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第一次世界大戦から学ぶ②

第一次世界大戦から学ぶ①
 週刊エコノミスト17年12月5日号
第一次世界大戦から学ぶ①
 板谷(いたや)敏彦さん著 (毎日新聞出版) 2160円。
 第一次世界大戦から戦争のフェーズが変わった。第一次大戦は、当初だれもがやりたがらず、誰もが短期間で収束すると思っていた。こんなオオゴトになるとは誰も思っていなかった。しかし、ボタンの掛け違いや、飛行機、戦車(タンク)、機関銃などの登場で、国民全体を巻き込む悲惨な総力戦になった。欧州では、「先の大戦」というと「第一次世界大戦」を指すことが多いという。
第一次世界大戦から学ぶ②
 香川大学幸町キャンパス北側のケヤキ並木。
 誰がこの大量の落ち葉を清掃するのかと思っていた。
第一次世界大戦から学ぶ②
 日曜の朝7時半か8時から、この地区の人たちがボランティアで清掃したに違いない。私も自治会長をするまで知らなかったが、世間のことはボランティア(無償奉仕)でなされていることが大変多い。公務員並みの報酬を払っていたのでは世の中は回っていかない。
第一次世界大戦から学ぶ②
 昨年度は自治会長としてコミュニティセンターに出入りすることが多かった。コミセンは左が市役所の出張所、右側がコミニュティ協議会事務局。
 左の市側は所長以下4~5人いてほとんどヒマそうにしている。正規職員だと@年間平均人件費は900万円以上。右側のコミ協は、連日何らかの行事があり、大勢の人が出入りしている。事務長で年間人件費は200万円強。公務員の4分の1弱。夜10時まで開いていて何人かの日直がいる(土曜日も)。これらの人は@時給800円~1000円程度。全く無償の人が一番多い。
第一次世界大戦から学ぶ②
 私は商店街で育ったし、転勤族だったので全く知らなかったが、地区の神社などは寄付と無償奉仕のかたまり。





  第一次世界大戦から学ぶ②


 続きです。


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 世界はなぜ戦争に突入したのか


出口 この戦い(第一次世界大戦)になぜ日本が参加したのでしょうか。

板谷 「中国問題」が大きいでしょう。日露戦争(1904~05年)後、日本はロシアから中国における権益を獲得しましたが、旅順・大連などの租借権は1923年まで、南満州鉄道は1939年までしかなく期間が短すぎて十分な投資ができませんでした。そこに中国から列強がいなくなったので、問題を解決するならば今だと思ってのでしょう。

出口 基本的に日本の参戦理由の本音は、日本政府が中国に突きつけた対華二十一カ条要求(1915年)に表れていると思います。

板谷 そうですね。二十一カ条の最後、問題になった第5号は民意に押されて仕方なく追加されたもので、日本も未熟な民主主義の影響から戦争に参加していったことが分かります。この5号は中国の主権や列強の既得権益に触れる内容を含む厚かましい要求で、当初秘匿していたこともあって後に世界中から非難を浴びることになりました。

出口 当時は、二十一カ条の要求のほかに、アジアと一緒に西欧に対抗していくんだという大アジア主義的な素朴なアジアナショナリズムもありましたね。

板谷 地中海への艦隊派遣に参加した片岡覚太郎という若い主計中尉の日記に「我々は黄色人種の代表だ」と書いてありました。心の底にそういう思いもあったでしょう。

出口 アジアに軸足を置くか、西欧列強に軸足を置くか、越えてはいけない一線を越えたのが対華二十一カ条要求でした。日本政府は自分たちは遅れてきた帝国主義者だと、列強の側に付いてしまったのです。

板谷 政治家の中には原敬や高橋是清、ジアーナリストの石橋湛山など強硬な要求に反対した要人も多くいたのですが、あの時、日本がアジア主義に立って中国を助ける側に回れば、今日の日中関係もまったく違うものになっていたでしょう。

 第一次大戦は人類初の総力戦(兵隊だけではなく国民全体を巻き込む戦争)と言われています。その総力戦を目撃してしまった衝撃は、特に軍人にとっては大きかったはずです。そして日本はソ連や米国と総力戦を戦うためには、中国の資源がないとやっていけないと、満洲事変(1931年)や日中戦争(1937年~45年)にひた走っていきました。

出口 しかし、日本は第一次大戦で総力戦を垣間見たかもしれませんが、しっかり学んだわけではありませんでした。1941年12月に太平洋戦争を始めましたが、日本の軍需生産は42年をピークにその後はガタガタに落ちていきました。一方、ドイツの軍需生産のピークは44年です。また第二次大戦における日本の戦死者は約230万人で、そのうち餓死者が6割と言われています。兵站(へいたん)をおろそかにした点ひとつをとっても、日本の軍部は総力戦の意味をしっかりと学んでいなかったことがわかります。

 外交面も日本はあまり学んでいません。第一次大戦の戦後処理を協議したパリ講和会議(1919年)で、日本政府は英語やフランス語を話せる人材を十分に確保できなかったためにアピールすることができず、国際連盟規約に人種差別撤廃規約を盛り込むという希望も果たせなかった。その苦い経験を後に生かせていません。

板谷 中華民国はパリ講和会議に米コロンビア大学の修士号を持つ顧維均(こいきん)を派遣し、対華二十一カ条要求は無効だと流ちょうな英語で演説させました。あれは欧米のメディアに鮮烈なイメージを残したと思います。この演説が非常に効果的だったために、日本は人種差別撤廃を求めながらも、中国や朝鮮に対しては差別する国だという印象を持たれてしまったわけです。

出口 明治時代の指導者たちは米国をはじめとした世界の強国に学ばなければならないという意識を強く持っていました。欧米に政権幹部の大半を派遣した岩倉使節団はその表れです。しかし、日清・日露戦争と第一次大戦がうまく行きすぎたため、舞い上がってしまい学ぶことを捨ててしまった。とても残念なことです。

 これは過去の話ではありません。現在、米国に留学する学生は、日本人は2万人以下なのに、中国人は33万人もいます。1人当たり国内生産(GDP)では日本が上回っているにもかかわらず、これだけ数字の開きがあるということは、それだけ中国は米国に学ぼうという意識が強いということです。日本人はもっと謙虚になって世界から学ぶ気持ちを持つ必要があると思います。


つづく


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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