幕末のヒュッゲ名人…橘曙覧(たちばなのあけみ)
近ごろ朝日新聞がデンマークの幸福概念hygge(ヒュッゲ)を持ち上げ始めた。朝日はつい30年前までは、ソ連や中国や北朝鮮を持ち上げていた。今度は北欧らしい。ヒユッゲとは、「心地よさ」とか「くつろげる状態」「ほっこりした状態」らしいが、海外に例を探すまでもなく、日本の幕末にヒュッゲ名人がいた。橘 曙覧(たちばなのあけみ)である。
2013年1月17日のブログ「橘 曙覧」を再録します。
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徳島新聞13年1月13日

近ごろ、なぜか幕末の歌人橘 曙覧(たちばなのあけみ)について書いたものを目にすることが多い。私は歌にはうといが、大好きな歌人である。正岡子規も「万葉以後の歌人4人のうちのひとり」と絶賛している。
徳島新聞13年1月13日の「日曜コラム」に特別編集委員の岩木 敏久さんが、橘 曙覧について書いている。抜粋してご紹介します。
たのしみは…幕末の歌人に教えられ
〈たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどい 頭(かしら)ならべて 物をくふとき〉
幕末を生きた福井の歌人橘 曙覧(たちばなのあけみ)(1812~68年)の歌である。
「独楽吟(どくらくぎん)」と題された連作(52首)の中の一首で、どの歌も「たのしみは…」で始まり、「…する時」で終わる。家族のことや暮らしのあれこれを、思うままに詠んでいる。
曙覧は、今の福井市内にあった文具商(紙、筆、墨、薬などを商う)の家に生まれた。28歳の時、家業を異母弟に譲り、家を出て隠棲。国学と和歌を学んだ。
妻と男の子ども3人の5人家族。先に女の子ども3人を亡くしている。定職はなく、生活は貧しかったが、家族仲、夫婦仲は良かったようだ。こんな歌もある。
〈たのしみは 家内五人(やうちいつたり) 五(いつ)たりが 風だにひかで ありあへる時〉
〈たのしみは 機(はた)おりたてて 新しき ころもを縫(ぬ)ひて 妻(め)が着する時〉
150年後の今、家族がばらばらの時間に食事をする「個食」も珍しくない。だがやはり、家族みんなが健康で仲良く食卓を囲むことこそ、幸せの原点なのだ。
〈たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで 無かりし花の 咲ける見る時〉
1994年に訪米した天皇皇后両陛下の歓迎式典で、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチにこの一首を引用、曙覧とこの歌を一躍有名にした。
〈たのしみは あき米櫃(こめびつ)に 米いでき 今一月(ひとつき)は よしといふとき〉
〈たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき〉
曙覧54歳の時、福井藩主、松平春獄(しゅんがく)が曙覧のあばら家を訪れた。
春獄は、その家の粗末さ、汚さに驚く一方、机に積み上げられた書物の山を目にした。
かたちは貧しく見えるけれど、曙覧の心のみやびはまことに慕わしい。歌だけでなく、心のみやびを慕い学ばなければならない、と書き残している。さすが幕末の名君といわれた人物である。
春獄は、登城して古典の講義をするよう勧めたが、曙覧はこれを固辞。生涯、清貧に甘んじ、風雅の生活に喜びを見いだした。そんな曙覧が子どもに残した言葉は、
〈うそいふな ものほしがるな からだだわるな(なまけるなの意)〉
今の時代、「独楽吟」に教えられることが多そうだ。
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(感想・意見など)
トルストイの「アンナ・カレーニナ」冒頭の言葉を思い出す。「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」。
先のコラムで岩木さんが触れていなかったが私が最も好きな歌がある。
〈たのしみは まれに魚(うお)煮て 児等(こら)がみな うましうましと いひて食う時〉
先年亡くなられた歌人の河野 裕子(かわの・ゆうこ)さんにもよく似た好きな歌がある。
〈しっかりと 飯を食はせて 陽にあてし ふとんにくるみて 寝かす仕合せ〉
以上