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中村修二さんノーベル物理学賞受賞!!

新産業創造に貢献…中村修二さん 産経13年2月1日
新産業創造に貢献…中村修二さん 朝日13年4月22日  
中村修二さんノーベル物理学賞受賞!!
 フヨウ



 嬉しいニュースが飛び込んできた!かねてから噂のあった中村修二さんが、赤崎 勇さん、天野 浩さんと共に今年のノーベル物理学賞に選ばれた

 私は、13年4月26日にブログ「新産業創造に貢献―中村修二さん」を書いた。以下に再録致します。


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  新産業創造に貢献―中村修二さん

 
 私がサラリーマンになって最初に赴任した地は徳島であった。徳島の阿南市に日亜化学工業という中堅企業があることは会社に入ってから知った。親会社の協力会社であった。確か、カラーテレビに使う蛍光体を作っていた。装置産業であることもあってか、夏休みを連続して約20日間取れることで地域では有名であった。

 当時、ビデオレターというのが本社から週に1度送られてきて、グループ会社内のトピックを知ることができた。ある時、親会社のトピックで、「青色LED(発光ダイオード)1000時間点灯に成功」というのがあった。ところが、その後何年しても商品化に成功したという話は聞かなかった。私はその話題が妙に気になってずっと覚えていた。

 
 青色LEDの商品化に成功というニュースを聞いたのは、それから約20年後である。残念ながら成功したのは親会社ではなかった。ほとんど名もなき日亜化学工業であった。「ええっ、あの日亜化学が!」確かなことは知らないが、当時の日亜化学の年商は数百億円程度ではなかったか。数百分の1の規模の会社に出し抜かれた。

 開発したのは日亜化学の研究者の中村修二さんである。中村さんは、当時主流の世界中の研究者が取り組んでいたセレン化亜鉛という結晶を使う方法に背を向けて、窒化ガリウムを使う方法に取り組んだ。

 アメリカの研究者には「スレイブ(奴隷)ナカムラ」と呼ばれるほど、研究に没頭した。年間数えるくらいしか休まなかったという。研究予算も少ないので、装置の改良・修理は自分で行なった。むしろそれが良かった。

 1993年中村さんはついに青色発光ダイオードの開発に成功した


 中村さんは、創業者である初代社長とはうまくいっていたが、2代目の女婿社長とは肌合いが合わず、1999年に日亜化学を退社。2000年カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授に就任。現在も活躍している。


 2001年、発明の対価として自分は2万円しかもらっていない、日本の企業研究者はアメリカに比べてあまりにも冷遇されているとして、日亜化学工業を提訴。2004年、1審は発明の対価として200億円の支払いを日亜に命じて話題となった。日亜側は東京高裁に控訴。2005年約8億4000万円で和解が成立した。これ以降、企業研究者の「功績」に関する訴訟が相次いだ。



 現在、照明信号機は、寿命が長く省エネのLEDに変わりつつある。大画面テレビブルーレイディスクなども発光ダイオード(LED)なくしてはあり得ない。

 どこの地方も少子高齢化、雇用、財源不足で苦労している。徳島には、LED企業が集積している。徳島は「シリコンバレー」ならぬ「LEDバレー」で売り出している。春には毎年、「LEDフェステバル」を開催している。新しい産業が生まれ、雇用が生まれている。徳島は中村修二さんの銅像を建ててもいいのではないか

 中村さんは、仁科記念賞、大河内記念賞、武田賞、ベンジャミン・フランクリン・メダル工学賞、エミー賞などを受賞している。ノーベル賞の有力候補者でもある。


 地方の小さな企業の一研究者が、世界中の並みいる大企業の研究者を出し抜いた。痛快な話ではないか。



以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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