広島の土砂崩れ

広島の土砂崩れ 毎日新聞
広島の土砂崩れ 朝日14年9月13日
広島の土砂崩れ 高知14年9月12日




 広島の土砂崩れ


 ★ 朝日新聞14年9月13日「磯田道史の備える歴史学」を抜粋してご紹介します。


 土石流重なり形成された扇状地


 日本は地球上で最も土壌侵食=土砂の動きが激しい所の一つである。先月、広島市安佐南区八木などで大規模な土砂崩れが起き、多くの犠牲者が出た

 「あの広島の土砂崩れ現場の古文書を見直しておきたい」。
 悔しさを胸に、私は浜松から新幹線に乗り、東京都立中央図書館で、八木地区に関する古い記録を探した。まず八木が広島市に合併される前の自治体史『佐東町史』をみてきた。


 「本町の扇状地は、背後に急傾斜地を持つことから、幾度もの土石流が重なって形成されたと考えられる。角ばった巨礫を多く含み、斜面の途中に突き出た段丘が見られるが、これは土石流の原型といえる。緩斜面は、現在県営住宅を中心とした宅地化が進み、平坦化されているところもある」。

 土石流が繰り返され、現物が残っているすぐ脇に、県営住宅などの団地を建設していったことが、地元の町史には、はっきり書いてあった。八木地区の団地造成は、1937年に三菱重工広島製作所の従業員団地の造成を相談されたことから、はじまった。そして、高度成長期には、団地化が急速に進んだ

 この時代の日本人は技術と経済成長の信者であった。自然はコントロールできると、人間の優位を驚くほどに信じた。土砂崩れにしろ、原発事故にしろ、この時代の思想のツケを後代の我々は、いま払っている


 この地の領主が「自然に勝てる」と思い始めたのは、戦国時代のことであった。前近代には土砂崩れは「蛇(じゃ)崩れ」「蛇落」などといい、大蛇の出現になぞらえられた。

 広島藩の地誌『芸藩通史』によれば、「八木」は平安中期の『倭名抄』に「養我(やぎ)」とある古い地名である。この八木村の土地台帳「地ぶり帳」(1762年)をみると、上楽寺という字がある。

 気になるのはこの地にある観音堂が「蛇落地観世音菩薩堂」と呼ばれ、さらに、近所に「蛇王池大蛇霊発菩薩心妙塔」と刻まれた碑が立っていることだ。土砂崩れを起こす大蛇の霊を祀ってなぐさめ、菩薩心をおこさせて、村の安寧を祈ってきたさまが想像される。

 上楽寺は元来「蛇落地」であったろう。それが江戸期には上楽寺という楽しそうな地名に変えられていたのだ。


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 ★ 高知新聞14年9月12日一面コラム「小社会」を抜粋してご紹介します。


 「尾崎、谷口、渕の上」。家を建てる際の注意についてのことわざという。尾崎は山の裾が延びたところやその突端、谷口は文字通り谷の出口、渕の上もそのままだ。

 大水が出たり、崖崩れが起きたりするおそれのある場所として、なるべく家を建てないほうがよいという、先人が経験から得た知恵だろう。


 広島市の土砂災害の現場は、山際や谷の近くまで開発された新興住宅地が多い。土石流の危険がある渓流が集中し、被害が予想される地域にもかかわらず、被災地の大半は土砂災害の警戒区域や特別警戒区域に指定されていなかった

 「あそこの山は地盤が弱く、家を建ててはいけないと教えられていた」。地区の古い住民の言葉だ。新しい住民の多くは知らなかった可能性が高い危険度を知っているか否かでは、大雨への注意も違ってこよう

 身の回りの危険情報を知ることはわが身を守る第一歩。警戒区域の指定などには資産価値が下がるとの心配があるようだが、命には代えられない


(以上)

プロフィール

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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