人・人・人
①讀賣新聞17年1月12日
私が讀賣新聞で一番買っているのが「人生案内」。世の中には本当にいろいろな人がいる。
文春新書 842円
めっちゃ面白くてためになる?ことは、太鼓判3つくらい押します。
②週刊文春17年2月2日号「著者は語る」
いま佐藤愛子ブーム。お父さんが昭和初期の人気作家・佐藤紅緑(こうろく)、お兄さんが詩人のサトウハチロー。本人も直木賞、菊池寛賞を受賞。バツ2?。
③産経新聞17年1月28日
警察官もすごいねー。滋賀県警長浜署の懇親会で、男性署員が2人の20代の女性署員にプロレス技「つり天井固め」をかけ、男性署員が携帯電話で撮影し、数人で共有したという。聞いたことも見たこともないパワハラ+セクハラ。
人・人・人
①「虫の目」しか持っていない女の子
「鳥の目」「魚の目」(世の中の流れ、歴史的位置づけ)を持っていない人の典型。自分の周り半径3㍍くらいしか見ていない。こんな子がいるんだと、ビックリした。世の中いろんな人がいる。しょうもない人に影響されたら自分が可哀そう。「ひとはひと。自分は自分」という心境になれないものか。
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高校3年の女子。真面目でいることがバカバカしくなってしまいました。
2学期の成績が、体育だけ異様に低かったのです。学年内で後ろから片手で数えられるような順番でした。確かに体育は苦手で、実技のテストも平均に比べ、低めなのは認めます。しかし、授業はすべて出席し、見学もしていません。
学年内には、留年しないように気を付けながら、授業を欠席や見学してばかりの人もいます。そのような人たちと、私の成績が同等なのは、何かの間違いではないかと、体育の先生に尋ねましたが、「実技が下手だから、点数が低いのだ」と、聞く耳を持ちません。
不得意なりに、体調が悪くても見学もせず授業を受けてきた自分に誇りを持っていますが、この一件を通し、バカバカしくなりました。不得意なのに頑張る私がいけないのでしょうか。 (千葉・G子)
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②猛女
しかし、カラッとしているから救われる。
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私は父が五十歳の時に生まれた末っ子で、甘やかされ放題に育ったんですよ。幼稚園はイヤだとゴネて行かず、次は小学校という時、「行かない」とまたゴネた。すると、私の乳母(うば)がこう言いました。
「お嬢ちゃん、なんぼお嬢ちゃんやかて、どうしてもせんならんということが、世の中にはおますのやで」
それで、私は小学校に行くようになった。そうか、そういうことなら仕方ない、行くしかないか……というような気持ちでしたかしらね。
子どもの頃は、賢い子どもだったんですね(笑)。
母がよく言いましたよ。愛子はどうしようもないワガママ者だったけれど、一度「そんなことをしてはいけない」と言って聞かせれば、二度と同じことを言わせなかった、と。
作家修行をしている頃、師事していた詩人の吉田一穂(いっすい)先生がこう仰ったんです。
「女には小説は書けないよ。女はいつも自分を正しいと思っている。そしてその正しさはいつも感情から出ている。だからダメなんだ」
女は客観性がないからダメだ、という意味ですね。この一言は、私の作家としての基盤になりました。
その後、夫が事業に失敗して、その倒産額は二億円という当時にしたら天文学的な額でした。さすがの私も気力体力共に萎えて、整体を受けに行きました。臼井栄子先生という、それは人格も技術も立派な方で、その先生が言われたんです。
「佐藤さん、苦しい時にそこから逃げようとすると、もっと苦しくなる。正面から受けとめ、受け容れた方がらくなんですよ」と。
その言葉はその後の私の人生を決めました。私は頑固だけれども、「なるほど」と思ったことには素直に従うんです。単純なんですね。
女学生の頃、こんなこともありました。
友達と遊びに行った旅先の旅館の廊下で、酔っ払った男がふざけて抱き付いてきたもので、私はとっさにその男の横っ面を張り倒したんです。今ならともかく、当時は女の子がそんな乱暴をすれば、ひどく叱られるのが当然でした。
ところが私の父は大笑いして「よくやった!」と一言。
つまり容認されたというか、激励されたというか、それで私はのびのびと荒くれ女になったんですよ(笑)。
以上