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経営者、棺を蓋いて事定まる


 経営者、棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる


 私が就職して驚いたことのひとつは、所属する会社によってビールの銘柄が決まること。飲食店やホテルなども気を遣うという。私がいた会社は新興なのであまり厳しくはなかったが、例えば、三菱系だとキリン、三井系だとサッポロ、住友系だとアサヒとか。現在は、三井住友銀行とか、今後、三菱三井住友銀行ができるという噂もあり、昔ほどではなくなっていると思うが…。


 N電器のAさんから話を聞いたことがある。AさんはN電器に入社してあるNショップなどを担当した。そのNショップには小さな男の子がいた。特約店に可愛がられ、先輩諸氏の指導鞭撻で順調に出世し、何か所か転勤ののち営業所長として戻って来た。そのとき、Nショップの長男は高校生になっており、Aさんが口利きしてN電器が経営するN学園に入れた。Aさんはその後2か所ほど転勤して今度は支社の営業部長として戻って来た。Nショップの長男が結婚するということで仲人をしたという。一緒にゴルフもするし、夫婦喧嘩の仲裁をしたこともあるという。


 新製品の開発をしている人に話を聞いたことがある。下請け部品メーカーにはいつもコストと納期で面倒をかけているという。下請け部品メーカーの職人も、あの会社の言うことならなばと急ぎの仕事を徹夜で仕上げてくれたことが何度もあるという。下請け部品メーカーを二代目若社長が継ぐときも部員が相談に乗ったりもした。


 このような環境の中、何のしがらみもないカルロス・ゴーンさんは、ルノー副社長から日産社長になった。しがらみなしですべきことを聞いて回ったら、答は日産内部にあった。それをまとめたのが「日産リバイバルプラン(NRP)」である。それに基づいて、2万人以上のリストラ、5工場の閉鎖、取引メーカー半減、直営ディラー、営業所2割削減などを断行した。

 もちろん、自分が担当する前の期は法令の許す範囲で悪く化粧し、自分が担当した期は法令の許す範囲で良く化粧して「V字回復」を演出したと思われる。自分が担当する期は出来るだけ投資を絞れば、短期的には利益が出る長期的には問題がある。

  ゴーンさんがやったことは、日本人なら「裏切者」「恩知らず」「ひとでなし」と言われかねないこと。しかし、しがらみ、系列でガチガチになった日本社会に新風を吹き込んだことは間違いない。1人が切り開けば、それに続く人に対する風当たりはそれほどきつくない。そいいう意味では画期的であった。

 ゴーンさんは5年か10年で日産社長を辞めていれば日本に銅像が建った。しかし、現在の日本国内の日産を見ると、古い車ばかりで、ほとんど買いたいと思うような車がない。実際、かつてはトヨタと覇権を争っていたが、現在日本国内でのシェアは凋落して第5位。日産ルノー連合の利益の半分以上を稼ぎ、ルノーに貢いでいる。工場もフランスの失業率改善のため効率の悪いフランスに作っているし。

 ゴーン氏自身、非常に強欲であると思われ、馬脚が現れたようでガッカリ。グレゴリー・ケリー氏に関しては、ほとんど日本にいることがなく、ほかの取締役たちも何をしているか知らないという。ゴーン氏の私利私欲のために働いていたのではないかと思われる。会社を食い物にしているそのような人達が代表取締役とはビックリ!!

 それもこれも1980年代半ばごろからの日産の歴代の経営者や労組委員長に責任がある。彼らがまともな経営をしていたらこのようなことにはならなかった。

経営者、棺を蓋いて事定まる
 カルロス・ゴーン氏

経営者、棺を蓋いて事定まる
 例えば、1989年発売のソニーのハンディカムCCD‐TR55も画期的であった。
 浅野温子さんのCMもあり、爆発的に売れた。従来にない製品のため、他メーカーは何年も追いつけなかった。

経営者、棺を蓋いて事定まる
 
 あらゆることが画期的であったが、CCD(個体撮像素子)とスタミナハンディカムのスタミナのゆえんリチウムイオン電池が要素技術として重要。リチウムイオン電池事業は約1年前に村田製作所に売却したが、CCDは現在のイメージセンサーに発展している。世界シェアは5割を超え、ソニーの収益の柱となっている。今後の自動運転車に不可欠な技術。1970年代から莫大な投資をして開発した。

 旗を振ったのはソニー4代目社長となった岩間和夫で、1978年にCCDカメラの開発に成功したが、1982年に腸がんで亡くなったので、1989年のCCD-TR55の爆発的ヒットは見ることはなかった。岩間の墓石にはCCDチップが埋め込まれているという。

 ソニー創業者の井深大(まさる)、盛田昭夫、岩間和夫らにとって、自分の期に業績を上げるために未来への投資を絞るという発想など毫(ごう)もなかったと思われる。

 3代、4代前の社長が畑を耕し、種をまき、水や肥料を与え、その後の社長も水や肥料を与え続け環境を整え、その間会社自体が赤字になり食うや食わずでも将来のことを考えて、歯を食いしばってやり続けて、それでも枯れてしまうこともあるが、幸運にも3代、4代後の社長のときに実がなり、5代目の社長のときにやっと収穫できる、ということはよくある話である。


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 以下は、2013年11月21日のブログ「炭素繊維(Cbrbon fiber)」を再掲いたします。


炭素繊維
 日経新聞13年11月17日
 「視線は常に『50年後』」(⇚自分が経営者の間には実らない。実るのは恐らく自分が死んだのち。経営者、棺を蓋いて事定まる
 そういう意味では、アメリカ型の株価連動報酬などの短期的評価は疑問。

炭素繊維
炭素繊維




 
 炭素繊維は長い間〝夢の繊維〟といわれ、開発に40年、利益が出るまでに50年という気の遠くなるような経過を辿った事業である。

 日経新聞13年11月17日「ニッポンの製造業」に東レの事例が載っている。抜粋してご紹介します。

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 東レ 視線は常に「50年後」


 航空機向けなど最先端の炭素繊維でトップを走る東レ。新興メーカーとの競争の激しい低価格でも需要地で生産する体制を整え、世界で本格展開する段階に入る。ただ、ここに至る道のりは長かった。

 鉄に比べ4分の1の重さで強度が10倍の炭素繊維は、大阪工業技術試験所の進藤昭男博士が1961年に発明した日本発の技術東レは早くから技術者を派遣、71年に世界で初めて量産化したが、利益には結びつかなかった。

 釣りざおやゴルフクラブ向けの需要はあっても「研究に1400億円以上を費やし、ずっと赤字」(榊原定征会長)。そんな状況がある契約で一変する。

 2003年4月、米ボーイイングから「次の飛行機(787)は主翼も胴体も炭素繊維で作る。東レに任せたい」と告げられた。苦労が実った瞬間だった。

 当時、年7000㌧だった炭素繊維の生産量は12年に1万8000㌧まで増えた。11年3月期には黒字が定着売上高はボーイングだけで21年までに合計1兆円を見込む。


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(感想・意見など)

 日本は、昔から技術者・職人を大事にした。1543年に鉄砲が伝来し、日本人はすぐに同じものを作った。数十年後には世界一の鉄砲所有国になった。幕末には、ペリーだったかハリスだったかが予言している。日本人は数十年後にはわれわれの競争相手になるだろう、と。

 朝鮮(韓国)は、伝統的に技術者・職人を粗末にしてきた。朝鮮では体を動かすのは、奴婢がすること。北朝鮮のテレビ放送で〝将軍さま〟がエラソーに遠くのほうを指さして下々の者に指図している図柄がよく見られるが、あれこそ両班ヤンパン)のあるべき正しい姿だという。両班は日がな一日空理空論を闘わせる。極端な文民優位のため技術者が育たない。技術はすべて先進国からのパクリ。

 アメリカでは、「会社は株主のもの」という考えが強すぎるため、超長期の開発が許されない。米デュポンの役員が嘆いたという。「日本が羨ましい。アメリカでは赤字の垂れ流しを株主が許してくれない。短期志向にならざるを得ない」と。

 40年も50年も赤字を垂れ流す事業を断固として進める歴代の経営者も偉いが、長期志向の株主も偉い。おかげで炭素繊維のシェアは、東レ、帝人、三菱レイヨンで世界の7割を占める。次は、自動車のボディーへの応用である。着手から半世紀で、いよいよ夢が現実になる。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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