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『日本建築の自画像展』に行ってきた


 『日本建築の自画像展』に行ってきた

『日本建築の自画像展』に行ってきた
 
 『日本建築の自画像展』が12月15日までなので香川県立ミュージアムに行ってきた。
 私は舐めていた。1時間もあれば見れるだろうと。内容が充実していて2時間かかった。
 講演もあったが、それはパスした(12月14日・土には建築家三分一博志さんによる講演がある)。

『日本建築の自画像展』に行ってきた
 『日本建築の自画像展』ポスター

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 わたしが建築に興味を持ったのは、丹下健三によるこの香川県庁舎の影響が大きい。当時の金子正則知事の友人である画家・猪熊弦一郎、、インテリアデザイナーの剣持勇などが関わった非常に贅沢な建物で、モダニズム建築20選に選ばれている。

 小学校が近かったので、この庭やエントランスなどで遊んだ。現在は耐震工事中。私は同じく丹下健三設計の県立体育館は(費用の面で)残すべきではないと考えているが、この県庁東館は多少費用をかけても百年以上残すべきだと思っている。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 現在の香川県庁舎の模型(模型などは撮影可だった)。十数階の本館ができて、従来の県庁舎は東館となった(本当にこれだけの建物が必要だったのか?口の悪い人は近くの高松市庁舎より高くしたかっただけじゃないかと言う)。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 五色台にある瀬戸内海歴史民俗資料館。私は3回ほど行った。
 設計者は、驚くなかれ山本忠司(ただし)という香川県職員。ヘルシンキオリンピックに三段跳びの選手としても出場している。丹下健三、猪熊弦一郎、イサム・ノグチ、流正之、ジュージ・ナカシマ、大江宏、芦原義信、大高正人、浅田孝ら著名な芸術家、建築家らと仕事をしている。

 デザイン知事と言われた金子正則知事の時代で、日本自体が右肩上りの時代だったからこれだけの建物が作れたと思われる。現在では無理。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 坂出人工土地の模型。浅田孝、大高正人、山本忠司らが関わっている。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
1882(明治15)年の高松市街地。高松(玉藻)城から紫雲山を望んだ写真。立派なものである。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 建築家・藤森照信さん手書きの「日本建築系統樹」。縄文~現代まで。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 建物の基本。丸太とツルと茅(かや)か稲わらなどがあれば雨露はしのげる。
 こうの史代さんの漫画「この世界の片隅に」にも描かれているそうであるが、空襲後、呉市にはすぐに三角式応急住宅がたくさんできたそうである。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 伊勢神宮内宮正殿模型。上記丸太三角家の発展形と見えなくもない。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 過疎化の進んだ高知県土佐山田町佐岡地区の金峯神社はこのような形だという。数戸になればあり得る。

香川県立ミュージアムに行ってきた。
 思いのほか内容があったので図録を購入した。370ページほどある。2800円。




 新国立競技場や高輪ゲートウェイ駅などを設計した隈研吾さんは、高知県梼原(ゆすはら)町とかかわって以来、木材などの自然素材を多用するようになった。

 わたしはずっと建築雑誌『新建築』を毎月読んでいるが、隈研吾さんに限らず、木材を多用する建築が増えているように感じている。戦後、山に植林した木材が建築用に使えるようになってきたこと、山の手入れのためにも順次出荷する必要があること、山村に仕事を生み出す必要があること、自然素材が人にやさしいこと、などが考えられるが、科学的に問題なければ、いいことだと思っている。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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