FC2ブログ

日本は未開の朝鮮を近代化した

日本は未開の朝鮮を近代化した
 産経新聞18年6月2日 「海峡を越えて 『朝のくに』ものがたり」

日本は未開の朝鮮を近代化した
 産経新聞18年6月2日
 日本統治時代に多数の発電所を作り、朝鮮を近代化した。

日本は未開の朝鮮を近代化した
 当時世界最大級の「水豊ダム」

日本は未開の朝鮮を近代化した
 1900年ごろまで古代同然であった朝鮮が、日本が統治したことにより急速に近代化し、人口が急激に増加した。

............................................................................................

日本は未開の朝鮮を近代化した
 2019年元旦は天候に恵まれた(峰山トンネル)。
日本は未開の朝鮮を近代化した
 近くの神社に初詣に行った。
 口笛を吹いたが、馴染みのたちは出てこなかった。人の出入りが多いからだろう。





日本は未開の朝鮮を近代化した


  1900年頃以前、500年以上続いた李氏朝鮮は全く発展せず、ほとんど古代同然であった。李氏朝鮮第26代王・高宗(こうそう)、その妃の閔妃(びんひ)、高宗の父・大院君(だいいんくん)の抗争が激しく、その後ろ盾として中国、ロシア、日本が巻き込まれた。

 日清戦争、日露戦争ともに、原因は朝鮮半島をめぐるものであった。日本は両戦争に勝利することにより、1910年韓国併合条約が調印され、日本は朝鮮半島を領有することになった。欧米諸国は東アジアの安定のためこれを歓迎した。日本は国家予算の2割以上を投入、朝鮮総督には首相級の人物を充て、朝鮮半島の近代化に努めた


 その一つの証(あかし)として、産経新聞2018年6月2日の「海峡を越えて」を抜粋してご紹介します。


........... ..........


  日本人が築いた発電所群
 「電力遺産」食い潰す北朝鮮


 衛星写真で今の朝鮮半島をとらえたら、「真っ黒」な北朝鮮「煌々と明るい」韓国の対比が、くっきりと表れる。

 2014年の発電設備容量は北朝鮮が約725万キロワットで韓国のわずか約7.8%でしかない(韓国産業銀行統計)。実際の総発電量で比べると、さらに減って韓国の4.3%にとどまる。


 ところが、日本統治時代の朝鮮北部は〝発電所銀座〟とでも呼びたくなるほどの「電力王国」だった。大正末期以降、日本人は、人が容易に立ち入れない急峻な山地に奥深く分け入り、赴戦江、長津江、虚川江といった川に、次々と巨大な水力発電所を建設していったからである。

 中でも、満洲国(現・中国東北部)と朝鮮の国境を流れる鴨緑江に水力発電用として建設された「水豊ダム」は、ケタ外れのスケールだった。高さ約106メートル、幅約900メートル、総貯水容量116億立法メートル、人造湖の表面積は、琵琶湖の約半分に相当した。

 昭和16(1941)年から電力供給を始めた水力発電所の発電機は、1基あたりの出力が、世界最高(当時)の10万キロワット。それが最終的に7基(最大出力計70万キロワット)備えられ、朝鮮と満洲国に供給された。

 水豊の巨大さは、当時の内地(日本)の水力発電所の規模と比べると、よく分かる。1発電所で出力が8万キロワットを超えるのは信濃川、千手、奥泉、黒部川第3の4カ所しかなかった。それが当時の朝鮮では、水豊のほかにも、虚川江第一、長津江第一、赴戦江第一など6カ所も完成していた。

 朝鮮北部の発電量は終戦時に計173万キロワット、工事中の発電所を加えると、300万キロワットを超える。発電コストは内地より安く、廉価な電力が、京城や平壌などの主要都市や、やはり朝鮮北部に建設された一大化学コンビナートの興南工場群に供給されていった。


 ■急伸した電灯普及率

 京城の電気事業は、日韓併合前の明治32(1899)年、李朝王家の保護下で米国人企業家がつくった漢城電気によって営業がスタートしている。だが、高額の電気代に加えて設備費も徴収されたため、契約者は京城約5万戸のうち、わずか493戸にすぎなかった。

 経営不振の同社の電気事業を、日本資本の日韓瓦斯(ガス)電気(のちに京城電気)が路面電車とともに買収し、一般家庭にも広く普及してゆく。

 昭和5年には京城とその周辺で、約9万5千戸、14年には約14万8千戸と急増。13年間で電灯普及率が約3倍に伸びた。

 朝鮮北部の「水力資源」に目をつけ、朝鮮総督府の許可を受けて、周囲には無謀とも思われた発電所群の建設に乗り出したのは日本の民間の経営者、技術者であった。日窒(にっちつ)コンツェルンの創始者、野口遵(したがう)や、久保田豊、森田一雄といった先駆的な技術者たちである。

 彼らの慧眼は〝逆転の発想〟というべきユニークなアイデアに表れていた。「西流する河川をせき止め、逆方向の東に向け日本海側へ落とす」という発想で、不可能と思われた巨大水力発電所を次々と建設していった。

 電力の用途も〝逆転〟だった。100万キロワット単位の電力は、当時の一般需要をカバーしてあまりある。そこで野口は昭和2年、朝鮮窒素肥料会社を設立、電力の活用先として、興南工場群を建設してゆく。


 ■発電所は今も稼働中

 野口らが建設した水豊ダムの発電所は今も稼働中だ。現在の出力は80万キロワット、北朝鮮発電の「主力」である水力発電所の中でも最大を誇り、供給電力は中国と折半している。発電機を製作した日本の重電メーカーが戦後も、保守・修理にあたっていたが、今は経済制裁のために、それも難しくなり、老朽化による稼働率の低下も見られるという。

 虚川江、長津江、赴戦江の発電所も「現役」だ。これら日本統治時代以外の水力発電所も、1960年代以前にソ連・東欧の支援で建設されたものが主で《設備は老朽化し、エネルギー管理技術も遅れている(略)1990年代半ばの大洪水により、水力発電設備の85%が損傷を受けたとみられる》(韓国産業銀行統計)という惨状だ。これでは北朝鮮が「電力遺産」を〝食い潰している〟といわれても仕方がない。

 朝鮮に戸籍を移してまでその近代化に尽くした野口は昭和19年、70歳で亡くなる。死後、寄付した全財産は、生涯をささげた化学研究と、朝鮮留学生のための奨学金に充てられた。  =敬称略  (文化部編集委員 喜多由浩さん)


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

最新記事
カレンダー
12 | 2019/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
リンク
カウンター