命名された役所は翌四年に浅草向柳原(むこうやなぎはら)の馬場にもうけられた。幕府も前後二度にわたって二万両を支援し、町会所はもみ)を貯蔵するだけでなく、も積み立て、余剰資金で金融もはじめた。

 十年、二十年と経つうちに、の貯蔵もの積み立ても充実した。籾蔵は向柳原だけでなく、深川大橋向(むかい)、筋違(すじかい)橋、霊岸島(れいがんじま)、小菅(こすげ)などにも建てられ、文政十一年(1827)には、貯蔵するは十七万石、積み立てられたは四十六万両にもなった。

 およそ十年後の安政二年(1855)には、四十六万石、二十万両となっている。目的は貧民の救済で、困っている者に米と銭を給付したのだが、大がかりな救済の一例。

 文化三年(1806)――丙寅へいいんの大火といわれている、芝車町より出火した火事による救済。火事の場合は、米や銭を給付するだけでなく、御救小屋なる仮小屋を建て、罹災者を収容して救済した。


 火事、風邪・麻疹の流行などがなくとも、病に罹って、その日の暮らしに困っている者も救済した。かようかように給付すると、以下のように、事細かな取り決めもなされていた。

 独り者で30日以下の病気の場合、白米5升に銭1600文(およそ4分の1両)。女房や子供など二人暮らしで、その者が働くことができなければ白米5升増し(合計1斗)、銭500文増し。
 三人暮らしならこう。四人暮らしならこう。病気が30日以上ならこう。50日以上ならこう。


 現代でいう生活保護のようなものともいえるが、この時代にしてはそれなりに有効に機能しており、平常年で、延べにして一万五千人くらいが恩恵にあずかっていた。


 御救い願いの初年度の手続

 ①家主いえぬし:大家もしくは家守やもり)が店請人たなうけにん:長屋を借りるときの保証人)を同行して、名主のところへ願書を持参。②名主本人のところへでかけていって病状を見届け、願書に奥印を押す。

 ③その願書を、本人にかわって店請人なり家主が向柳原の町会所に持参。④町会所の座人(ざにん:掛りの者)は、控えをとっている名主の印鑑と照合し、間違いがなければ米と銭を支給

 再度のお願いとなると難しくなり、町奉行の判が必要となる。

 味をしめて、いま一度と申し立てる図々しい不埒物(ふらちもの)をのさばらせないように、再度の申し立ては審査がより厳重になっていた。

 ちなみに初度の受給から二十五ヵ月が経てば、審査を厳重にするにおよばず、初度の申し立ての手続きでよいとされていた。支給する側もあれこれ考えていた。


以上

 
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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