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江戸の福祉政策②

江戸の福祉政策②
江戸の福祉政策②
「江戸の療養所」安藤優一郎さん (PHP新書)




 先日に続き、佐藤 雅美まさよし)さんの『町医 北村宗哲』シリーズ(角川文庫)第2弾から、「赤ひげ」で有名な小石川養生所こいしかわ・ようじょうしょ)に関する部分を抜粋してご紹介したい。


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 小石川の養生所は享保七年(1722年)に、小川笙船しょうせん)こと又右衛門が建言して小石川の御薬園(おやくえん)に設けられられた官立の療養施設である。

 小川笙船の小川家が代々肝煎きもいり)となる。

 病舎には杮葺(こけらぶ)きの建物の中に男女別々の病人部屋、薬部屋、薬煎室(やくせんしつ)、薬調合室、役人詰所、看護や賄いの中間部屋、看護や洗濯の下女部屋、台所などを設ける。

 医療には寄合医師や小普請医師(ともに御役に就いていない幕府の御医師)のうちから、本道(内科)二人、外科二人、眼科一人を選んで充てることにした。

 支配は町奉行所で、与力二人が最高責任者として交互に隔日に詰め、同心十人が養生所掛りとなってなにかと便宜をはかる。

 療養の対象となるのは看病人のいない極貧の病人などで、入院料や食事代は無料。布団や夏冬に支給する被服も無料。収容人員は百十七人。療養期間は八ヵ月。

 小川笙船の建言に時の将軍吉宗がいたく感じ入ってはじまった救恤(きゅうじゅつ)事業だっただけに、養生所は当初理想的に機能して、看病人のいない極貧の病人にはまたとない療養施設となった。



 だが、いつの時代でもそうだが、役所の機能は月日が経つにつれ制度疲労を起こす役人や小役人は自分の利益の追求のみを考えて行動するようになる。養生所も例外ではなく、どうにもならないほど腐敗した

 とりわけ中間や下女が腐敗した。病人に支給されるはずの飯米、被服、鼻紙、薪炭、髪結い賃、副食費、調味料などの横領や横流しをはじめた。つぎに茶、菓子、煙草、香の物、副食費などを病人に法外な高値で売りつけた。

 治療に当たる寄合医師や小普請医師も腐敗した。相応の手当を貰っているにもかかわらず、遅くに出勤して早くに退出する。やがては〝見廻り〟と称して縁側ばかりを素通りしてすませるようになった。病人の脈や容態を診るなど論外で、古参になると月に二、三度顔をだすだけですませた。ために病人部屋は蚤虱(のみしらみ)を湧かし、部屋の畳には膿や血がこびりついて、大小便さえ時には垂れ流しのままといったありさまだった。

 町奉行所の与力や同心はそれらのことを監視するために配されていたのだが、養生所詰めは窓際のそのまた窓際というような御役だから、仕事に熱が入るわけもなく、見て見ぬ振りをした。

 養生所は療養施設という名に値しない、貧民窟のような施設になり果てていた。



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(感想・意見など)


 腐敗した養生所のあり方を苦々しく思って改革しようという動きはあった。しかし、その度に中間・下女寄合医師・小普請医師や養生所詰めの与力・同心ばかりでなく南北町奉行所の与力五十人、同心二百五十人は結束して抵抗した。ために、腐敗は最後まで改まることはなかった。 

 公務員制度改革が十数年も前から言われているが、公務員の抵抗にあって全く進んでいない。これは現在にも通じる問題である。



以上


 
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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