FC2ブログ

アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤

中国共産党 経営介入強める
 (WAC) 朝日新聞が「マルクス主義結社」であることがよく分かる。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 1968年 チェコ事件(プラハの春) 「人間の顔をした社会主義」をソ連の戦車が踏み潰した。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 1966-1976年 中国文化大革命 77年に終息宣言。数千万人が被害に遭った。
 朝日新聞はこの時も中国がやっていることは正しいと徹底的に擁護したが、当時中国共産党べったりの広岡知男社長は、ソ連派の秦正流(はた・しょうりゅう)専務、渡辺誠毅副社長らによるクーデターで朝日を追われた。また、1971年に林彪(りんぴょう)が変死したことも、朝日だけが中国当局が公式に確認するまで1年以上も報道しなかったという異様さであった。まさにマルクス主義結社。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 朝日新聞17年9月13日
 地方都市は人口減少に苦しみ、対応策として大学誘致に巨額の公費を補助している。全国で25例あるが、最も成功した例は、2000年に別府市に開学した立命館アジア太平洋大学(APU)。大分県が150億円、別府市が42億円を補助。総事業費の3分の2の負担で、市有地42㌶を無償譲渡した。結果、学生、教員計6千人超の半数が海外から集まり、国際色豊かな町となっている(授業は日英二言語)。
「加計問題」はフェイク
 四国新聞17年9月17日 「『加計問題』はフェイク」
 辛坊治郎さんは、「地元の不動産屋に聞くと、獣医学部の建物建設の進む土地は、実際には『タダでも要らない』土地」と書いている。急激な人口減少歯止め策として、数十年前から様々な大学に誘致を働きかけてきたが、十数年前に最終的に話に乗ってきたのが加計学園(一時、松山大学の経営学部誘致で話が進んでいたが、教授会の反対で流れた)。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 高松市道木太鬼無(きた・きなし)線の御殿山トンネル(仮称)の西ハゼ町(奥の池)側。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 同、鶴市(つるいち)町側。トンネルはかなり前にできていたが、用地買収に反対する地権者がいたため時間がかかった。市が強制収用し、たいした埋蔵文化財も出てこなかったため、現在急ピッチで工事中。あと半年くらいではないか。これにより朝夕の通勤混雑がかなり緩和されるものと思われる。
 私は、この道の話は50年くらい前に聞いた。中国なら2~3年でできるのだろうが…。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 先の3連休は天候もよく、稲刈りの最盛期だった。立派なコンバインを使っているので2、3の農家の人に聞くと、みんな「引き合わない」と言う。農家七不思議のひとつ。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 香東川の亀たち。遠くでよく見えなかったが、これだけ天気がいいと必ずいる筈だと望遠で撮ったら、ちゃんと写っていた。
アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤
 本津川河岸に咲いている花。





 アカイ アカイ 朝日はアカイ⑤


 つづきです。


.......... ..........


 「パブロフの犬」もびっくり 徹底して共産主義擁護

 長谷川 (朝日は)どうしても共産主義、社会主義を悪しきものにしたくないという意識が条件反射的に働くのでしょう。これを私は『崩壊 朝日新聞』で「パブロフの犬」と評したのです。

 戦前から販売促進のための「進取(しんしゅ)」の商売気質があり、それでこのメディアは大きく発展しましたが、マルクス主義も新しい思想として積極的に取り上げた。

 そのうちに内外からの影響もあり、本気になってマルクス主義を志すような記者たちが生まれてしまったのではないでしょうか。


 戦前からのマルクス主義への憧憬(しょうけい)

 永栄 ただ、戦前はおろか、戦後もしばらくは、政治・経済・社会全般にわたる理論体系というと、マルクス主義しかなかったんじゃないでしょうか。

 慶応の経済学部でも、経済学関連の半分はマルクス経済学でした。
 大内兵衛、美濃部亮吉らの岩波新書『日本経済図説』は、私も出るたびに買いました。第五集(五版)で終わりますが、大御所たちの予測は、私の見るところ外れどおしでした。

 マルクス主義がいまも力を持つのは日本史学教育学の世界、それに憲法などの法学、政治学と社会学の一部だそうです。さすが、要所は押さえている(笑)。

 長谷川 東京大学などの有名大学に集中的にマルクス主義者が出て、官界、教育界、マスメディアに、とくに戦後は激しく浸透していたことはたしかです。

 永栄 内務官僚から政治家になった三田村武夫氏が戦後まもなく書いた本に『戦争と共産主義』(自由社より『大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義』として復刊)というのがありましたけど、大正末期から昭和の初め、旧帝大生の三分の一は共産主義者で、同じく三分の一が官界や経済界での出世を考えて、実践活動はしないものの共産主義への理解はあり、同伴者的であると書かれていた。

 政治路線の違いや独裁者の政敵への疑心暗鬼などから、無慮数千万といわれる人々が殺されていたことを知る今では信じ難いわけですが、ソ連がそれほどに輝いていたんでしょうね。

 そうしたスターリン治政下のソ連にもましておぞましい感じの中国や北朝鮮が、朝日の紙面に煌(きら)めかんばかりに紹介されていたのもそんな昔のことではない。ポル・ポトのカンボジアも、朝日の紙面では輝いていた。実態が報道されないから、真面目で勉強家の心優しい人たちがそうした国々に吸い寄せられていく。

 長谷川 「心優しい」人たちなんですかね。私はソ連や中国、北朝鮮の体制を礼賛した人たちが、真面目で勉強家で「心優しい」とは少しも思いません。

 永栄 「貧しきを患(うれ)えず、均しからざるを患う」「地上の楽園」「微笑みの国」。夢とロマンがあったじゃないですか(笑)。社会主義国には日本と違って汚職がなく、教育費や医療費はすべて無料。新聞がそう書き、学者もそれを後押しすれば、心優しい人たちは惹かれると思うな。

 長谷川 いや、もう結構です。あの国々の実態は、分かる人たちにはすぐ分かっていた。


............................................................................................................


(感想・意見など)

 私も、大内兵衛、美濃部亮吉らの岩波新書『日本経済図説』を2・3冊買った。まだこのころは朝日新聞も岩波書店も輝いていた。

 しかし、

・1956年 フルシチョフのスターリン批判
・1956年 ハンガリー動乱
・1958-1961年 中国大躍進の失敗 3千万人とも5千万人とも言われる餓死者を出した。毛沢東は国家主席を辞任。 
・1961年~ ベルリンの壁 壁を越えようとする人を射殺する東ドイツ兵の理不尽さに憤った。
・1968年 チェコ事件(プラハの春) 「人間の顔をした社会主義」をソ連軍の戦車が踏みにじった。
・1973年 ソルジュニーツイン 『収容所群島』
・1966-1976年 中国文化大革命 毛沢東の復権闘争。77年に終息宣言。数千万人が被害に遭った。
・1975-1979年 カンボジア ポルポト政権 知識階級を中心に300万人虐殺(キリングフィールド)。
・1970年代ー1980年代 北朝鮮の工作員、土台人による日本人拉致。2002年金正日認める。
・1983年ラングーン事件 北朝鮮の工作員が、アウンサン廟で全斗カン韓国大統領を暗殺しようとして爆破。韓国、ビルマの要人70名近くが死傷。
・1987年 北朝鮮工作員による大韓航空機爆破事件。中近東から帰る韓国人出稼ぎ労働者を中心に115人全員死亡。ソウルオリンピック単独開催を妨害する目的があった。
・1989年 第二次天安門事件 胡耀邦の死去を契機に起こったデモに対し、人民解放軍が戦車まで出して、学生・市民に発砲、多数の死傷者を出した(因みに、人民解放軍は中国共産党の私軍)。
・1990年代~ 北朝鮮の「先軍政治」 数百万人の餓死者を出しながら、軍事優先の政治を強行。
・1991年 ソ連邦崩壊。

 など、おぞましさのほんの一例。そのたびに朝日、岩波などはオタオタした。
 (中国文化大革命の時代、朝日新聞は中国派の広岡知男社長の時代と重なり、徹底的に中国を擁護していた記憶がある。私の朝日不信はこの時に決定的になった)


 これだけの実例があるにもかかわらず、いまだに社会主義、共産主義を信じているのが信じられない。



つづく
 

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

最新記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
リンク
カウンター