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再録 「時代の空気」はつかみ難い


 2013年10月11日のブログ「『時代の空気』はつかみ難い」再録します。

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「時代の空気」はつかみ難い
 (朝日文庫)
再録 「時代の空気」はつかみ難い
 1968年 チェコ事件(プラハの春)
「時代の空気」はつかみ難い
 東ドイツの国民車トラバント





 昨日新聞を読んでいたら第一次大戦中フランスの首相を努めたジュルジュ・クレマンソーの言葉が載っていた。「18歳でマルクス主義者にならない者は劣等生だが、40歳過ぎてもマルクス主義者でいるのは愚か者でしかない」。この言葉は、現在50歳以下の人には分かりにくいかもしれない。確かにそういう時代があった。

 そういえば、『時代の風音』に同じようなことが書かれていた。抜粋してご紹介します。

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 「時代の空気」はつかみ難い


(注)
堀田善衛さん  1918(大正7)年生まれ
司馬遼太郎さん 1923(大正12)年〃
宮崎駿さん   1941(昭和16)年〃 


宮崎 私なんかは学生時代に書物で社会主義というものに触れて、これしかないんじゃないかなと思った時期がありました

堀田 生家が回船問屋をやっていました。子供のころから、ソビエトの船員がしょっちゅううちへ遊びに来ていました。どうしてもロシア人、ソビエト人というものと、ソビエト・ソーシャリズムというものが私の中で結びつかない。合わない。
 
 学生時代に、加藤周一君や中村真一郎君などと議論をしていて地中海社会主義というものがあることを知り、それが一つの救いでした。

司馬 私より堀田さんは5つ上ですから、『資本論』というものを少しは親身になって読まなきゃいけない、そういう青春期があったと思うのです(笑)。私はそれがまったくなくて、戦後を迎えた。京都大学担当の新聞記者だったものですから、いろんな先生たちや学生たちが真っ赤になっていくのを見ました
 
 それで彼らのだれといくら議論しても、勝ったことないですな。議論では負けました(笑)。コミュニストと議論して勝てる人はだれもいないです。大阪弁で「そんなこというたって」というところから本音がはじまるのですけれども、彼らコミュニストの議論はそういう具合になっていません。

 大正終わりから昭和になってから書かれた――歴史、あるいは社会科学的な自己や他人を観察する記述のほとんどが左翼か右翼かでした。真ん中なんか一つもなかった。だから、ただの人間とか、ただの社会とか、ただの日本とは何かということを自分で考えざるをえなかった。

司馬 桑原武夫さんのおめでたいことがあって、京都のホテルでパーティがありまして、老人が横へ座られました。この人は京都の私学の教授だった人です。昭和初年からずっと左翼でした。

 「桑原君はどうして左翼から免れえたんでしょう。ほぼ同時期に中学、高校、大学と行ったのですけども、私は若いときにもう左翼になりました」
 と、たいへんな後悔の口ぶりです。後悔してるったってその後もずっと左翼の運動の中には常にはいってるんですけどね(笑)。

 「私どもの世代は、あなたの世代にはおわかりにならないと思いますけども、左翼にならない人間というのは、つまり真心がないんだとさえ思われていました。それでいま後悔していますが、この桑原君はどうして左翼から免れえたか」という質問でした。

宮崎 どうしてでしょう。

司馬 そのころ『中央公論』の巻頭に、この人たちと同時代の東洋学者・宮崎市定博士という人が書いていました。
 自分が若いころは左翼の時代で、ほとんどの人が左翼になった。ただ自分がならなかったのは、大脳が身体の生理を支配することができないのと同じことだと書かれていました。

 つまり、いま胃袋を動かせといったって、胃袋は勝手に動いているし、大腸も、膵臓も勝手に動いている。それを全部命令でやろうとしたら内臓は死んでしまう。だからあれは間違いに違いないと思ったから自分は免れた、とお書きになっていました。

 昭和初年、多くの知識青年が左翼になったということを、後世の人たちはちょっと誤解すると私は思いますし、その理由がよくわからないでしょう現場の感覚というのはわかりませんでしょう。同世代でないと。

堀田 そりゃわからないですよ。


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(感想・意見など)

 私が大学に入ったころ(1970年頃)は学生運動はほぼ終息しかかっていた。堀田さんや司馬さんが育った大正中頃から昭和前期ほどではないが、周りに左翼の人は多かった。私はそれまで集団生活をしたことがなかったので、何十人という同年代の人たちの中に身を置いてみて、自分の程度を知りたかった。そこで1年半ほど大学の寮に入った。

 寮生の約7割は民青(みんせい:日本共産党の下部組織?青年組織)に所属していた。真面目な人が多かった。オルグされたりすることはなかったが、議論はした。私の反論は、司馬さんではないが、「そんなこというたって」である

 私は、ベルリンの壁に怒っていた。沢山の人が自由を求めて壁を越えようとして射殺された。周りはスパイだらけ、盗聴器だらけである。プラハの春を戦車で押しつぶしたチェコ事件(1968年)に、腹の底から怒っていた。クルマ好きで、東独の国民車トラバントのひどさを知っていた。ロケットや核兵器などに金と資源をかけるわりに民生品の貧しさ、何を買うにも行列行列の非効率に憤っていた。何よりも官僚制度の腐敗、堕落の極みを知っていた。具体的に魅力のある社会主義国は1カ国もなかった。20年先、30年先に今より良くなる可能性のある社会主義国は見当たらなかった

 具体例を挙げて反論すると、そのうち声がかからなくなった。

 なぜ日本はあの馬鹿げた戦争をしたのかを究明することが私のライフワークのひとつであるが、よくぶつかるのが、その時代の空気の分かりにくさである。また、同時代であっても、現場の空気は現場でなければ分からないという問題が常にある


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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