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「持たざる国への道」③

「持たざる国への道」③ (中公文庫)
「持たざる国への道」③ 加藤陽子さんの著作の例

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)
『戦争の日本近現代史』 (講談社現代新書)
『満州事変から日中戦争へ』 (岩波新書)




  「持たざる国への道」③


 前内閣府事務次官の松元 崇 (まつもと・たかし)さんの著書『持たざる国への道 あの戦争と大日本帝国の破綻』の巻末「解説」は、東京大学大学院教授の加藤陽子さんが書いている。抜粋してご紹介します。


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 本書がそのタイトルに含む2つのキーワードは、「あの戦争」と「持たざる国」。

 1930年代半ばになっても、英米仏などの欧米列国は、29年のニューヨーク株式市場暴落に端を発する世界恐慌の痛手から脱することができなかった。それに対し、高橋是清蔵相による一連の施策(①為替放任による輸出拡大、②低金利による公債発行の容易化、③財政支出の拡大)によっていち早く恐慌を脱出できた30年代半ばの日本の経済や社会は、十分な輝きや勢いを持っていた

 京都大学の堀和生氏による推計を見ておけば、日本がその植民地向けに輸出した額と、イギリスがその植民地抜けに輸出した額の比較では、日英の順序は1937年に逆転し、日本が世界最大の植民地帝国となっていたという。
 
 37年7月に始まった日中戦争の泥沼化とともに国民生活が逼迫し始めると、その責任を国民に説明するにあたって国家は、「英米のブロック経済が『持たざる国』である我が国を追い込んだため」と喧伝する。

 しかし、と著者は問いかける。30年代半ばの日本が英米の嫉視を買うほど好況であったとすれば、「繁栄していた我が国が突然『持たざる国』になって窮乏化していった」のはおかしくはないか、と。

 むしろ、原因と結果が逆だったのだ。経済合理性を無視して満州経営をおこなった陸軍は、政府や財界をも巻き込み、通貨戦争という側面で、考えられないような愚策を華北分離工作でおこなった国民生活を窮乏化させた真因は、「軍部による経済的な負け戦」であったのに、「英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、それをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった」。


 岡田啓介内閣の蔵相であった高橋是清が2・26事件で「農民の敵」として殺害されなければならなかったのは何故か。青年将校らが、81歳の老体に「国賊」「天誅」と叫びつつ躊躇なく銃弾を浴びせかけることができたのは、農村恐慌の元凶こそが既成政党であり、財閥であり、元老宮中勢力だと固く信じていたからに他ならない。

 だが、農村疲弊の構造的な要因の一つは、30年代までに進行していた中央と地方の税制のゆがみが放置されていたことに帰せられる。理解されやすいが欺瞞的な説明と、理解されがたいが構造的な真因と。政治が健全に運営されなくなり、二つのギャップが埋められない事態となれば、目も眩むばかりの暗澹たる光景が目の前に広がってしまうのだ。


 著者は、国と国民を誤った方向へと導いた軍部がとった大陸政策の、何が間違っていたのかについて、「『持たざる国』への道」で分析を加える。満鉄が日本のために叩き出していた利益は、たかだか5000万円であり、それは日中貿易が稼ぎ出す10億円の5%にしかならなかった。にもかかわらず、1個師団をはるかに超える兵を常駐させているのは理にかなっているか、と清沢洌きよさわ・きよし)は論じていた。清沢の論は、満州で何らかの妥協をおこなわなければ日本は中国全体を失ってしまう、との正しい警告に他ならなかった。だが、経済合理性に従ったこのような論に、当時の国民は耳を貸さなくなってゆく


(長くなりそうなので次回と分割します)

 
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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