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「歴史」は面白い②

「歴史」は面白い①
 週刊文春17年11月2日号
「歴史」は面白い①
 同
「歴史」は面白い②
 近くの神社。朝、今日こそは子猫を撮ろうとして本殿まで入っていったが、子猫は見当たらなかった。参拝し、帰りに先日小学生が遊んでいたところに親猫が2匹いたので写した。夕暮れ時にも通ったら、子猫が何匹もいたので写した。しかし、しかし、カメラに肝心のSDカードを入れ忘れていた!カメラ本体にデータはある筈だが、データの移し方を知らない。取説をみて勉強しなければ。
「歴史」は面白い②
 これは今年7月10日夏越祭(なごしまつり)の時に撮った写真。地域猫で、だれもいたずらしないので近づいても逃げない。
「歴史」は面白い②
 スズメたち。神社の鎮守の森ではヒヨドリたちが「ピーヨピーヨ」と元気に鳴いていた。清々(すがすが)しくて、なんか、いーいねぇ。





 「歴史」は面白い②

 先日の続きです。


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 「中世」を学べば現代がわかる

 「院政」が男系社会の出発点

出口 国際情勢の変化で唐が怖くなくなったので、もう好きにやろうやと、政治も身の丈に合ったかたちにしたわけですね。
 もうひとつ、奈良時代までは天皇は男性でも女性でも構わない、どちらかと言えば双系に近い社会でしたね。その後、摂関政治の下で幼帝が続き、外祖父の摂政関白が政治を仕切りますが、これは女系の社会です。ところが藤原頼道(よりみち)に孫が生まれなかったことから、父である上皇の男系へと権力が移っていく。

呉座 中世はまさに男系の社会になっていきますが、その出発点が院政なのです。後に武家の北条政子や、応仁の乱の時期に将軍であった足利義政の妻・日野富子も権力を握りましたが、それは、権力者の後家としてなんですね。古代の女帝とはちょっと違います。

出口 権力が男系に移ったのは、中国の儒教の影響もあるのでしょうか。

呉座 男系で継承する、いわゆる「家」というものができるのが、中世なんです。それまでは共通の祖先を奉じる「氏」が中心で、氏族集団なのですけど、中世になると近衛家や九条家、さらにもっと下位の貴族に至るまでそれぞれ家をつくっていきます。武士もそうです。中国と違うのは、日本ではほとんど血縁がないような養子にも簡単に家を継がせていることです。

出口 中国では血のつながりをすごく重視しますね。一方で日本は大名家でも結構養子を取っている。

呉座 家がなくなると家臣たちが路頭に迷うので、従業員のために創業家を切って会社を存続させるのに似たところがあります。日本の家は、とくに上級の公家や武家の場合、ただの私的な集団ではなくて、国家的な業務を請け負う存在ですから。例えば鎌倉幕府の将軍家は、軍事警察部門を担当する家であるわけです。

出口 安倍家が陰陽師をやり、飛鳥井家が蹴鞠(けまり)をやり、藤原定家の家が和歌をやるのと一緒で、中世になると家が職能ギルドになっていくんですね。

呉座 朝廷から官職をもらった官僚が仕事をするのが古代律令制のやり方なんですけど、中世では家が国家的な業務を担当する。だから、その知識も家の中で継承されていって、政府にはノウハウが蓄積されません。

出口 それで貴族の日記があんなに大事にされるわけですね。政府にアーカイブをつくる能力がないので、各々の家が職能のアーカイブをつくる。その家が潰れたらアーカイブもなくなるので、血を繋ぐよりも家を残しておかなあかん、ということになった。

呉座 鎌倉将軍家も、源頼朝の血が絶えた後も、将軍家は続かないと困るので、皇族の宮様を連れてきて将軍の座に据えていますね。
 「権門体制」というと大層な国家統治システムのようですけど、無数の家がそれぞれの職能を果たして、それを天皇が緩やかに束ねている、非常に分権的な社会と理解したらわかりやすいと思います。


 鎌倉幕府の謎

出口 元寇(文永の役1274年、弘安の役81年)についてお聞きしたいことがあります。最初にモンゴルが日本に持ってきた国書は「仲良くして商売をやろうや」という話で、そう無茶なことは書いていなかったと思うのですが、鎌倉幕府はモンゴルの使者を斬ったりして、かなり乱暴ですね。なんでこんな対応をしたのでしょうか。

呉座 一つは、外交は朝廷にあるというのが当時の日本の建前だったことが原因です。ところが朝廷は結論を出せない。幕府は軍事権門、要するに軍部なので、朝廷がモンゴルと国交を結ぶという明確な意思を示してくれない以上、彼らとしては戦う準備をする以外の選択肢はなかったわけです。

出口 本来、外務省が決めるべきことを軍部に丸投げしたら、軍部としては斬るしかないわな、という理解でいいんですね。ただ、鎌倉幕府は北条義時が後鳥羽上皇を破った承久の乱(1221年)以降、朝廷に対して実力では圧倒していたと思うのですが、それでいてなお外交は朝廷の管轄だと割り切れたのですか?


 「建武の新政」が成功してたら

呉座 これが中世のわかりにくさなんですね。われわれは、軍事力があればどんどん権力を拡大させるはずだと思うじゃないですか。でも幕府を見ていると、そういうスタンスじゃないんです。むしろ外交に限らず内政でも、公家から話を持ち込まれると、「いや、それはうちでは扱いません。朝廷でお決めになることです」と、なるべく朝廷がやるべきことに口を出したくないという印象を受けます。

出口 幕府は御家人の管理ができていればそれでいいということですか。

呉座 そう、幕府に仕える武士の権利が保護できればいいので、そこからさらに公家や寺社や民衆を管理するなんて面倒くさいことはやりたくなかった

出口 全国統治には興味がなかったんですね。

呉座 はい。そしてこれが、まさにモンゴルとの戦争を通じて転換していくわけです。モンゴルと戦うために、幕府は御家人ではない武士も動員して、挙国一致体制をつくっていかねばならなくなる。その過程で、幕府は全国を統治する存在であるという意識を強く持つようになるのです。

出口 しかし、その後また鎌倉幕府後期になると、得宗(とくそう:執権嫡流)一族は全国統治のことを忘れてしまっている感じがありますね。

呉座 幕府の中でも、路線対立がありました。結局、そこを整理してきちんと結論を出すことができないまま鎌倉幕府は滅んでしまいました。


つづく


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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