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『朝鮮属国史』★★★★★②

『朝鮮属国史』★★★★★①
 宇山 卓栄(うやま・たくえい)さん (扶桑社新書) 896円 ★★★★★
『朝鮮属国史』★★★★★②
 中華思想の概念図

 「中華」の周りに北狄(ほくてき)、東夷(とうい)、南蛮(なんばん)、西戎(せいじゅう)の「夷狄(いてき:野蛮人)」がいるとする。その思想からすると、コリアンは「東夷」に過ぎないが、自らは「小中華」と勝手に称し、日本は「東夷」だから自分たちより下だと考えている。コリアンの「反日」には、本来コリアンより下位のはずの日本が繁栄していることの僻(ひが)みがある。
  
 2015年1月19日のブログ「『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録」を見てください。コリアンの民族性、僻みがよく分かります。1764年頃(約255年前)の朝鮮通信使は、日本の都市の規模の大きさ、壮麗さ、女性の美しさ、水車の効率性などに驚くとともに、目いっぱい僻んでいる。

 また、「中華」とはいうが、例えば隋、唐は鮮卑(せんぴ)、はモンゴル、は満洲族と、「夷狄」の王朝である。

 またまた皮肉なことに、李氏朝鮮王朝の創始者の李成桂(太祖)は女真族(じょしんぞく)=満州族(=北狄)出身である。

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『朝鮮属国史』★★★★★②
 四国新聞19年2月23日

 鳩山由紀夫元首相。民主党政権の首相として沖縄・普天間基地移設問題で「最低でも県外」と発言して今に至る混乱の元をつくり出した。韓国・西大門刑務所跡地で土下座したり(何の効果もないどころかかえって馬鹿にされていることも分かっていない)、ロクなことをしない人
 
 無責任にアメリカを批判してオバマ大統領に面会を拒絶され、ワシントン・ポスト紙に「ルーピー(間抜け)な総理大臣」と評された。

 それでも、東大工学部卒、スタンフォード大学博士号取得、専修大学助教授という前歴からどこかは見どころのある人と思っていた。ところが、21日夜に北海道で発生した地震で「CCS(温暖化対策として二酸化炭素を地下に閉じ込める実験)による人災と呼ばざるを得ない」とツイッターで発信。理系でありながらこの非科学的な言動。先祖からの100億円の資産を持つただの馬鹿に過ぎないことを証明した。





 『朝鮮属国史』★★★★★②


 先日に続き、宇山卓栄(うやま・たくえい)さんの『朝鮮属国史』から適宜引用します。


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 (秀吉の)文禄・慶長の役で、明軍は日本軍と戦えば負けました。朝鮮も明軍の弱体ぶりを認識しましたが、それでも明に追従するのを止めません

 朝鮮は滅亡の危機を明に救ってもらったとして、崇明の念を新たにします。明軍が朝鮮で行ったことは略奪と強姦に過ぎませんでした。それを朝鮮は「再造の恩」(再び造られた恩の意)と呼び、変わらぬ忠誠を誓ったのです。

 「隷属の心理」に陥った者は自分が隷属していることの自覚さえなく、崇め奉る対象を失うことに恐怖さえ感じ、敢えて、そこから逃れようとはしません。

 当時の明王朝は最早、国家の体(てい)を成していませんでした。周辺各地の戦乱鎮圧で、多額の軍費を使い、財政は破綻していました。朝鮮が独立するには好機でしたが、「小中華思想」に基づく崇明に縛られ、独立という考えすら持つことはなかったのです。

 こうした意味において、思想というものの力はしばしば、数百万の軍隊以上であり、明は巧みにこれを利用し、朝鮮を操(あやつ)っていたのです。


 朝鮮は崇明に固執するあまり、情勢の変化に対応できず、朝鮮が夷狄(いてき:野蛮人)とする満洲人に屈辱を強いられ、朝鮮王は満洲人に土下座してひれ伏すことになります。


 (丁卯胡乱:ていぼうこらん、丙子胡乱:へいしこらんなどを通じて、朝鮮王)仁祖(インジョ)はホンタイジに降伏します。仁祖は漢江南岸の三田渡(サムジョンド)に出向き、ホンタイジに拝謁します。その際、「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」を強いられました。「三跪九叩頭の礼」とは、清王朝皇帝に対する臣下の礼です。

 土下座し、頭を地に打ち付け、「起(チー)」(の号令)で立ち上がります。その土下座行為が計3回繰り返されます。

 その後、三田渡の盟約が結ばれます。その主な内容は以下の通り。

・王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
・清が明を征服する時には、遅滞なく援軍を派遣すること
・城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること
・清に対して黄金100両、白銀1000両、朝鮮人美女、牛、馬、豚など各々3000などの20余種を毎年上納すること

                          『朝鮮王朝実録 仁祖実録』 より

 この他、50万の朝鮮人捕虜が満洲に連行され、強制労働させられました。まさに、清は朝鮮を「生かさず殺さず」飼い慣らし、搾取し続けます。

 こうして、朝鮮人はどれだけ懸命に働いても、全て奪われるという搾取構造の中に貶(おとし)められますが、それが当然、彼らの精神を長年にわたり、蝕(むしば)んでいったことは想像に難(かた)くありません。


 さらに、ホンタイジは朝鮮に「大清皇帝功徳碑」を建てさせ、清の寛大さを讃(たた)えさせます。この碑は大韓民国指定史跡第101号に登録されており、「恥辱碑」とも言われます。



 朝鮮を服従させた清は明に攻勢をかけていきます。明は防衛費調達のため、増税を実施し、民を苦しめたため、各地で反乱が勃発します。反乱軍の首領の李自成(り・じせい)は1644年、首都の北京を包囲し、明朝最後の皇帝崇禎帝(すうていてい:毅宗)を自殺に追いやりました。276年続いた明は滅亡しました。

 李自成は一時、皇帝を称しましたが、山海関を越えて侵攻した清に敗北します。清の天下がはじまります。


 明が滅亡したことにより、朝鮮の「小中華思想」は破綻と考えるのが普通ですが、朝鮮の儒学者たちは自分たちの都合の良いように、「小中華思想」を改竄し、それに固執しました。彼らは「中国の中華文明は明とともに滅びたが、朝鮮が中華文明の正統継承者にならなければならない」と主張します。

 朝鮮は中華文明に最も近い存在であり、明亡き後は、朝鮮のみが唯一の残された「華」であるという理屈を掲げ、夷狄の清は中華文明の後継者とは認められないとする自分勝手な解釈をしました。

 朝鮮は清に大量の物品を毎年、貢納させられました。その鬱憤晴らしに、自らを中華の後継者と称し、慰めを求めたのでしょう。


 この時代、清は朝鮮を無視していました。清は台湾やモンゴル、ウイグル、チベットなどを征服することに集中していました。朝鮮のような貧弱な土地に介入するメリットなど、清にとって、ほとんどなかったのです。ただし、貢納はキッチリと納めさせていました。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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