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「歴史」は面白い③

「歴史」は面白い①
 週刊文春17年11月2日号
「歴史」は面白い①
 同
 武士は、当初は武士の権利さえ保護できればそれでよかった。元寇で、朝廷があてにならず、挙国一致体制をつくらねばならなくなって、幕府が全国統治を意識するようになった、との指摘は面白い。
「歴史」は面白い③
 今日はマイカーの車検日。代車はホンダの新N-BOX。エンジン音は少しうるさいが良く出来ている。「ホンダセンシング」「ナビ」などほとんどあらゆる装備が付いていて180万円ほどだという。装備はレクサスなどとあまり変わらない。
「歴史」は面白い③
 トヨタのセンチュリーに乗ったことがあるが、横幅はともかく足元はセンチュリーよりゆったりしている。車は、軽の横幅をもう10㌢拡大し(1.58㍍)、エンジンを800ccほどにすれば必要十分。輸出も可能になる。いまの軽はガラパゴス状態。
 デジタルな代車からアナログのマイカーに戻ってホッとした。楽しい旅行からボロ家に戻って、「あーぁ、わが家がいちばん」と言うようなものか。
「歴史」は面白い③
 高松中央図書館の前のケヤキ。今頃が一番美しい。





 「歴史」は面白い③

 先日の続きです。

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 「建武の新政」が成功してたら


出口 室町幕府はそこの整理をどうつけたんでしょうか。

呉座 室町幕府は鎌倉幕府に比べると、最初から全国統治の志向が強い。それには京都に拠点を置いたことが大きく作用した面もあります。ただ、足利尊氏はたぶん、後醍醐天皇が政治をやって、自分は軍事・警察の責任者でいいと考えていたんじゃないかと。

出口 そのように見えますよね。

呉座 だけど結局それじゃうまくいかなくて、やはり武家政権をつくって、全国を統治する方向しかないということになった。結果を知っている現代の私たちからすると、武家政治こそが歴史の必然で、「建武の新政」という天皇中心の政治なんてうまくいくはずがないと思うでしょう。

出口 歴史の流れに対する反動に見えますよね。

呉座 そう。でも、それは結果論で、建武の新政がうまくいった可能性は十分あると私は思っています。日本においても中国や朝鮮のように文官優位の政治体制が確立されても、全然おかしくなかったんです。当時、尊氏が勝つと確信していた人は誰もいないわけで、尊氏自身も後醍醐天皇と何度も和解しようとしていますから。

出口 尊氏はずっと後醍醐天皇を尊敬していましたしね。後醍醐天皇がもう少ししっかりしてくれていたら、足利尊氏は「私たちは鎌倉に引っ越します」と言った可能性もあったわけですね。

呉座 あったと思います。尊氏は京都にいましたが、弟の直義(ただよし)は鎌倉を拠点に関東を支配していましたし。

出口 さて、中世の後は江戸幕府になったわけですが、他の可能性としてはどういう展開がありえたでしょうか。


 海外展開の可能性

呉座 鎖国しないで、海外に展開していく可能性もありました。豊臣政権下の日本は、世界でも有数の鉄砲保有国だったといわれていますから。

出口 銀も世界の三分の一の産出量があったと言われていますね。

呉座 実際、日本は海外進出をやりかけていました。秀吉がやった文禄・慶長の役(1592~98年)は、本来朝鮮を攻めることではなくて、その先の明を征服するのが目的でした。誇大妄想と評されますが、日本軍を撃退した明は1644年に満州族という北方民族によって滅ぼされています。それを考えると、秀吉の発想はそれほど突飛なものではなかった。


 「応仁の乱」で生まれた原風景

出口 確かに清を打ちたてた当時の満州族の人口と富と、石見(いわみ)銀山を持っていた日本の人口と富を比べたら、どうなっていたかは判りませんね。

呉座 やり方が下手で秀吉の試みは失敗しましたが、成功していたら、まったく違った日本になっていたかもしれません。

呉座 時代は少し下って、朱印船でタイへ渡った山田長政は、日本では別に有名な家の出でもないけれど、タイに行って陸軍の次官ぐらいの地位を得ましたね。普通の人でもそれだけの活力があったのだから、この時代にどんどん海外に進出していれば、今の東南アジアの華僑のように、和僑の世界ができていたという可能性も考えられますね。

呉座 実際、倭寇の活動もあったし、江戸時代が終わると日本人はどんどん移民で世界に出ていくわけですから、「日本人は閉鎖的で島国根性だ」とは言えないと思います。日本は村社会と言いますけれども、中世初期は散村といって、山間部にバラバラに離れて住んでいました。粗放的で、おのおのが適当にやっていたのです。それが、一つの地域に密集して、みんなで低湿地開発や用水管理をやる、農作業も共同でやる、侵略に備えて自治自衛するという、われわれが普通にイメージする村へと変わるのは、室町時代、とくに応仁の乱以降なんです。そうしないと生き残れないからそうなった。現在の村で、応仁の乱までさかのぼれる村が結構ありますが、実は鎌倉時代までさかのぼれるところはあんまりないのです。

出口 応仁の乱は一つの大きな転換期で、現在の日本の地方の原風景が出来上がってくる時期と考えたらいいんですね。それにしても、中世の日本にはたくさんの可能性があったと想像すると、すごく楽しい。これからの日本も、もう一度中世のような分権的な世界をつくって、可能性がいっぱいある社会を目指そうよ、と言いたくなりますね。
(構成・神長倉伸義さん)

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(感想・意見など)

 それにしても「歴史」は面白い。それもこれも中学・高校の歴史の授業がベースになっている。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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