ものづくりニッポン

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 「江戸の備忘録」磯田道史さん(文春文庫)





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 1429年第一回朝鮮通信使は、日本を訪れ、揚水水車を農民が作り運用しているのに驚き、部下の学生にその模型まで作らせ祖国に報告した。しかし、朝鮮はその後1908年に日本が導入するまで何百年間も揚水水車を作ることはできなかった。朝鮮・中国の社会では、労働は奴隷のする卑しい仕事であり、ものづくりの喜びとか職人魂とかは生まれようがなかった。

 1543年、種子島恵時・時尭親子は漂着したポルトガル人から2千両で2挺の鉄砲を購入し、刀鍛冶の八板金兵衛に鉄砲の製造を命じた。金兵衛はほとんで自製できたが最後の1点だけ分からなかった。娘若狭を嫁がせ「銃床をネジでふさぐ」方法を教わった。

 その約30年後の1575年、織田信長は長篠の戦いで鉄砲を多用し、武田勝頼軍を破った。恐らく、この時点で日本は、世界最大の鉄砲生産国(滋賀県・国友、大阪府・堺など)になっていた。


 磯田道史(みちふみさんの『江戸の備忘録』にはご紹介したい話が満載であるが、ものづくりニッポンという観点から「幕末の発明王・からくり儀右衛門」を抜粋して以下にご紹介します。


 幕末・明治の日本人はたいしたものである。たちまち西洋の科学技術を自家薬籠中のものにした。その基礎には、江戸時代の寺子屋教育があった。

 幕末、九州の久留米に変わった男の子がいた。鼈甲細工屋の長男で、名前は儀右衛門といった。9歳の彼には悩みがあった。江戸時代の寺子屋は無法地帯で、油断すると、悪い子に筆や墨を盗まれた。

 儀右衛門君は考えた。「そうだ!盗まれない筆箱・硯箱を作ればいい」。すぐに工作を始めた。小刀で木を削り、無心に、何かを作っている。

 儀右衛門君が作った硯箱を見て、人々は驚いた。「一見、幼児の作にあらず」。硯箱には、つまみがついていて、それをちょっとひねると、誰も硯箱を開けることができなくなる。驚いたことに、9歳のこの子供は、現代の金庫の鍵構造と同じものを独自に作ってしまった。

 実は、この儀右衛門君、成長するに及んで、次々と奇想天外な発明をし、日本の技術産業の発展のもとを築いてしまう。


 江戸時代は身分の違いがあって窮屈な時代にように思われるけれども、まことに彩りゆたかな時代であった。また、道楽というなんとも、心ゆたかな言葉があって、一見、無駄にみえるものに寛容であった。だから、儀右衛門君が朝から晩まで図面をにらみ小刀をもてあそんでいても、親たちは叱りもせず、熱中している儀右衛門のかたわらにそっと飯をおいて、あたたかく見守った。

 そうして出来上がった発明は驚くべきものであった。15歳のときには、地元の特産・久留米絣に複雑な模様をつける方法をあみだした。ところが儀右衛門は愉快だ。そのせっかく、あみ出した方法で金もうけをしようとしなかった。惜しげもなく近所の織物業者に教えた。織物屋は大もうけをしたが、欲のない儀右衛門は、一銭も受け取らず、金がないまま、発明部屋にこもって出てこなかったという。

 親も偉い。はじめは儀右衛門に「家業を継げ」と迫ったが、その作品を見るうちに何かを悟ったのか、<お前は十分にやってみよ、家の事は一切無頓着で宜しい>とぽつりと言った。この親の一言が、儀右衛門の才能を花開かせ、この国の未来をも開くきっかけになる。


 江戸時代は不思議な時代で、現代社会にあるものはなんでもあった。ただ、石油石炭をエネルギーにした動力機関だけがない。だから、江戸人に、蒸気機関やエンジンさえ与えれば、あっという間に、西洋近代と同じ社会をつくれた。明治になって、日本が急速に近代化ができた秘密は、実は、ここにある。

 儀右衛門は16の歳から水力機関の研究をはじめた。小野小町の人形が傘をさし、その傘から雨が滴り続ける機械仕掛けを作った。それだけではない。水を動力として、人形をロボットのように自由に活動させる複雑な仕掛けを開発した。

 儀右衛門の発想と技術は、群を抜いていたが、天才すぎて、江戸時代の人には理解できなかった。そこで儀右衛門は研究費を稼ぐために、からくり人形を作り、見せ物興行をして糊口をしのぐしかなかった。一番うけたのは「文字書き人形」である。ひじから動いて文字を書く人形は欧州にあったが、肩から動き文字を書く。こんな人形は世界唯一である。

 そうこうしているうちに、この儀右衛門の才能に注目した藩があった。佐賀藩である。佐賀藩は長崎の警備を担ったことから薩摩藩とならんで、日本中のあらゆる藩のなかでもっとも西洋技術に通暁した藩であった。さすがに、この藩は儀右衛門の価値がわかった。

 佐賀藩は西洋の蒸気機関を作れと命じ、なんと儀右衛門は作ってしまう。そればかりか、蒸気船、アームストロング砲、自転車。儀右衛門の手にかかると、すべて国産化された。驚くべき才能である。そのうち明治維新となり、新政府は儀右衛門に「通信用の電信機を作れ」と命じ、これも作ってしまう。からくり儀右衛門の細工部屋は、いつのまにか電気機械の工場となり、これが今の「東芝」のもとになるのである。


以上


 

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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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