反米というパンドラの箱

反米というパンドラの箱
毎日新聞14年1月9日の「与良(よら)政談」に与良正男論説委員が、12月26日に安倍首相が靖国神社に参拝した件について書いている。与良さんの考えに同感することが多い。私は、諸外国がどうのこうのは別にして、1920年代頃から日本を戦争の方向に引っ張っていった人たちを憎んでいる。日本人自身が、未だに、その責任を明確にしていない(東京裁判は茶番)。死んだ人たちは神になったで済ませる話ではない。抜粋してご紹介します。
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今回、私が驚いたのは米政府が「失望した」という極めて厳しい声明を発表した点だった。米側は日中、日韓関係の悪化を心配しているだけではないと思う。安倍首相に「反米」のにおい、気配を感じ取っているのではなかろうか。
戦後日本は1952年に発効したサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れて国際社会に復帰した。ところが靖国神社は東京裁判で有罪になったA級戦犯を78年になって他の戦没者と合わせてまつった。
首相はかねて東京裁判をはじめとする連合国側の「勝者の断罪」と語っている。戦争を指導したA級戦犯が合祀されている靖国を参拝するのは先の大戦を正当化しようとしているのではないか。米国中心に築かれた戦後の国際秩序に刃向かおうとしているのではないか――と米側は疑っている。
中国大陸などへの「侵略」を否定し、米国との開戦も「やむにやまれぬものだった」という保守の一部にある考え方を突き詰めていくとおのずと反米につながる。今の憲法が「米国の押し付けだ」という考え方もそうだ。戦後、何とか封印してきたが、安倍首相は今回、パンドラの箱を開けてしまった気がする。自民党などの若い議員らの間に日本も独自に核武装すべきだという声が増えているのも同じ流れの中にある。
私は米国がどうのこうの、中国、韓国がどうのという前に、まず戦争を憎む。戦後、長きにわたって日本が戦争をしてこなかったことこそ誇りたいと思う。
私は日本人の一人として、沖縄を、旧満州に渡った人たちを見捨てた軍部を中心とした当時の指導者たちを許す気にはなれない。だから靖国にはわだかまりがある。
A級戦犯の分祀や新しい国立追悼施設の建設論議も最近はどこかへ行ってしまった。反中、反韓、さらに反米。「侮られるな」といった勇ましい掛け声のもと、日本が孤立の道を歩むことを恐れる。
以上