俺たちが特攻隊だった日

俺たちが特攻隊だった日 週刊プレイボーイ14年2月10日号
俺たちが特攻隊だった日




 俺たちが特攻隊だった日


 週刊プレイボーイが、このところ元特攻隊員の体験談を集中連載している。戦争体験のある人は90歳以上になりつつある。戦争体験を語り継げる人は日々減っている。若者向け雑誌として大変意義のあることである。

 連載第5回目、元・帝国海軍中尉原田 要さん(97)の例を抜粋してご紹介します。


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 太平洋戦争の開戦前、昭和8(1933)年に海軍に入団し、戦闘機乗りを目指した原田要さん(97歳)。真珠湾、セイロン冲、ミッドウェー開戦、ガダルカナルと歴史的な戦闘を数多く経験したベテラン操縦員は、特攻隊員たちとも交流があった。


――どうして海軍に?

原田 「世界中を軍艦で回れる!」って言われたから(笑)。昭和8年に海軍を受験しました。

――海軍ならではのシゴキは厳しかったですか?

原田 そんなことはない。阿辺竹五郎さんという優しい班長がいました。体が小さいから艦隊勤務になったらいじめられるだろうと危惧して、いつもいっぱい食べさせてくれた。しかも、自分がかつて乗っていた駆逐艦・潮に配属するようにしてくれました。
 配属されたら、「おまえ、阿辺さんの教え子か!」と新兵なのに特別待遇でした。

――同期にはやっかまれますね。

原田 だからつらい作業は率先してやりました。軍艦にいるときは、食糧を通船で基地まで取りに行く。台風の日は誰も行きたがらない。「ここは俺が行って役に立つぞ!!」と行きました。

 防波堤の外まで流されて操艦不能に陥り、内火艇に曳航され救助されました。駆逐艦に戻ったら、先輩や同僚が整列しているんです。

 身の程知らずの暴挙と制裁を覚悟して直立不動で進み出ると、上官に「危険を顧みずわが身を犠牲に飛び込む勇敢な者が戦争の役に立つのだ」とたたえられました。


――飛行機の操縦員を目指したが、問題が発生したという。

原田 操縦員になるには父親の承諾書が必要だったんです。でも、「農家の長男にそんな危ないものに乗せられるわけねいだろ!」と父親から許可がもらえなかった。説得はあきらめて、自分で承諾書を書いてハンコを押して出しました。

――訓練のため茨城県の霞ケ浦海軍航空隊へ向かった。

原田 首席で卒業できました。卒業飛行では編隊長を任されました。卒業式では伏見宮から銀時計をいただきました。

――卒業後はどちらへ?

原田 昭和12(1937)年の初めに、上海へ向かいました。当時の上海は大都会で、各国の租界があってイギリス人やアメリカ人がいっぱいいる。きらびやかでとても戦争をやっているとは思えなかった。

 昭和12年の11月、杭州湾敵前上陸作戦。九五式戦闘機に乗って陸軍の支援をしました。城壁に60㌔爆弾を投下したり、機銃掃射したり。

 昭和12年12月、米国のパネー号に爆弾を命中させました。当時はまだ米国とは開戦していませんでしたから国際問題になり、この事件の責任を取る形で内地へ後送になりました。

――内地ではどのような任務に?

原田 教官として、いろいろな基地を回っていました。この時期に結婚もしました。
 操縦員は給料以外にも各種手当がついて、給料の倍ぐらいの金額がもらえた。家内には給料だけ渡し、内緒で手当を使って戦友と飲みに行ったり、ビリヤードをしたり遊んでいた。

――ゼロ戦を初めて見たのはいつですか?

原田 昭和16(1941)年の9月に航空母艦・蒼龍そうりゅう)へ着任しました。航空隊は大分県の佐伯に基地があって、ここで初めてゼロ戦に搭乗しました。
 見た目だけでもいい飛行機だなと思いました。乗ったら、九六式艦上戦闘機とは別物。スピードは出るし、視界はいいし、10時間以上飛べる。何より攻撃力がすごい。


――蒼龍に配属ということは、真珠湾攻撃のあった昭和16年の12月8日は現地に?

原田 それ以前の11月22日、択捉島(えとろふとう)の単冠湾(ひとかっぷわん)に航空母艦6隻が集結しました。

――真珠湾ではどんな任務に?

原田 艦隊の直掩ちょくえん)でした。飛行隊長から「おまえは蒼龍で一番のベテランだから、艦隊を守ってくれ!」と。華々しい戦闘に参加できなくて悔しかったですよ。

――真珠湾では敵空母がいませんでしたが、それについては?

原田 航空母艦勤務で、その打撃力をよく理解していましたから、「まずいな」と思いましたね。

――初めて戦闘機同士の空戦を経験したのは?

原田 昭和17(1942)年の4月5日から始まったセイロン冲海戦です。こっちは64機、イギリス軍は約100機。20㍉機関砲は強力なので、一発当れば撃墜できました。
 火を噴いた機体で苦しそうにしている相手の表情が見えるんですよ。これを見るのはつらかった。

――何機撃墜したんですか?

原田 敵のホーカーハリケーン戦闘機を5機撃墜しました。空戦が落ち着いて集合地点に行こうとしたら、敵を1機発見した。攻撃したら、なかなか落ちない。敵機は田んぼへ墜落した。
 集合地点に行ったら、誰もいない。海に出たら、水平線しか見えない。飛んでいるうちに母親の輪郭に似ている雲が見えた。その下に艦隊がいました。

――その後はどんな作戦に?

原田 昭和17年の6月5日からミッドウェー海戦に参加しました。ここでも艦隊の直掩任務でしたが、5機を撃墜しました。しかし、蒼龍が撃沈された。母艦が沈んだので、飛龍に着艦しました。乗っていたゼロ戦は消耗が激しく海へ投棄されました。使えるゼロ戦があるというので再び出撃。

――ミッドウェーでは飛龍も沈没してますよね?

原田 ゼロ戦で発艦した直後に、飛龍へ爆弾が落ちました。戦闘を続けましたが、着艦する母艦がないので海面に不時着しました。4,5時間漂流して駆逐艦に救助されました。

――駆逐艦内の様子は?

原田 手のない人、足のない人。みんな苦しんでいる。でも軍医は俺を治療するんです。「俺よりあっちの人を先に!」と言ったら、「君のように少しの手当てで治る人が優先。戦えない兵隊は後。これが戦争なんだ」と。今でも忘れられない言葉ですよ。


――その後、内地へ帰還した原田さん。

原田 生き残った兵士たちは情報漏洩を防ぐために鹿児島県の山奥に1か月以上も軟禁ですよ。当時国内の報道ではミッドウェーで「勝った!勝った!」とやっていて、「どうなったんだ!?」と思いましたよ(注:いわゆる「大本営発表」)。

 その後、群馬県の太田市にある中島飛行機(注:いまの富士重工)の工場へゼロ戦を受け取りに行って、貨客船を改修して完成したばかりの航空母艦・飛鷹ひよう)へ配属されました。


――中国戦線→真珠湾→セイロン→ミッドウェーと代表的な戦地を経験し、新造艦に乗って次に派遣されたのは?

原田 陸軍と米軍が取り合いをしていたガダルカナル島です。
 攻撃隊の護衛をしました。敵のグラマン(F4F)と空戦になり、敵は白煙を噴いてジャングルへ消えていきましたが、こっちも機銃を受けた。

 ガソリンのにおいで気づいたら墜落していました。機体から出ようと思ったけど、機体が反転して風防がぺっちゃんこになってる。爪がはがれるまで穴を掘って脱出しました。

 近くに3人乗りの艦上攻撃機が墜落しているのを発見しました。操縦員は知り合いの佐藤君。彼も生きていました。機長の中尉はすでに戦死。電信員は生存していましたが、しばらくしてガクッと逝っちゃった。

 遠くに機関銃陣地が見えた。「よし、ここは殴り込みして自爆するか!」。拳銃に弾を装填したら暴発した。「おまえら何やってんだ!!」と。友軍だったんだよ(笑)。人間魚雷の基地を設営している部隊で、飯も薬ももらえました。

――ここから再び艦隊へ合流したのですか?

原田 船が迎えに来ることになって、その合流地点へ徒歩で向かいました。しかし、途中で攻撃に遭って意識を失った。気づいたときは白いシーツのベッドの上。日本の看護婦さんがいた。トラック島の海軍病院だった。「また助かったのか」と思いましたよ。


――その後、原田さんは病院船の氷川丸に乗って内地へ帰還した。内地ではどのような任務に?

原田 体が回復してから茨城県の霞ケ浦航空隊へ教官として配属されました。

――特攻隊員たちの教官ですか?

原田 そうです。彼ら学徒は空戦ができるような技量じゃなかった。戦争では戦いをいっぱい経験した兵士が圧倒的に優秀なんです。訓練期間が短い学徒たちは、ただかわいそうでしたよ。

――原田さんに特攻命令は?

原田 ありません。本土決戦のために温存されていたみたいですから。

――戦後に米軍のパイロットだった方と交流があるそうですが?

原田 ガダルカナル島の空戦で白煙を噴いてジャングルに消えたグラマンに乗っていたジョー・フォス少佐と会いました。お互い「おまえ強いな!」って、すぐ打ち解けました。敵同士だったけど、彼もある意味、戦友なんですよ。
 
 でもね、戦争の最前線には勝ち負けはないんですよ。撃墜したほうだって一生罪の意識を背負う。撃墜した敵の顔が忘れられない。何が正しいのかわからなくなる。そんな私の経験を聞いて若い人たちが平和を維持してくれればと思います。

 (長野県出身。復員後は幼稚園を立ち上げ、長らく園長を務めたという

以上

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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