コリアンの世界観

週刊東洋経済17年2月11日

第11回朝鮮通信使(1763~1764)の随行員の金仁謙の記録。日本の街の豪華さに驚き、技術が優れていること、女人の美しさなどに圧倒されながらも、儒教的観点からみた日本人をボロクソに書いている。結局はコリアンの何百年と続く儒教的偏見・世界観が問題であることが分かる。

今日の高松市水道局御殿浄水場の桜。八分咲き。これを撮影している時、河川敷でキジが「ケーン」と鳴いた。

香東川西岸の桜。ここも八分咲き。

昨夜初ヤモリ。小さな蛾をくわえている。イタズラしないのを知っているので逃げない。
コリアンの世界観
慰安婦「問題」など最初からない。似たことは世界中である。朝鮮戦争でコリアン自身も同じようなことをしていた(ドラム缶に女性を入れ第五補給品として前線に送っていた)し、韓国には外貨獲得のため米軍専用の売春街もあった。ベトナム戦争当時、外貨獲得のため参戦した韓国兵は、ベトナム女性を強姦しまくり、その後殺害したり、やりっぱなしで私生児(ライダイハン)を多く残してきた。ベトナムの町には韓国人が経営する慰安所もあった。
米兵が削減され外貨獲得が難しくなった時、韓国政府は日本人ビジネスマン・観光客に目をつけ、「キーセン観光」を国策として推進した。1970年代までの韓国は非常に貧しく、売春立国と言っても差支えない。
また豊かになった今この瞬間も、韓国人売春婦10万人が世界中に散り、各地で問題を起こしている。なぜこうしたことが問題にならないのか?
日本軍の慰安所には日本人女性も働いていたし、慰安婦は将官(大将・中将・少将)並みに稼いでいた。3年間働いた韓国人女性は、家に仕送りしながら、当時の金で東京に家が5軒買えるほど貯金していたことが分かっている。ダイヤモンドを買っていた女性もいたらしい。商売である。
それよりも、日ソ中立条約を破り満蒙に侵攻してきたソ連兵の悪辣さがなぜ問題にならないのか?西方では、ソ連兵はドイツ進駐時、190万~200万人のドイツ人女性を強姦した。途中の東欧の女性を合わせると400万人にもなると言われている。なぜこうしたことが問題にならないのか?
いわゆる慰安婦が「問題」になるのは、コリアンの世界観ゆえである。朝日新聞と「人権派」弁護士たちは、知ってか知らずか、厄介な相手に、厄介な嘘を広めてくれたものである。
週刊東洋経済2月11号に京都府立大学教授・岡本隆司(たかし)さんがコラムを書いている。抜粋してご紹介します。
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慰安婦問題に潜む韓国の世界観
慰安婦問題が騒がしい。2016年末、釜山の市民団体が日本総領事館前にいわゆる「少女像」を設置した。
慰安婦問題は難しい。国家間の戦後処理・外交関係ばかりでなく、より一般的な人権・人道も絡んでいる。問題の定義から論議がかみ合わないこともしばしば、今回はもちろん、以前よりそうだった。
一般の理解はそんなところだろう。しかし歴史を考え合わせると、この問題は日韓間のほかの懸案と同じく、もう少し根が深いような気がする。
政治体制と世界観が絡む
いわゆる市民団体の慰安婦像設置は、日韓合意そのものに対する反対行動にほかならない。つまりは日本のみならず、韓国政府に向けた批判であり、また韓国の野党もそれに乗じ、政府への攻撃を強めている。
つまりは外交関係を顧みない、対外関係を利用した政争であって、それなら現在に限ったことではない。朝鮮近代史、とりわけ19世紀末から顕著になってきた現象で、以後はるかに南北の政権分立にもつながってくるものである。
こう見ただけでも、目前の慰安婦問題が韓国史上の政治・外交に深く根ざしたものだとわかる。だとすれば、韓国の歴史的な政治体制とそれを裏付ける世界観と切り離して考えられない。それを抜きにした慰安婦問題の議論は、その場しのぎ、対症療法では有効であっても、根本的なところに触れないことになる。
今回、韓国でよく聞かれるのは、日本に「誠意をもって謝ってほしい」という声である。日本人なら問題の性格・定義・帰趨が明確にならないのに謝罪などありえない、と考えるのが普通だが、韓国ではそうではない。とにかく頭を下げろ、というのは、少なくとも相手に対し自らは悪くない、上位にいるという感覚であって、こうした声が自然と出てくるところに、どうやら根本的な前提がありそうである。
「美しい自画像」の典型
上下関係と自己中心・自らの尊重と他者の卑下は、儒教の基本コンセプトであり、これを世界観に置き直すと、中華意識になる。かつて朝鮮王朝は「小中華」と自称した。韓国人は歴史的な体質として、自分たちが世界の中心に、道義的な高みにいるのだと思いがちだし、またそう思いたいのである。
たとえば先に朴槿恵(パク・クネ)退陣を絶叫したデモは、はたから見れば、大衆を動員した政争以外の何物でもなく、成果も大統領を職務停止に追い込んだにすぎない。にもかかわらず、これを「名誉革命」だと手放しで自賛するのは、そんな自尊意識、美しい自画像の典型であろう。これを外に発動すると、どうなるか。
周囲は夷狄(いてき)・野蛮人・卑しむべき存在であり、そうした他者を不可欠とする。さもなくば自らを高みに置けない。その最たる国が近隣の日本である。これまた、朝鮮王朝の昔からそうだった。そんな上下・尊卑の関係を現代で証だてるには、人道・人権に直結する慰安婦が恰好である。
慰安婦問題の根底には、そんな歴史的な世界観がある。中華意識と国際ルールとの綯(な)い交ぜと軋みが、騒がしく難しいゆえんであって、両者の矛盾をどう折り合わせるのか。儒教に無知無縁な日本人としては、拱手(きょうしゅ)して出方を見るほかなさそうである。
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(感想・意見など)
「上下関係と自己中心・自らの尊重と他者の卑下は、儒教の基本コンセプトであり、これを世界観に置き直すと、中華意識になる」
「周囲は夷狄(いてき)・野蛮人・卑しむべき存在であり、そうした他者を不可欠とする。さもなくば自らを高みに置けない。その最たる国が近隣の日本である。これまた、朝鮮王朝の昔からそうだった」
まさにその通り!
2015年1月19日のブログを「てっちゃん 雑文集 日東壮遊歌」で探してください。朝鮮半島は、1910年に日本が併合し国家予算の2割を割いて近代化するまで、古代国家同様であった。250年前に来日し「日東壮遊歌」を著した金仁謙は、日本の様々なことに驚きながらも、(儒教)思想的には韓国のほうがずっと上であると威張っている。現在のコリアンと変わらない。
朝日新聞と「人権派」弁護士たちは、実にイヤラシイ偏見の持ち主に、実に厄介な嘘を広めてくれたものである。
以上