江戸時代の品川

江戸時代の品川 907円
江戸時代の品川 品川
江戸時代の品川 品川
江戸時代の品川
 品川・御殿山は桜の名所
江戸時代の品川 吉原
江戸時代の品川 吉原





 江戸時代の品川


 私にとって品川は馴染みのある街である。しかし、江戸時代に関する本を読んでいて、現在の品川とどうしても結びつかない。特に近年、品川周辺は変貌し続けている。

 1763年に来日した朝鮮通信使の一員が書いた『日東壮遊歌』にっとうそうゆうか)にはこのように書かれている。

 「六郷川(多摩川)を渡ると このあたりから集落が 途切れることなく続く。これより一里余り 今日の泊りは品川であるが 一方は茫々と野が広がり 一方は海に臨んでいる。武蔵の国に属すといい 行き交う舟も立派である


 『百万都市 江戸の生活』 北原 進さん(角川ソフィア文庫)には以下のように書かれている。抜粋してご紹介します。


 「品川の海は遠浅です」。街道に面して店を開き、裏は遠浅の海に向かって部屋を並べ、砂浜に降りる梯子段や桟橋が続いている。こうした形の旅籠屋が百軒近くも並んで、毎夜嬌声が続くのが、キタの吉原と並んでミナミと略称された東海道第一宿、品川の遊郭街であった。

 江戸公認の遊郭は吉原だけで、正規に遊女と呼ばれる人々は、ここにしかいない。ほかは公然であっても、表向きは非公認であり、そのむきの女性は飯盛女めしもりおんな)と呼ばれた。品川、深川など、規模や格式を誇った所でも、その例にもれない。

 ただ通常の宿場ならば、数件の旅籠屋のみ2人の飯盛女を置くことが認められたが、品川は特別多く、北品川・南品川・徒歩新宿の三町あわせて、5百人まで認められていた。

 しかし需要が高くなると、こうした数はいちおうの目安にすぎなくなり、どこでも次第に増加していく傾向があった。


 天保15(1844)年正月23日、品川宿の旅籠屋に、見なれない旅人風の男が1軒に2,3人ずつ泊まった。旅人風の男たちは、いずれも関八州取締り出役かんはっしゅうとりしまりでやく)の下役人たちであった。起き抜けで、それぞれの宿の帳場に押しかけて、玉帳(ぎょくちょう:宿帳)を見せろという。飯盛女の人数やぜいたくのお手入れだ、とわかったときには宿場の出口・裏口すべてふさがれていた。

 捕えられた女は1348人、旅籠屋の主人94人、宿役人が27人であった。ざっと1500人も道中奉行跡部能登守(どうちゅうぶぎょう・あとべのとのかみ)の役所に連行された。取り調べといっても、想定以上の飯盛女を抱えて、ぜいたくさと物価高騰の原因をつくっていたことに対する事情聴取である。夜に入って一同に弁当が出され、お奉行様のあたたかい御配慮と喜んで、間もなく全員品川に戻ることを許された。

 驚いたのは、奉行所近くの宿屋である。1500人もの逮捕者が数日の吟味を受けるとあて込んで、貸しぶとんやら炭・薪・飯米まで仕入れて待っていたら、誰一人としてやって来ない。すっかり大損してしまった。

 期待外れは品川宿の連中もそうであった。奉行所のおごりとばかり思って、感謝していただいた夕弁当は、翌日出前の弁当屋から15両の勘定書が届いた。品川宿では全員人数割りをして、弁当代を旅籠屋から集めて支払った。

 七日ほどたって、判決が申し渡された。旅籠屋は1軒につき五百文ずつの過料、宿役人らは名主・問屋が三貫文の過料(注)、年寄・組頭たちもきびしくお叱りを受けた。飯盛女1348人に対しても、「きっと(きびしく)お叱り」という判決であったが、規定の5百人を守るよう、あわせて命ぜられたから、多くの女たちは親元や身元保証人のもとに戻された。

 けれども品川宿が、ひっそり暗くなったのは、ほんの数夜にすぎなかったらしい。飯盛女の人数も、間もなくもとどおりになり、夜ごとの嬌声が遠浅の海にひびくようになった。


 江戸時代の都市は、どこでも男性人口が多い。享保18(1733)年江戸の町方人口が53万6千人、このうち女性は19万6千人で37%にすぎない。武士人口も約50万人であったが、参勤交代の殿様のお供で江戸にやって来た武士たちは、いずれも単身赴任である。

 吉原をはじめ公認・非公認を問わず、遊郭街が発達したのもそのためである。ちなみに、品川の飯盛女の人数がきびしく取り締まられたころ、吉原の遊女屋は259軒、遊女が3628人、遊女予備軍たる禿(かむろ)の少女が689人であった。


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(感想・意見など)

 品川は複雑である。江戸御府内(ごふない朱引内しゅびきうち)と朱引外しゅびきそと)が混在していた。

 飯盛女の取り締まりを、江戸町奉行ではなく、関八州取締り出役の役人が行い、道中奉行が裁いたということは、朱引外(江戸ではない)ということになる。

 浮世絵などを見ても、現在は埋め立てもしているだろうし、想像もつかない。ここはタモリさんの出番だね。


 (注) 1両=10万円とすると、500文は12500円、3實文は75000円。安すぎるなぁ。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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