老人介護さまざま

老人介護さまざま 高知15年2月15日
老人介護さまざま 讀賣15年2月15日
老人介護さまざま 新建築15年1月号
 安藤忠雄さん他設計




 
 老人介護さまざま


 2月15日の新聞にたまたま老人介護の話が2つ載っていた。私も父親で経験があるし、これから母親で経験すると覚悟している。抜粋してご紹介します。


 高知新聞2月15日 大阪府立大学教授 森岡 正博さん

 個人的な老老介護
 家族共倒れをすり抜ける

 私は高知県に生まれ、高校卒業後に東京の大学に進学し、京都の研究所、大阪の大学で働いた。その間、高知市にすんでいた両親に少しずつ老いが忍び寄ってきた。

 まず父親が体調を崩して入院した。退院後に父親の身の回りの世話をしていた母親も、しだいに疲労がたまるようになってきた。私と弟はそれぞれ大阪と東京で働いていたので、彼らをサポートする態勢は取りづらかった。

 私は両親を大阪に呼び寄せることにした。高知市の住居を引き払い、職場の近くに住んでもらった。そうこうしているうちに、母親が倒れ、入院した。父親は毎日病室を訪ねて面倒を見た。

 長いリハビリ期間を終え、母親は自宅に戻った。部屋に手すりを付けるなどの改装を行い、ケアマネージャーによる定期的な訪問が行われた。私は職場の中間管理職であり、仕事を続けながら2人の十分なサポートをするのは難しかった。

 母親はその後入退院を繰り返し、父親による介護の限界を超えた。彼ら2人には、職場の近くの民間の施設に移ってもらった。しかしそれでも彼らの身体はさらに弱り、とうとう寝たきりになった。

 昨年の秋、大阪府立大学から早稲田大学への転出の話が私に飛び込んできた。年末、高齢者の長距離移動サービスを利用して、2人をベッドに寝かせたまま半日かけて関東の施設まで運んだ。関東に住む弟と私の2人で施設を訪問することができるようになった。

 これからどのように推移していくのか分からないが、ようやく一息ついた思いがする。フルタイムで仕事をしている息子ひとりによる両親の身体的あるいは精神的介護は、想像以上にたいへんだ。私たちの場合は、質の良い民間の施設がすぐに見つかったが、もしそうでなければいまごろ家族で共倒れになっていたかもしれない。


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 讀賣新聞2月15日「人生案内」から

 独りで両親介護 諦めだけ


 40代の公務員男性。両親の介護で、これから先の人生は真っ暗です。

 一昨年の松、母にがんが見つかりました。治る見込みはなさそうです。認知症の父は、母がどういう状況にあるのかわからないようです。

 父は施設への入居を拒み続けています。ケアマネージャーも訪問看護師もヘルパーもあてになりません。遠方に住む弟は無関心を決め込んでいます。

 私はまだ独身ですが、結婚は諦めています。意見の合わない弟とは疎遠になるでしょう。両親のきょうだいに相談しても、自分の生活で手いっぱいのようで「頑張れ」の一言。友人も離れていきました。 (北海道・N男)


 【回答者】は評論家の樋口 恵子さん。確かご自身も介護の経験があり、この問題のエキスパート。樋口さんのアドバイスは以下の通り

 ① 絶対に仕事を辞めないこと。

 ② 父親に何とか施設利用、せめてデイサービス利用をお願いすること。

 ③ 介護関係職員のことも簡単に見限らないで心を開いて相談すること。

 ④ 職場や近隣に自分の状況を隠さずアピールすること。職場の理解を求め孤立から脱すること。


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 (感想・意見など)

 私も、父が寝たきりになったときは松山で勤務していた。当時は完全看護ではなく、家族か付添婦が病院に泊まり込みで世話をしていた。私は毎週、金曜日の夜仕事を終えてから車で160㌔の道を走り、その夜は高松の自宅に泊まり、土曜日と日曜日の夕方まで母に代わり父の面倒をみて、夜、松山まで帰っていた。その後、母に疲れがみえてきたので、あいだの水曜日にヘルパーを頼んだ。

 その後父は亡くなったが、ほどなくして東京転勤を命ぜられた。東京でも何かあればすぐ高松に帰れるよう、JR、バス、空港、レンタカーが利用しやすい場所に住居を定めた。そのため月6万円近くの自己負担が生じたが、それは計算内だった。月に1回は高松に帰っていた。

 約3年後広島に転勤になった。2年目だったと思うが、母から会社に電話がかかってきた。よほどのことでないと会社には電話してこない人であったが、どうでもいいことで電話してきた。私は、そろそろかな、と思った。

 広島に2年いて、福岡に転勤になった。月に1回は帰省していたが、母がある時どうでもいいことで、また会社に電話してきた。呆けたなと思った。私は腹を決めた。退職に関する本を2冊買って読み、福岡の社会保険事務所で年金がいつからいくら貰えるかを確認し、人事部に退職金の額を聞いて、仕事に区切りがついた時点で退職願いを書いた。

 私の退職は意外であったらしく、多くの人から理由を聞かれた。私が母のことを話すと、多くの人から、実は自分も…というような話を聞いた。

 
 私が帰ってきてから、母は元気になった。どうでもいいようなことでも努めて会話するようにしている。その後、甲状腺がんが見つかり手術したり、白内障の手術をしたりもしたが、今は年なりである。あのとき辞めてよかったと思っている。

 私の家の周りには140軒ほどの家が集まっている。40数年前に入居した時はみんな壮年であった。今は、近くの十数軒を見ても、家族全員が健康だという家は珍しい。直近十年ほどをとってみても、たいていの家がなんだかんだと問題を抱えている。北海道のN男さんのような人もいる。実にさまざまである。

 
 1995年頃から病院は一応、完全看護になったし、2000年から介護保険制度も始まった。しかし今後、医療費・介護費にあまり金をかけられなくなるのも事実。

 ある程度将来を見通しながら、樋口恵子さんのアドバイスのようなことも心がけながら、制度をうまく利用し、その時その時を賢明に、一生懸命に生き抜くしかない。


以上

 

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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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