「反省と謝罪」の対象は?①
産経15年1月22日
(徳間書店)
山茶花の蜜を吸うメジロ
警戒心が強くじっとしていない。
「反省と謝罪」の対象は?①
誤解をしている人が多いと思うが、元朝というのはモンゴル人がシナに入って建てた王朝で、中華王朝ではない。元朝というのは、チンギス・カンが1206年に建てたモンゴル帝国「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」の一部でしかない。モンゴル帝国は、今の東欧からトルコ、シリア、アフガニスタン、チベット、ミャンマー、中国、朝鮮半島までのユーラシア大陸にまたがる大帝国であった。最盛期には地球上の陸地の4分の1を占め、人口は1億人以上だったという。
この大帝国を作る過程では、無数の大虐殺などがあったが、現在誰もその罪を問おうとする者はいない(欧州、ロシアなどではこの時の恐怖がいまだ残っているそうである)。
日本に関することでは、蒙古襲来(文永の役1274年、弘安の役1281年)があった。途中の対馬・壱岐の住民はほとんど全員虐殺され、女・子ども約200人が奴婢として高麗国王・妃に献上された(現在の対馬・壱岐の住民はほとんどがのちに九州などから移住した人たちの子孫)。捕らえられた女は手のひらに穴を開けられ、そこに縄を通し、船の外壁に並び立てられた。一説には、「むごい」という言葉は「モンゴイ」の転化だという。特に弘安の役では、元・高麗(コリア)連合軍約15万人、軍船4400艘という未曽有の船団が襲来した。
日本では長く、子供が泣き止まないときに「ムクリ(モンゴル)、コクリ(高麗)が来るぞ」という脅し文句が東北地方でも使われた。「被害者と加害者の関係は千年たっても変わらない」と言ったどこかの馬鹿な大統領がいたが、慎ましい日本人は八百年前の恨みは言わない。
スペイン・ポルトガルは、15世紀から17世紀にかけて、アメリカ大陸を植民地化した。原住民は虐殺、奴隷として使役され、女は犯され混血のメスティーソを産まされた。スペイン人、ポルトガル人が持ち込んだ病原菌に免疫がなかったこともあるが、生粋の原住民はほとんど残っていない。足りない労働力はアフリカから黒人奴隷を連れてきて補った。
アメリカは、アメリカインディアンを殆ど滅ぼして成立した。長らく黒人奴隷を使役した。オーストラリアも先住民のアボリジニに同じようなことをした。アメリカは、ハワイ諸島、フィリピンでも酷いことをした。
ヨーロッパの国々も地球上のほとんどを植民地化した。アヘン戦争は、当時のイギリス議会でさえあまりにひど過ぎると問題になったそうである。
結局、欧米人たちが「人権」を真面目に考えるようになったのは、百年前、思いもかけず勃発し、思いもかけず長引いた悲惨な第一次世界大戦を経験してから(1914~1918)である。自分たち白人が1600万人も死んで(負傷者2000万人)からやっと我がこととして考えるようになった。ロシア革命(1917年)の影響もある。
それでも有色人種は別で、多くの植民地が独立したのは第二次世界大戦後それらの国が独立戦争を戦ってからである。独立を認めるにあたって、イギリスはインドに、フランスはハイチに、オランダはインドネシアに対して、それまで作ったインフラなどの賠償金を請求したそうである(日本と大違い)。
...............................................................................................................
● どの国も叩けばホコリの出る歴史 (福岡 猫懐さん)
かねてから、どこまで遡って「反省と謝罪」をすればいいのだろうと考えていた。
産経新聞1月22日「正論」欄の東洋大学教授・櫻田 淳(さくらだ・じゅん)さんのコラムを読んで以上の様なことを考えた。
長くなるので次回と分割します。次回、櫻田教授のコラムを抜粋して掲載します。
以上
(徳間書店)
山茶花の蜜を吸うメジロ
警戒心が強くじっとしていない。
「反省と謝罪」の対象は?①
誤解をしている人が多いと思うが、元朝というのはモンゴル人がシナに入って建てた王朝で、中華王朝ではない。元朝というのは、チンギス・カンが1206年に建てたモンゴル帝国「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」の一部でしかない。モンゴル帝国は、今の東欧からトルコ、シリア、アフガニスタン、チベット、ミャンマー、中国、朝鮮半島までのユーラシア大陸にまたがる大帝国であった。最盛期には地球上の陸地の4分の1を占め、人口は1億人以上だったという。
この大帝国を作る過程では、無数の大虐殺などがあったが、現在誰もその罪を問おうとする者はいない(欧州、ロシアなどではこの時の恐怖がいまだ残っているそうである)。
日本に関することでは、蒙古襲来(文永の役1274年、弘安の役1281年)があった。途中の対馬・壱岐の住民はほとんど全員虐殺され、女・子ども約200人が奴婢として高麗国王・妃に献上された(現在の対馬・壱岐の住民はほとんどがのちに九州などから移住した人たちの子孫)。捕らえられた女は手のひらに穴を開けられ、そこに縄を通し、船の外壁に並び立てられた。一説には、「むごい」という言葉は「モンゴイ」の転化だという。特に弘安の役では、元・高麗(コリア)連合軍約15万人、軍船4400艘という未曽有の船団が襲来した。
日本では長く、子供が泣き止まないときに「ムクリ(モンゴル)、コクリ(高麗)が来るぞ」という脅し文句が東北地方でも使われた。「被害者と加害者の関係は千年たっても変わらない」と言ったどこかの馬鹿な大統領がいたが、慎ましい日本人は八百年前の恨みは言わない。
スペイン・ポルトガルは、15世紀から17世紀にかけて、アメリカ大陸を植民地化した。原住民は虐殺、奴隷として使役され、女は犯され混血のメスティーソを産まされた。スペイン人、ポルトガル人が持ち込んだ病原菌に免疫がなかったこともあるが、生粋の原住民はほとんど残っていない。足りない労働力はアフリカから黒人奴隷を連れてきて補った。
アメリカは、アメリカインディアンを殆ど滅ぼして成立した。長らく黒人奴隷を使役した。オーストラリアも先住民のアボリジニに同じようなことをした。アメリカは、ハワイ諸島、フィリピンでも酷いことをした。
ヨーロッパの国々も地球上のほとんどを植民地化した。アヘン戦争は、当時のイギリス議会でさえあまりにひど過ぎると問題になったそうである。
結局、欧米人たちが「人権」を真面目に考えるようになったのは、百年前、思いもかけず勃発し、思いもかけず長引いた悲惨な第一次世界大戦を経験してから(1914~1918)である。自分たち白人が1600万人も死んで(負傷者2000万人)からやっと我がこととして考えるようになった。ロシア革命(1917年)の影響もある。
それでも有色人種は別で、多くの植民地が独立したのは第二次世界大戦後それらの国が独立戦争を戦ってからである。独立を認めるにあたって、イギリスはインドに、フランスはハイチに、オランダはインドネシアに対して、それまで作ったインフラなどの賠償金を請求したそうである(日本と大違い)。
...............................................................................................................
● どの国も叩けばホコリの出る歴史 (福岡 猫懐さん)
かねてから、どこまで遡って「反省と謝罪」をすればいいのだろうと考えていた。
産経新聞1月22日「正論」欄の東洋大学教授・櫻田 淳(さくらだ・じゅん)さんのコラムを読んで以上の様なことを考えた。
長くなるので次回と分割します。次回、櫻田教授のコラムを抜粋して掲載します。
以上