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雑誌のふろく「試作屋」

雑誌のふろく「試作屋」 日経14年5月28日
雑誌のふろく「試作屋」 花菖蒲




 日経新聞(日本経済新聞)の最終ページの文化欄は、その道何十年という人ばかりで、味わい深い記事が多い。 5月28日は雑誌のふろくの「試作屋」さん。抜粋してご紹介します。


 雑誌のふろく「試作屋」
 ◇組み立て式おもちゃなど40年、今は大人向けも◇  永岡 昌光さん


 ひと昔前まで、子ども向けのおもちゃや雑誌のふろくには、組み立て式のものがたくさんあった。鉱石やトランジスタを使ったラジオとか、電磁石の実験キットとか。

 職人の引退相次ぐ
 組み立て式のおもちゃやふろくを企画・製作するなかで、欠かせないのは試作品づくりだ。試作品をもとに量産するので、最終製品より精巧に作らなければならない。私はこの試作品づくりをほぼ40年にわたって続けてきた。10年前なら同じような職人が何人もいたが、相次ぎ引退し、今はほとんど私くらいしか残っていない。


 1968年、学研に入社し、1年ほどして、おもちゃの開発部署に配属された。60~70年代のおもちゃは輸出産業で、「とにかく米国に売れる商品を考えろ」という雰囲気だった。自走式の車など、ブリキのおもちゃに毛が生えた程度だったが、図面を引いてみせただけで米国のバイヤーが買ってくれた。

 ゲーム台頭で苦戦
 プラスチック製のおもちゃがぽつぽつと出始めたころでもあり、試作は外部に出していた。でも外注は費用が恐ろしくかかる。おもちゃの車一台分の試作費が、当時の私の年収の半分などという水準。もったいないから、自分たちで作り始めた。

 75年に発売して年間50万セット売れたトランシーバー「CQシリーズ」、76年発売の「学研電子ブロックEXシリーズ」などを世に出すことができた。電子ブロックは、回路を自分で組み立てて、うそ発見器やラジオなど最多で150種類の電子機器が作れる。

 順調だった試作人生は、80年代に変わる。テレビゲームが台頭し、組み立て式のおもちゃが売れなくなった。さびしかった。88年に台湾の工場に移り、現地の技術者や職人と一緒になって電気実験キットなどの試作に汗を流すようになった。

 台湾の事業が軌道に乗ったのを見届けて、92年に帰国。雑誌の版権を海外に販売する部署に就いた。試作品とは無縁の生活が続いたが、2000年を迎えるころ、うれしい転機が訪れた。当時の「大人の科学」の担当者から、日本の伝統的なからくり人形のミニチュアが作れないかと相談を持ちかけられたのだ。

 試作屋の血が騒いだ。隠していた工作機械を引っ張り出し、部品作りに取りかかった。最初に作ったのはお茶を運ぶ人形。弓を射たり、階段をとんぼ返りしながら下りたりする人形も手がけた。02年には会社を辞めて横浜市内に独立の工房を持ち、主に「大人の科学マガジン」のふろく試作をしている。

 手仕事を記録映画に
 こうした手仕事に興味を持った若い人たちが、試作の世界を映画に撮りたいと言ってくれた。記録映画「おとなのかがく」(忠地裕子監督)が30日まで東京で、6月21日から大阪の映画館で上映される。

 試作は手先が器用でないと務まらない。1ミリの幅にカッターで線を20本引くなんて当たり前。自分の手で物を作るという作業はつらいけれど、楽しみも大きい。  (ながおか・まさみつ=工房「匠」代表)


以上

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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