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吉良上野介はやっぱりいけずやった。

吉良上野介はやっぱりいけずやった。 週刊朝日14年10月3日
吉良上野介はやっぱりいけずやった。 週刊朝日14年10月10日
吉良上野介はやっぱりいけずやった。
 皆既月食途上14年10月8日19時





 吉良上野介はやっぱりいけずやった。


 何十年か前に、ある人から、「吉良上野介きら・こうずけのすけ)を悪人のように言う人が多いが、三河の国の領民は名君として慕っているらしい」と言われ、上野介に対する評価はずっとペンディング(保留)のままであった。

 それがついに解決した!週刊朝日「子孫が語る秘話と秘宝」欄がある。10月3日号は織田四天王の一人と言われた丹羽長秀にわ・ながひで)の子孫、第18代当主丹羽長聰にわ・ながとし)さんである。該当部分を抜粋してご紹介します。


 吉良上野介を仕留め損ねた浅野内匠頭に激怒した3代目


 初代・長秀の手紙などの資料や、軍配や兜などは受け継いでいました。地元の福島県二本松市に相談してみると、預かると言う。ほとんどの品々は寄託しました。

 預けた品々の中に煙草盆がありました。漆塗りで、炭入れと灰入れが載っているのですが、灰入れの金属製の縁が大きくへこんでいた。傷モノだし捨てちゃおうかと思った。でも、二本松市の学芸員に見せたら、「あの話は本当だったんだ」って驚いていました

 あの話、というのは二本松では有名な忠臣蔵にまつわる言い伝えのことです。実は、浅野家と丹羽家は親戚でして、浅野内匠頭たくみのかみ)は3代・光重の姉の孫なのです。

 松の廊下で内匠頭が吉良上野介に斬りつけたことを聞いた光重は激高して、持っていたキセルで煙草盆の灰入れをバーンとたたいてこう言った
 
 「なぜ斬りつけたのか!突きさえすれば仕留められたものをっ!!」

 とても悔しがったそうです。二本松藩の剣術は突きでしたからね。

 僕もこの話は聞いていたけれど、煙草盆を見ても、それだとは気づかなかった。いやあ、捨てなくて良かったですよ(笑)。


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 次は、週刊朝日10月10日号から。出雲を支配していて毛利元就に滅ぼされた尼子(あまご)家の家臣、亀井茲矩これのり)の子孫、16代当主亀井茲基これもと)さんの話である。該当部分を抜粋してご紹介します。


 江戸時代、大名はさまざまな任務を任されました。うちの場合は、3代・茲政(これまさ)が11回、4代・茲親これちか)が10回も馳走役ちそうやく)をやっています。これは、天皇の勅使などを迎えて、警備や接待など、おもてなしをする役目です。

 儀式や典礼ではこまかいしきたりが決められています。茲親は指導役の吉良上野介に教えを乞いましたが、田舎大名だと侮辱される茲親はキレて、吉良を斬ることにした

 それを知った多胡外記(たご・げき)という家老が、お菓子の下に数百両を入れて吉良に渡したのです。翌日からは、吉良の態度が手のひらを返したように変わり、茲親は馳走役を無事に果たしました。

 
 忠臣蔵を思い出しませんか?実は、茲親の次の馳走役が浅野内匠頭刃傷事件はこの3年後です。家老の多胡の機転がなければ、忠臣蔵の舞台は亀井家になっていたかもしれません。

 この話は、津和野では誰でも知っています。


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(感想・意見など)


 吉良上野介はやっぱりいけずやった。長年の宿題が片付いてスッキリした。


以上

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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