豪商・淀屋の謎

豪商・淀屋の謎 読売14年11月12日
豪商・淀屋の謎
 大阪・土佐堀川に架かる淀屋橋





 豪商・淀屋の謎


 時代小説を読むと、よく大阪の豪商・淀屋の話が出てくる。「天下の台所」の基礎を築いた豪商であること、私財を投じて淀屋橋を架けたこと、5代目の時に幕府に贅沢をとがめられて闕所処分けっしょしょぶん)を受けたことなどはよく知られている。

 私はそのうち淀屋に関するまとまった本を読みたいと思っている。しかし、資料はあまり残っていないらしい。
 読売新聞11月12日に「淀屋研究会」の話が載っていた。それによると、再興された淀屋が幕末の倒幕資金を朝廷に提供した可能性があるという。抜粋してご紹介します。



 豪商・淀屋 倒幕を援助
 研究会 実像迫り来年10年
 莫大な資産 流れ追う ■ 処分や再興 多くの謎

 
 「天下の台所」と呼ばれた近世大阪の繁栄の礎を築いた豪商・淀屋は、江戸幕府によって財産を没収され、半世紀余りを経て暖簾(のれん)が復活するものの、再び姿を消す。淀屋の顕彰と調査・研究をしている民間グループ「淀屋研究会」(毛利信二代表)は来年、設立10周年を迎える。限られた資料を頼りに、謎に包まれた淀屋の実像に迫る取り組みが続く。   (編集委員 関口和哉さん)


  近世大阪 繁栄の礎

 「淀屋橋」にその名を残す淀屋は、中之島を開発し、青物市場海産物市場を開設、米市場で先物取引も行った。金融業も営み、大名への貸付金の総額は1億貫(現在の価値で約100兆円)に上ったという説もある。

 だが、1705年、5代目の時に幕府からぜいたくをとがめられて闕所処分を受け、全財産を没収、所払い(立ち退き処分)となった。

 4代・重当は、この事態を予見したのか、現在の鳥取県倉吉市出身の番頭・牧田仁右衛門に暖簾分けし、故郷で「牧田淀屋」を開かせた。この子孫が淀屋清兵衛を名乗り、1763年、元の場所で大阪淀屋を再興する。


 1979年、倉吉市の大蓮寺境内で確認された墓碑や逗子(ずし)、牧田家の系図などから、淀屋再興の経緯が判明。これを受け、2005年、倉吉市大阪事務所長だった伊藤博章さんが淀屋研究会を設立、翌年大阪市内のギャラリーなどで展覧会を開催し、図録も作成した。


  「維新の財源」説も

 図録によると、「再興した淀屋は1859年、大阪と倉吉の店を閉鎖、資金を朝廷に献じた」という。この説明を基に、淀屋の資金の流れについて、新説も出始めた。長谷川晃・大阪大名誉教授は、「資金は岩倉具視に託され、倒幕に使われた」とし、「明治維新の莫大な財源はどこから来たのか。状況証拠から、幕府に遺恨のあった淀屋が用意したと考えるとつじつまが合う」と説く。

 とはいえ、淀屋の全貌を明らかにするような文献記録はほとんどなく、①淀屋が闕所処分を受けた真の理由と総資産②なぜ大阪に再興できたか③再興した大阪淀屋の存続期間④幕末、本当に資産を朝廷に献じたのか――など多くの謎が残されている。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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