ひとの思い

ひとの思い 久保田沙耶さん(小学館) 1296円
ひとの思い 高知15年2月23日
ひとの思い 日経15年2月22日






  ひとの思い


 一昨年の瀬戸内国際芸術祭(セトゲー)でアーテイストの久保田 沙耶くぼた・さや)さんは、瀬戸内海に浮かぶ粟島(あわしま:香川県三豊市)で旧郵便局舎をみつけ、「漂流郵便局」と名づけ、亡くなった家族や元恋人らに宛てたはがき・手紙を受け付けた。当初は1カ月の予定だったが、反響を呼び、中田 勝久局長ほかの協力もえて現在も続いている。
 先日そのうちの69通をまとめて本にしたところ、ベストセラーになっている。

 永六輔さんは、妻が68歳で急死した。毎日、妻あての絵はがきを出し続けて千通以上になったという。同じような話が2月23日の高知新聞に載っていた。高知県いの町の逵 千佳つじ・ちか:80歳)さんは、3年前に夫を脳梗塞で亡くし、亡き夫あてのはがきを毎朝、ポストに投函し、千通を超えたという。

 
 日経新聞の日曜日「詩歌・教養」欄は、このところ、ノンフィクションライターの梯 久美子かけはし・くみこ)さんが、昭和時代に活躍した歌人の宮 柊二みや・しゅうじ)の戦場からの手紙について書いている。当時はこのようなことが多かったと思われる。こころに残る話である。

 
 柊二は、北原 白秋の門下となって指導を受けるうちに才能を認められ、昭和10年から白秋の秘書をつとめた。昭和14年2月、白秋主宰の「多磨」の歌会で、のちに夫人となる滝口 英子に出会う。柊二は英子に作歌指導をするようになった。だが、出会いから半年後の8月、柊二に召集令状が来た。


 以降、日経新聞2月22日の梯 久美子さんの文章を抜粋してご紹介します。


 追伸に込めた真の思い


 戦地から書き送った手紙に、宮柊二が初めて「愛」という言葉を記したのは、召集されて中国・山西省に赴いて3年目に入った昭和16年(1941年)3月である。

 <小生も滝口さんのおこころと同じく友情以上のものを感じ居り候。愛し居り候。然し乍ら生還なし難く思はるる身のなど生活のお約束など申上げられ候や>(3月20日付)

 これは滝口英子からの「帰還を待っていてもいいでしょうか」という手紙への返事であった。文面はこう続く。
 <おこころありがたく、最後の際まで銘じて戦ひ申すべく、滝口さんは更に明日の日へこころ強く踏み出され度く念じ上げ候>

 自分もあなたを愛しているが、いつ戦死するかわからぬ身ゆえ、将来の約束はできないといっている。そして英子の気持ちを<最後の際>つまり死の瞬間まで心に刻んで戦うつもりだというのである。

 この手紙には追伸がある。<最後まで申上げずて置かんかと存じ候も、すでにお目にかかり得ぬ心きめて最後の愛情の一二行をしるし申し候>

 柊二は自分の気持ちを最後まで告げずにおこうと思っていた。しかし、英子が書いてよこした「帰還を待ちたい」という言葉は愛の告白であり、求婚でもある。この時代に女性から言い出すのはよほど勇気の要ることで、それがわかるからこそ、命あるうちに自分も真実の思いを伝えるべきだと考えたのだろう。

 だが一方で柊二は、自分が愛の言葉を記したことが、英子の将来の足かせになってしまわないかと案じた。以下、追伸の続きである。

 <只この一二行によりておこころ惑うことなく宮よりも更に更によき人を求めらるべく、そのことをのみ祈念いたし申し候>

 柊二が出征したときまだ学生だった英子は、このとき教師となって大阪の岸和田市立高等女学校に勤務していた。すでに24歳で、縁談も持ち上がっていた。柊二は師である北原白秋と「多磨」の年長の歌友である米川稔に、もし英子が相談に来たら、別の人との結婚を考えるよう言ってほしいと手紙を書いた。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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