こんな子ども時代を送りたかった

こんな子ども時代を送りたかった
 讀賣15年3月25日
こんな子ども時代を送りたかった
 讀賣15年3月26日
こんな子ども時代を送りたかった
こんな子ども時代を送りたかった
 川ガキ





 こんな子ども時代を送りたかった


 現在、讀賣新聞の「時代の証言者」は、東京農業大学名誉教授で発酵学の権威の小泉 武夫さんである。小泉さんは、1943(昭和18)年、福島県小野町の造り酒屋に生まれた。

 私は、高松市の商店街のど真ん中で生まれ育った。人をうらやむほうではないが、小泉さんの話を読んでいて羨ましくて仕方がない。小学生時代に2年間でいいからこんな生活をしてみたかった。


 3月25日と26日分を相当乱暴に抜き出してご紹介します。


 ヘビ・カエル 最高にうまい
 山、川駆け 狩りはプロ級

 
 生家は造り酒屋で敷地が約1000坪(約3300平方㍍)ありました。大きな池ではアヒルを10羽ほど飼っていた。卵は卵焼きにして食べた。アヒルもおいしいですよ。

 この池の周りにはヘビがうようよしてた。池にいるカエルを呑み込もうと集まってくる。それを僕らが取って食う。特にシマヘビはうまい。ヘビは全身運動しているから最高においしい。比内地鶏もかなわないほど味が濃い。
 
 それからアカガエル。これも全身がバネ、筋肉だから名古屋コーチンや薩摩地鶏なんて目じゃない。カンテラとカエル刺しを持って、夜、池の周りや田んぼに出撃する。

 夜、カエルはじっとして動かない。上からカンテラで照らし、そこにいるなと思ったら刺しちゃう。一晩で20~30匹捕まえておいて、翌日、ぴゅるっと皮をむく。炭火の上に網を渡し、脚を醤油の付け焼きとか塩焼きにしたら、これほどうまいものはない。

 あのころ田舎では、小学校高学年になると近所の小さい子たちを遊ばせて、おんぶして、きょうだいのように見守ってあげるのが当然でしたけど、僕は料理が得意だったから、いろんな料理を作って喜ばせてあげた。小さい子たちを引き連れて獲りにいくこと自体、楽しかった。

 
 川のもの、山のもの、空のもの。とにかく食べないものはなかった。

 どじょうなんか嘘のように取れました。僕らが小学生だった昭和20年代はまだ農薬なんて使ってないからね。これをかば焼きで食べた。ドジョウ汁も人気があった。

 網を仕掛け、仲間が上流から棒で突いて追い込むとドジョウは一網打尽。町の魚屋にも売りに行きました。ウナギも町に3軒あった料理屋に持ち込むと、喜んで買ってくれました。


 小学校の全校児童800人が一斉にイナゴ狩りに行く日の話をしないとね。6年生は毎年、日光に修学旅行に行くんだけど、そのお金を工面できない家が必ず出てくる。だからもう授業を休みにして、朝8時に校庭集合だ。

 農薬まいてないから、近所の田んぼにはイナゴが無尽蔵。各自持ち帰ってゆでたら校庭に敷いたムシロにどんどん広げる。ゆでイナゴの山を業者が買っていく。つくだ煮にして全国に売りさばくんですね。その代金で全員が日光へ行った。みんな助け合って生きていた。いい時代でした。

 近くを流れていたのが夏井川。ヤマメ、イワナ、アカハラといった魚をたくさん取った。浸しバリというはえ縄のような方法が一番取れた。車川という小さい川にもハヤ、オイカワ、カワカマスなどがいました。


 角蔵じいさんから教わったワナ掛けの技は、中学生のころにはもうプロ級でしたね。私は阿武隈高地の少年狩人となってウサギキジ、ヒヨドリを狙った。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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