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朝日新聞社説のノーテンキに驚いた。

朝日新聞のノーテンキに驚いた。 朝日社説14年1月16日
朝日新聞のノーテンキに驚いた。 日経14年1月12日




 朝日新聞社説のノーテンキに驚いた


 いや、別に驚くことではないかもしれない。現在の韓国との確執のもとになっている慰安婦問題朝日新聞の執拗で意図的な誤報が原因である。誤報と分かっていて謝ってもいない。

 そういえば昔から、学年に1人はいた。いいところのおぼっちゃまで(なにしろ朝日の社説担当者にもなると年収は2千万近いはず)勉強は素晴らしくできるが、世間知らずですることなすこと何かちょっとずれているヘンなヤツが(ハトヤマサン?)。あれとそっくり。今度も「基本的人権の尊重」とやら一本でヘンなことを言い出した。抜粋してご紹介します。



 一人っ子政策
 中国国民に選ぶ権利を


 「産みたい放題にしたら、1年で3千万、10年で3億だよ。あと50年したら、地球は中国人でひしゃげてしまうじゃないか。だから、あらゆる代価を払って出生率を下降させなくちゃ」
 中国のノーベル賞作家、莫言さんの長編小説「蛙鳴(あめい)」(中央公論新社)のなかで、産婦人科医が1人っ子政策の必要性をこう語る場面がある。

 その政策がわずかに緩められる。習近平政権が「両親のいずれかが一人っ子なら、2人目の出産を許す」と決めた。

 そもそも産児制限という制度自体、現代人の人権感覚に反するものだ。緩和にとどまらず、完全撤廃へ動くべきだ

 これまでは、少数民族を例外とし、農村は条件つきで二子を認め、都市部は両親が一人っ子同士なら2人目が認められた。今回の決定で多くの夫婦が対象になるのは確かだ。

 政権の背を押したのは、高齢社会への危機感である。働ける人口が減り続ければ、将来への不安が高まる。


 「蛙鳴」では、監視の目を盗んで子を産む者と当局者との血みどろの闘いが描かれている。中絶や避妊手術の強制例は多く伝えられる。「盲目の人権活動家」として知られる陳光誠氏は、その告発で拘束された。

 映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ)氏がひそかに3人の子をもうけていたとして、1億3千万円の罰金を科されたことも報じられた。

 非情な産児制限のせいで多くの人々が疲れ、傷ついた。

 中国は今や経済大国でもある。前近代的な強制をやめて、基本的人権として国民の選択を尊ぶ方向へかじを切る時だ


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 次は、日経新聞14年1月12日張競さんの「詩文往還」を抜粋してご紹介します。


 司馬遼太郎の確認
 民を食わせる「聖人」待望論


 毛沢東に対する司馬遼太郎の評価は意外なものだ。毛沢東は漢訳によってマルクス・レーニン主義を知り、この西洋起源の思想を本質的には理解しておらず、民族社会の特殊性にもとづいて独自の思想を創り出したというのがその人物評である。

 司馬遼太郎の中国批評を見ると、毛沢東の陰惨な政治手法に対する非難はほとんどない。むろん、2人の考え方には相容れないものがあり、司馬遼太郎は毛沢東思想の共鳴者ではない。

 1930年代の半ば頃、「ニューヨーク・タイムズ」の2人の記者が取材にもとづいて中国についての綿密な分析を行い、この国は内部の腐敗と外部の侵略によってやがて滅びるであろうとの結論を出した。中国語を習っていた司馬は大きな衝撃を受け、得体のしれない憂鬱な気分に襲われた。

 戦争中に兵隊として赴いた中国の東北部では亡国とは何かを知り、また知人から上海では毎朝、街角に大量の餓死者が出るという目撃談も聞いた。アヘン戦争以降、中国が瀕死の状態に陥ったことは前々から知っていた。


 ところが、75年に見た中国は文革中であるとはいえ、40年前に比べると、瀕死状態からはよみがえっていた。司馬にとって、それだけでも奇跡のようだ。

 中国を眺めるとき、司馬遼太郎がとくに注目したのは「食」のことである。70年代中頃の中国には8億の人口があった。彼がすぐ連想したのは、膨大な人口によって必然的に伴う食糧問題である。

 食糧問題を重視するという点では、司馬遼太郎は毛沢東と共通している。中国語を習い始めたときに、庶民が「こんにちは」のかわりに、「ご飯を食べたか」と挨拶するのを聞くと、「民に食わせる」ことが中国の政治にとって、最優先事項であることを一瞬のうちに悟った。

 農民出身の政治家として、毛沢東も機会があるごとに人民に「飯を食わせる」ことを口にしていた。司馬遼太郎はその率直さから、中国の歴史的教訓に対する毛沢東の政治感覚の鋭さを読み取った。

 古来、中国が乱れたとき、庶民は聖人が出てきてこの世を救うことを基本的な願望としてきた、と司馬は言う。聖人とは言い方を変えれば、途方もない独裁者である。「聖人待望論」は共同幻想の余燼として現代中国にも残っているであろう、というのが司馬遼太郎の見立てである。

 大衆の中に狂信がくすぶっているかぎり、「聖人」が再び誕生し、中国を一気に千年前の世界に連れ戻すのも決してありえないことではない。40年前に早くもその兆候を見抜いた司馬遼太郎の炯眼には敬服せざるをえない。 (比較文学者)


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(感想・意見など)

 昨日今日お勉強を始めたばかりの薄っぺらい中学生並みの「虫の目」と、有史以来の中国のあらゆる歴史に通じている「虫の目」と「鳥の目」「歴史の目」を兼ね備えた碩学の貫禄の差である。

 中国の直近2千年の歴史を見ても、主要な飢饉は1800回以上にのぼるという。地域によるが、ほとんど常に飢餓線上にあったことになる。大雨、洪水、干ばつ、冷夏、火山の噴火、霜害、イナゴ・雲霞(うんか)などの虫害など。その度に多くの餓死者が出た。そういう事態になると、産む自由などという朝日の言う「基本的人権」どころではない。娘は売る。人も食う。流民となり隣村や隣国を襲い、略奪・凌辱・虐殺が繰り返された。戦争のもとになった。中国の歴史はそういうことの繰り返し。21世紀のいまも、その恐れから解放されたわけではない。

 日本も1993(平成5)年、冷夏で米不足に陥り、緊急輸入した。今でも中国は、アフリカはじめ世界中で鉱工業資源や食糧を買い漁って問題を起こしている。「爆食」と言われている。中国周辺の海で乱獲を繰り返し、国境を侵犯して資源を奪い、あらゆる周辺国と紛争を起こしている。もともと唯我独尊の国である。食わせるべき国民が増えれば、もっと横暴にならざるを得ない

 「産みたい放題にしたら、1年で3千万、10年で3億だよ。あと50年したら、地球は中国人でひしゃげてしまうじゃないか」は、今でも事実である。現在、世界で10億人近い人が飢餓線上にある。中国がその力で資源や食糧を奪ってしまったら、飢餓線上の人が15億人、20億人になりかねない。紛争も増える。環境も耐えがたいものになる。世界中にもっと大きな不幸をばらまくことは確実である。虫の目だけでなく、鳥の目、歴史の目も必要である。


 中国だけではない。先進国はおおむね人口は減少傾向にあるが、インド、アフリカ諸国などは急激に人口を増やしている。

 
 一体、朝日新聞は何を考えているのだろう??


以上

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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