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先人に感謝

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日本はかなりマシな社会だ
 毎日新聞2017年1月24日
 
 西アフリカ・ガンビアのジャメ前大統領が亡命する際、10億円以上の政府資金を不正に持ち出し、「国庫はほぼ空」になった。
 チュニジアのベンアリ元大統領夫人は国外脱出の際、金塊1.5トンを持ち出した
 2014年ロシアに逃亡したウクライナのヤヌコビッチ前大統領も多額の政府資金を持ち出した

 以前、中国の温家宝前首相一族が、アメリカに二千数百億円もの資産を持っていると新聞が書いていた。現在の習近平主席一族の蓄財疑惑に関しても何回も報道されている。習主席自身は「トラもハエも叩く」と言っていたが…、中国にはこの種の話が非常に多い。

先人に感謝
 毎日新聞2019年5月6日

 腐敗進む「マンデラ党」 汚職次々支持離れ

 「アパルトヘイト(人種隔離)体制が打倒され、ネルソン・マンデラ氏(2013年死去)が初の黒人大統領に就任して25年。近年のアフリカ民族会議(ANC)は金権体質に染まり「マンデラ党」の現状に失望する支持者も増えている」

 この記事を読んでガッカリした。マンデラ氏に期待していたが、やはり南アも腐敗のためテイクオフできそうにない。こういう国・地域がたいへん多い。

 最近、最もガッカリしたのは『韓国・北朝鮮の悲劇』のパレスチナの部分

日本は朝鮮統治で間違いを犯した
 (WAC) ★★★★★
先人に感謝
 藤井厳喜(げんき)さんと古田博司(ひろし)さんの対談のパレスチナ部分を抜粋します。

藤井 パレスチナ自治政府の幹部はひどい人が多い。PLO(パレスチナ解放機構)議長で、パレスチナ自治政府の代表となったアラファトが死んだとき、何百億円という彼の資産がスイス銀行にあった世界中から集まってくる支援金をポケットに入れていたわけです。幹部はそんな輩が多いようです。難民キャンプで働いている人は一人もいないのではないですか。働くどころか、ベンツに乗る金持ちが大勢いる。アラブ諸国から寄せられる金の上前をはねて生きている人たちが多くて、本当に堕落しています。パレスチナ人には同情するけれど、ちゃんとしたリーダーがいないという意味ではしょうがない。

古田 アラファトさんはベイルートかアレクサンドリアか、カイロに家と土地持っていて、スイスの銀行どころかフランス人のお妾さんにも財産を持たせていたそうですね。



 19世紀には、世界中が欧米の植民地になる中、日本とタイだけは植民地にならずに済んだ。それほど腐敗しなかった先人たちのお陰である。


 以下に、2013年10月9日のブログ「幕末の一風景」を再録します。

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幕末の一風景
 産経2013年7月4日
幕末の一風景
 老中・阿部正弘
幕末の一風景
 トーマス・グラバー
幕末の一風景
 グラバー邸
幕末の一風景
(講談社学術文庫版)




 歴史は面白いが、特に幕末は汲めども尽きぬ面白さがある。産経新聞「次代への名言」欄、文化部編集委員・関厚夫さんのコラムから抜粋してご紹介します。


 ★2013年6月25日掲載

 徳川幕府は「黒船来航」の1853年以降、日米和親条約を皮切りに、「安政五カ国条約」と呼ばれる通商条約を欧米各国と結んだ。新設の外国奉行として、一連の交渉にあたった永井尚之なおゆき)は往時をこう述懐している。

 「当時は、外国の事情を知る人も少なく、幕吏などはほとんど知らないぐらいだった。ゆえに条約の原案はわが方では作ることができず、みな先方が作り出したものだ。深くその利害を討究することも難しく、ただ差し出された原案の条項を削るのみ。予なども今日は批判を免れることはできないが、当時の情勢を考えると、よく出来たつもりである」

 永井は「出色」とされた幕閣なのだがそれがこの調子である。徳川幕府が倒れるもやむなし、の観がある。

 また永井によると、「当時の老中で自分の意見のある人は少ない。みな奥祐筆などに頼っていた。が、阿部正弘候だけは自分の意見を述べた。他の老中はそれを黙して聞くだけ。可否もなかった」

 14年にわたって幕府老中を努めた開明派の阿部は「収拾の偉才」と呼ばれた幕末動乱の原因の一つは、阿部が、朝幕間で無類の調整力の本領を発揮することなく、1857年、37歳で急死したことである。


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(感想・意見など)

 勝海舟の「氷川清話」を読むと、幕府の重臣(軍艦奉行)である勝が、初対面の薩摩藩の西郷隆盛に、幕府の腐敗しきった内情を暴露し、雄藩の手で政治を一新すべきだと説いた背景がよく分かる。世界情勢をよく知る勝にとっては、幕府より日本をなんとかしなければという気持ちが強かったと思われる。


*     *     *     *   
 

 
  ★2013年7月3日及び4日掲載

 トーマス・グラバーは、英国スコットランド生まれ。1859年21歳で来日。彼が長崎に興したグラバー商会は、薩摩藩や長州藩を中心に、西南雄藩に艦船や武器などを調達し、長崎最大の貿易商となった。

 長崎・小菅修船場や肥前・高島炭坑の設立にも参画した。しかし、戊辰戦争後、軍事品に対する需要がしぼんだこと、高島炭坑の赤字などが積み重なり、明治3(1870)年破産

 しかし、愛する日本にとどまり続けた。三菱の顧問として国際化やキリンビールの前身の設立に尽力し、明治41年、勲二等旭日賞を授与され、3年後73歳で死去。ゆかりの深い長崎の国際墓地に葬られた(日本人の夫人との間で子をなし、子孫が現存していると思われる)。

 「私は金もうけ主義と世間では見られましたが、ただ単にそれだけではない。徳川政府に対する反逆者のなかでは、自分が最大の者だと思っていました」
 彼はそう述懐している。


 グラバーは長崎最大の貿易商であると同時に、志士でもあった。危険を承知で〝お尋ね者〟の長州藩志士を自邸にかくまい、対幕府戦用の武器を用立てた。

 駐日英国公使、パークスと薩長両藩の首脳の会見実現に尽力した。その結果、パークスは幕府よりも薩長を「貴」とし、維新への道が定まることになる。

 グラバーは、西日本の雄藩・大藩のほとんどすべてを相手にした。維新後、彼は誇りをこめて述懐している。

 「幕末に長州、薩摩、肥後、肥前、宇和島の各藩とは何十万、何百万両の取引をしたが、賄賂は一銭も使わなかった。これは、賄賂をふところに入れるような武士は一、二の例外を除いて一人もおらず、みな高潔かつ清廉であったためで、賄賂をしたくともできなかった。このことはぜひ特筆大書して後世に伝えていただきたい


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(感想・意見など)

 再び勝海舟の「氷川清話」から

 「おれもこの財政の事では、これまで心配したの、しないの、といふ段ではない幕府の末年は、まるで今の朝鮮さ。金はない、力は弱い、人心は離反して居る、その隙を見込んで外国の奴らが付け込んで来るといふ風で、なかにもオロシアは、前々から銭を貸そう貸そうといって、おれが局に立った時にも、箱館に居た公使が、実にうるさく言って来た

 「一時凌ぎに外国から金を借りるといふことは、たとへ死んでもやるまいと決心した。……もし一歩誤れば、何千万人といふものが、子々孫々までも大変なことになってしまふのだ。それでおれが局に立っている間は、手の届く限りはどこまでも借金政略を拒み通した」…(中国の「一帯一路」を思い出させる)。


 ほとんどの国が、国を売る収賄、腐敗行為のためテイクオフ(離陸)できないでいる。先祖の清廉さ、高潔さに感謝のほかない


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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