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長州藩 元日恒例の秘密儀式

長州藩 元日恒例の秘密儀式





 不謹慎ながら、何度聞いてもこの話はおかしみがあり、つい笑ってしまう。

 産経新聞13年9月3日「次代への名言」欄を抜粋してご紹介します。


 「幕府ご追討はいかがでござりまするか」に「マダ早かろう」と長州藩主が答える。元日のこの儀式が二百何十年続いたのでありまする  (村田峯次郎)


 なぜ長州藩が倒幕に突き進んだか――については大きく次の2つの理由に集約される。尊王の志と関ヶ原の戦いで領土を3分の1に減らされた屈辱である。

 第2代長州藩主、綱広の治世のときのことである。元日、だれもまだ目をさまさぬ夜明け前、宰相と直目付(じきめつけ)が君前に出て、ひそかに言上する儀式が生まれた。いわく、「幕府ご追討はいかがでござりまするか」と2人の家臣が聞く。それに対して藩主は、「マダ早かろう」と答える。

 「毎年そういう風にしてきて二百何十年続いたのでありまする」と、長州藩改革派の祖である村田清風の孫、峯次郎は語っている。

 「私どもは親どもから、『士族というものは、東へ頭をむけて寝てはならぬぞよ』ということを小さい時分によく言うて聞かされた。何のことやらその時はわからなかったが、『東に頭を向けずに足を向けよ』ということ――即ち、『(東の江戸にある)幕府に敵対せよ』という、言わず語らずの家庭内教育であった」
 幕末期の「聞多(ぶんた)」こと、明治政府の重鎮、井上馨が講演したさいの一節である。


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(感想・意見など)

 毛利家は、元就(もとなり)の孫、輝元の時代は、広島に本拠を置き、中国地方十国余を領国とする120万石の大大名であった。

 ところが、関ヶ原の戦いに敗れ、周防、山口の2国、50万石(表高約37万石)に減封された。広島から萩に移る際、輝元は膨大な家臣を養う自信がなかったので「ついて来なくていい」と何度も言ったが、みな聞かなかった。家臣のうち、上級者は大幅に家禄を減らされ、下級武士は知行も扶持ももらえず農民になり山野を開墾したものも多かった。幕末期には、新田開発などにより、実質100万石を超えていたと言われる。

 このような辛酸を舐めたことから、長州藩では江戸時代を通じて「倒幕」が暗黙の「国是」となったと言われている。


以上

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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