『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録

『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録
 『日東壮遊歌 ハングルでつづる朝鮮通信使の記録』
『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録
 朝鮮通信使経路
『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録
 朝鮮通信使
『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録
 揚水水車
『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録
 広重・東海道五十三次・品川
『日東壮遊歌』朝鮮通信使の記録
 120年くらい前の首都ソウル




 『日東壮遊歌』 朝鮮通信使の記録

 
 15年1月6日のブログ「ものづくりニッポン」で少し1429年の第1回朝鮮通信使について書いた。この度、朝鮮通信使について書いた本を読みたくて、宮脇書店に何冊か注文した。

 そのうち、『日東壮遊歌 ハングルでつづる朝鮮通信使の記録』 金 仁謙(高島淑郎さん他訳)(平凡社)は、出版社にもなく、ネットで古本を探したがこれもなく、図書館で借りた。

 この本は、江戸時代に12回に及ぶ通信使のうち、第11回目(1763年~1764年)、第十代将軍家治の襲職祝いを目的とした通信使総員484名の内の書記(日本儒者との詩文応酬担当)金 仁謙さんが、自分の体験を子孫に伝えようとして書いたものである。だから率直である。朝鮮社会、朝鮮人の考え方がよく分かる。このとき金さんは57歳。現在の70歳以上に相当すると思われる。

 金さんはかなり偏屈である。旅の最初のほうは、ソウルから釜山まで何泊も妓生(キーセン)や茶母(茶や酒を給仕したり官吏の身の回りの世話をする官婢)の同衾を拒否したり、日本で贈り物の受け取りを拒否したり。将軍家治との謁見の機会を「一介の文士である私としては犬にも等しい(直訳すると、犬の陰茎のような)倭人に拝礼するのは苦痛です。どうあっても行けません」と拒否したり。

 秀吉の文禄・慶長の役の恨み(これは確実、文中で明言)と華夷秩序に凝り固まっているのか。250年後の今のコリアとあまり変わらない

 妓生や茶母など官吏の性接待が当たり前(北朝鮮の歓び組が伝統を引き継いでいる)だったり、奴婢は家畜と同様にやり取りしたり(文中で気に入った妓生や茶母をねだる場面が数回出てくる)、両班(貴族階級)はこん棒叩きなどの刑罰を自分の代わりに従僕に受けさせることができたり、ロクでもない社会であった。

 釜山から6隻の船(内3隻は荷船)に分乗、対馬、壱岐経由で赤間関(下関)から瀬戸内海に入ったが、その間何回か舵棒が折れたり、舵が流されたりして、まともな職人が育っていないことを窺わせる。

 天候不順、副船の難破、自殺や病気で3人が死亡、帰路大坂で随行員の1人が対馬藩士に殺害(鏡の紛失を咎め随行員が対馬藩士を打擲した恨みとも朝鮮人参の取引に起因するとも)されるなど、波乱続きの旅であった。


 しかし、大坂、京都、名古屋、江戸の街々の規模、豪壮さ、繁華さ(瓦葺や銅ふきの屋根、一辺千間もある邸)に感嘆しきりで、女性の美しいことにも驚いている。

 大坂にて… 「本願寺に向かう 道の両側には 人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は 我が国の鍾路(ソウルの繁華街)の 万倍も上である」

 「北京を見たという訳官が 一行に加わっているが かの中原(ちゅうげん:中国)の壮麗さも この地に及ばないという」

 京都にて… 「倭王の居所というから その贅沢ははかり難いところである 山の姿は勇壮 河は野をめぐって流れ 沃野千里を成しているが 惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池(きんじょうとうち)が 倭人の所有するところとなり 帝(みかど)だ皇(すめら)だと称し 子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し 四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ

 名古屋にて… 「その豪華壮麗なこと 大坂城とかわりない 山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 沿路随一といえる 中原にも見当たらないであろう」

 「人々の容姿のすぐれていることも 沿路隋一である わけても女人が 皆とびぬけて美しい


 富士山、箱根の芦ノ湖、美保の松原などを絶賛している。

 品川→江戸… 「左側には家が連なり 右側は大海に望む 見渡す限り山はなく 沃野千里をなしている 楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい男女の華やかさ 城壁の整然たる様 橋や舟にいたるまで 大坂城、西京(京都)より 三倍は勝って見える


 大坂から京都に行く途中のにて… 「河の中に水車を設け 河の水を溝へ流し込み 城内に引き入れている その仕組みの巧妙さ 見習って造りたいくらいだ
 「人の手も借りず 高い城壁を 水が超えてゆくのである 城内のすべての人々が この水を飲み 不足することがないというから まことに感嘆の極みである

 帰路の三島でも、川の中の水車を子細に観察して感心している。朝鮮通信使は、何度も日本の揚水水車に注目し、本国に報告しているが、何百年間もついに自製することはかなわなかった船の舵の件といい、水車の件といい、朝鮮社会に問題があったことは明らかである


 金さんは無事ソウルに帰りつき、の「彼の国へ行き 彼の文人に接してみて 怖るべしと思ったか劣れりと思ったか」との御下問に対し、

 「文才秀れた者も 中には居りましたが 詩律は出鱈目であり 作る術を知らないようでございました

  「そなたがこの度の詩作 その数いかほどになったか」

 「四文士それぞれに詩作の数はほぼ同じと存じますが 全部合わせますれば 数千首を数えるでございましょう」

  「さすがじゃ、たいした数よのう 国を辱めることなしと 天晴れ見事なことであった」


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(感想・意見など)

 詩文についてはそうかもしれんが、他のあらゆることで劣ってるやないか。日本でいえば奈良時代のまま。コリアの本質は、その後250年経ってもほとんど変わっていない。ナッツ姫が生まれるわけや。物事は真っ直ぐ正しく見ないと。嘘やファンタジーや嫉妬はあかんで。


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 以下に、13年9月16日ブログ「韓国よ『歴史の真実』にめざめよ」の最終部分を再録します。

 『時代の風音』 堀田善衛さん、司馬遼太郎さん、宮崎駿さん(朝日文庫)から


司馬: 私など李朝時代をみると、いくら儒教いにしえを尚とうとぶことが大原則であったとしても、日本の奈良朝を懸命に二十世紀までつづけてきたような印象があります。停頓こそ正義だったのです。

 
 司馬: 朱子学というのは、要するに空理空論なんです。極端に自己賛美主義(中華思想)でもある。李朝の五百年間、その弊害を受けました


 司馬: 韓国は鉄を作るため木を取りつくした。韓国は、表土が浅いため復元力がありませんから、そのまんま岩山になった。

 宮崎: 岩山になったことをすべて秀吉のせいにしてますけど。

 司馬: (日本は緑の復元力が強いので)秀吉はこんなところまで木を切りにくることないんだと言ったのですが。
 あそこは事実よりも、ちょっと非事実をまぜることが好きなようですね


 堀田: それで、「恨(ハン)五千年」なんていう歌をうたってる。

 司馬: 漢の楽浪郡もなかった、玄菟郡げんとぐん)もなかったということになっている。

 (注:この件で中国ともめ、任那(みまな)日本府はなかったといって日本ともめている



以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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